今年の夏はひと月以上の期間、10歳の長男と行動を共にした。
夏休みになったその日に日本を飛び出し、夏休みが終了するその日に日本に帰国する。
この間、医療活動にもずっと同行させていた。
日本から北京経由で、タイのバンコクに入りラオスには陸路で国境を越える。
それから中国とラオスの国境地帯の医療活動に同行させた。
ラオスから始まった医療活動は、その後、カンボジア-ミャンマー-カンボジア-ミャンマーと巡り、その間に、タイやマレーシア、シンガポールと移動を重ね日本帰国までに21回の国際線フライトを含む移動を私と行ったことになる。
実は私と長男は40歳も年齢が離れており、おそらく長男が私の歳になったときには私はこの世にいないだろう。
こんな生き方なのでどうせ物質的な財産は残せないと確信しているので、せめて、無形の財産をわが子には残して逝きたいと思っている。
なぜ、この機会にわが子を連れ立ったかというと、実は私なりの理屈がある。
人間には第一次反抗期という大体、3歳くらいまでの子どもが通る反抗期がある。
この時期までに、子どもにはしっかりと母性を伝えなくてはいけない時期だと思っている。
母性とは絶対的安心であり、無条件の受容であり、子どもの脳幹深くに沈み、人生を決定的に左右する大切なチカラである。
母性を受け取ることが上手くいかなかった子どもは脳の奥深くに欠乏感を宿し、成人しても愛情を求めて彷徨うことになる。
お金や物質でその脳幹の欠乏感を埋めようとするが、決して埋まらない。
愛情は物質ではないからだ。精神的欠乏は物質的満足では一時的にしか埋めることができないということも分からないままに、それを無意識に求め続けてしまう。
だからこそ母親の役割は大きい。
そして第二次反抗期がやってくる。これは中学生頃に遭遇することが多い。
この時期からは、親の言葉が子どもに入っていかなくなってしまう。
昔はこの時期は、元服の歳で、それから後は一人前の大人として扱われていたのは偶然ではない。この時期を通過すれば、もう一人前の大人になるのだ。
すなわち、第二次反抗期は人間が親離れ、子離れのするための生理的通過点なのだ。
この第一次反抗期と第二次反抗期の間の時期は、また大切な時期で、この時期は子どもに父性を伝える時期でもある。
父性を伝え損ねると、あるいは父性が弱くなってしまうと、子どもは生きる力を失う。
父性の弱い家庭で育った子どもは、ひきこもりを起こすようになることも多い。
核家族化が進み、父性を与えるのは主に父親の役目かもしれないが、昨今の父親の弱体化は子どもの生きる力に影響をしていると思っておいたほうがいい。
私の2冊目の著書の「死にゆく子どもを救え!」を出した冨山房インターナショナル社からは、聖路加国際大学の日野原先生が「10歳の君へ」という本を出している。この本を出している動機は、日野原先生自身が人間にとって10歳という年齢が最も意味のある、しかもキーになる年齢であると考えているようだ。
そういえば、私たちの記憶も10歳を境に大きく増えているような気がする。
そして私自身もその10歳の時間を大切に考えている。
なぜならば、この後、子どもは反抗期に入り私たちの言葉を受け取らなくなってしまう可能性が高いからだ。
この10歳をスタートに12歳頃までの間に、わが子に私の持っている知恵や経験を伝えておこうと思ったのだ。
だからこの夏の同行期間は毎晩、子どもと色々なことを話した。
時間について、お金について、努力について、才能について、世界はどうなるか?人とはどう付き合っていくか?などなど幾夜も話込んだ。
それから、私の生き方もそばで見せた。
一切、飾らず、良いことも悪いことも、ごく自然に振舞ったつもりだ。
途上国に暮らす多くの人々の暮らしや病気の人たちの大変さも知ったに違いない。
多くの人たちの情けも知り、日本との違いも経験したことだろう。
目的はたった一つ。
どんな時代になっても、たとえ何が起こっても、生き残る能力を与えること。
サバイブさせる能力を与えることこそ、親の最大の役目なのかもしれない。
この後はどうなるか?
この種が何をわが子に与えるかは時間を待つより仕方ない。
今回、10歳のときに本当に私のすべてを伝えたかったが、やはり理解力には限界があったので、まだ2年ほどかけてかなり補強しなくてはならないと思った。
近い将来、私なりの生きる知恵を世の中の子どもたちに伝えるために1冊の本にしてみるつもりでいる。
とにかくこれから日本は大変な時代に入るし、海外の子どもたちも私の持つ東洋的な思想に触れておくことは悪いことでもないと思うから。
どの親も子どもに願うことは、生きていてもらうことだから、とにかく母性と父性を上手く子どもに示し、的確な時期に大切なことを伝えていかねばならないと思う。
ただそれは、生まれてすぐからはじまり、思ったより早く訪れ、そして早く終了してしまうのだ。