1995年秋。医者になって数年目の私は、たったひとり、軍事政権下のミャンマーへお金を握り締めて旅立った。
その頃のミャンマーは、それまでの経済の失策とアメリカを中心とする経済封鎖にあい、惨憺たる有り様だった。インフラの整備もほとんどなされておらず、医療や福祉は完全に忘れ去られた国家事業だった。
医療をこの国の貧しい人々に届けようと粘り強くミャンマー政府と交渉した私はおそらく、
外国人で唯一、継続的に医療行為を許された人間になった。
押し寄せる患者たちと毎日格闘し、治療は、朝の5時から深夜12時まで毎日休むこともなく続けられた。
そして、医師として十分な経験も技術もなかった私にとって、その毎日は現実との格闘になった。
その現実のひとつに口唇裂という先天異常(アノマリー)があった。
このアノマリーは、日本では一部の形成外科医たち(口腔外科医の場合もある)が主にほとんどの手術を行っており、私にはもちろんその経験もなかった。
この口唇裂の人たちも、日本と途上国では患者の満足度は違うのだ。
医療で最も優先されるのは、もちろん医師の満足度ではなく、患者の満足度だと思う。
その点でからすると、もちろんミャンマーと日本の医療のゴールはおのずと違うことになる。
少しでも長く生かすのが日本のゴールだとすると、ミャンマーのゴールは時間の長さよりも家族や生まれた村との物理的な距離なのだ。
日本では、患者たちは医療を受けれることだけでは、今や満足しない。おそらく、結果を伴って満足に至る。
ミャンマーやラオスでは、医療を受けれる時点で患者たちは満足を得る。
そのことが日本の医師の間でも誤解されていると思う。もちろん途上国であれ、上のレベルであることに過ぎたるはなしであるが、患者さえ満足できれば医療としては既に成立している。
当時、軍事政権のミャンマーという壁を突破して医療をすることが許された、ほとんどたった一人の医師として、私はこのアノマリーの手術にも挑んでいくことになる。
このときの私の技術や行動を批判する医師たちもいたが、私への批判では患者の人生は変わらない。
そういう立派な主張をする医師たちが、私の代わりに全ての難題を突破し、私のように医療活動を現地で許されたなら、喜んでその仕事を譲ったことだろう。なにしろ、私にはいくらでもやることがあったのだ。
しかし、最近のSNSというのは有り難いツールだと思う。
ロシア在住のラオス人から、私たちのFacebookに「この子どもを何とかしてほしい」と連絡が入る時代なのだ。こんなことがラオスだけではなく、ミャンマーでもカンボジアでも当たり前になっている。
ラオス人から連絡があった子どもは、口唇裂がさらひどい型の「顔裂」という状態の一歳の子ども。
簡単に言うと、顔が半分、裂けているということ。
実は、今までこの症例の患者にはアジアで数度で会い、3度手術した経験がある。
日本では、おそらくどんな専門家でも人生のうち1度か2度しか出会わないかもしれない。
今回4度の目の手術をこの手でやろう、と思った。
しかし、この20年以上をアジアの途上国で医療をしてきた私は、もう時代は変わったのではないかと、ふと、思ったのだ。
もっと専門性の高い人たちがこの子どもを治療すべき時にきたのではないかと。
この子どもは一歳のラオスの女の子。お父さん、お兄ちゃんと暮らしている。
母親はこの子を生んだ後に行方不明になったらしい。
父親は、がんばって働いているが毎日仕事はなく、家族は貧しい。
当然、子どもの治療費もなく、張りぼてのような家でひっそりと暮らしていた。
このままでは成長しても、学校へは行けない。そうして教育の機会からも遠ざかっていく。
この家族のために、この子どものために、ちょっと本気でかんばってみたいと思った。
興味ある方は、是非、ホームページをみてほしい。
私が主催するNPOジャパンハートは、長崎県の僻地離島医療を管理監督している長崎県病院企業団(米倉正大理事長)と提携し、長崎県の五島列島と対馬に毎年、年間30名ほどの看護師たちを送り、僻地に人的貢献をしながら地域医療を学んでもらっている。
この企業団の仲介によって、国立病院機構 長崎医療センター(江崎宏典 院長)の形成外科で、この子の手術を行う運びとなった。
手術は7時間ほどかかるといわれている。
アジアの途上国にいて、ここは昔の日本の現実がある場所だなと、いつも思う。
戦前、日本はこの病気が治せなくて、多くの子どもたちが世間から隠れひっそりと生き、ひっそりと死んでいった。本人も親も兄弟も、みなつらい時間を過ごしたとこだろう。
だから、こういう現実を癒すことは、過去の日本を、過去の日本人たちの苦しみや悲しみを癒す作業でもあるのだといつも感じる。
それからもう一つ。
これからは、日本は激しくアジアと混ざっていくことになる。もうアジア人は遠い海の向こうの人たちではない。私たちのすぐ隣の住人なのだ。
日本の医療者が自分の技術をこの国に閉じ込めておく時代も、終わりだ。
世の中に有益なものは、日本だけでなく世界の人々と分かち合う時代になったのだ。
日本国内のことは大事だ。
しかし日本のことだけが大事なのではない。
人間は理想が大きければ大きいほど、現実は重い責任を背負う。
人のいのちは平等だと言ってしまえば、そこに日本人も外国人も無くなってしまう。
同じように扱い、同じように救っていかねばならない。
日本人はどこまでの理想を背負えるのか?
これから私たち日本人は結果で問われることになる。