医者になって二十数年が経ち、もうすぐ50歳になる。
思えば、研修医の頃が懐かしくなる。
早く一人前になりたくて、いつも焦っていた。
中身はともかく、長い時間働いていた気がする。いつもチャンスがあれば寝る機会を伺っていた。
働き出してふと見上げた空に星がたくさん輝いていた。空はもう肌寒い秋の空だった。働き出して6ヶ月も空を見ていないことにそのときはじめて気づいた。
30歳になれば少しはましな医者になると思っていた。なってみたら全くもって大した医者にはなっているとは思えなかった。
そして100万円を握り締めて軍事政権下のミャンマーに単身乗り込んだ。本当は軍事政権だとは知らなかった。
30歳の頃の私は十分な医療をミャンマーの人々に施すことは出来なかった。いつもすまない気持ちでいっぱいだった。
30台で小児外科を学び、NGOも創設した。40台で少しはましな医者になっているかと思えば、満足できるレベルには達していない。
今から思えば、上を目指して毎日、毎日、とにかく体力にものを言わせることが出来ていた研修医の頃が一番幸せだった気がする。
能力も技術もなかったが、希望だけはあった気がする。
うちの父親は74歳で亡くなり、祖父は73歳だった。
もう一度、医師になってからの時間をすごしたときに、私はもうこの世に存在していないかもしれない。
ついこの前、医者になった、研修医をしていたと感じるのに。
時間とは無常なものだ。
どんなに努力し、優れた技量や強さを身に着けても、その存在と共にこの世から消えてなくなってしまう。
毎日、毎日、惰性を貪っていた過去が悔しくて仕方ない。
今も、毎日、失敗しても良いから若かったあの頃のように、体力のその限界まで自分と向かい合ってみたい。
夢などなくてもいい。
人にはもしかしたら理解してもらえないかもしれない。それでもいいのだ。
きっと今やらなくては、未来の70歳の私が後悔する。
時間は私の人生そのものだ。
今もこの瞬間も磨り減って消えてゆく。
今、この瞬間は過去の自分が夢見て希望していた通りの私であるだろうか?
今、この瞬間を私はしっかり味わい、そして恍惚の中で生きているのだろうか?
さくらの散る美しさを私は十分感じたこの春だったろうか?
五月雨をこの身に受け、毛穴を開き、その地球のしぶきをわが身わが心で歓喜と共に受け止めることができたろうか?
夏の熱い太陽の日差しを受け、この身に吹き出す玉の汗を喜びをもって、送り出すことが出来ていただろうか?
未来の目標や希望は私たちに力を与え、生きてゆくエネルギーになるかもしれない。
でも、そんなことより、今、この瞬間を心から味わい感じ、辛ければ心から苦しみももがき、うれしければ心から喜び笑う。
それ以上の幸せなどない。
1000年後、この世に今の誰もなく、今みんなが不満を抱いていることもこの世になく、すべては宇宙の闇に帰る。
うちの父親が死んだとき、病室で10時間その亡骸と二人きりだった。
私から見ても決していい人生でなかった親父から、「俺は後悔ないよ」という言霊がびんびん伝わってきた。
「お前もそういう人生を生きろよ」というのが親父の最期の教えだった。