●個別指導と自殺
「個別指導」、「自殺」で検索すると、医師、歯科医師の自殺事例がいくつもコンピュータ―の画面上に表示される。個別指導とは、保険診療が適切かどうか、保険医や保険医療機関が厚生労働大臣から受ける行政指導である。指導大綱は「保険診療の取り扱い、診療報酬の請求等に関する事項について周知徹底させることを主眼とし、懇切丁寧に行う」と定めている。しかし、個別指導を契機にこれまで多くの医師や歯科医師が自殺に追い込まれた。個別指導にさまざまな嫌がらせを絡めることがあるらしい。権力を持つ側が、診療所を廃業に追い込むのは難しいことではない。2013年には、個別指導と自殺を扱った『恫喝』というタイトルのドキュメンタリー映画まで制作された。富山県保険医協会ホームページの「個別指導で何がおこなわれたのか」から引用する。「平成5年10月11日、澄みきった秋空に映える立山連峰を背に、若い保険医が橋梁に立ち、自らの命を絶った。享年37歳。山間部で地域医療に献身していた彼に何が起こったのか。」「まず、明細書記載内容以外の事を質問したのち、レセプトを1枚1枚これは削る、これはパスと始めた。質問や意見も居丈高で、大声を出し、2時間怒鳴りっぱなしという状態で、まるで戦前の特高かと思わせるような異常な雰囲気だった。」「私は隣で聞いていて、本当に腹が立ち、こんな指導があるものかと思いました。私の所の女子職員もとても恐ろしかった、と話しています。」「個別指導後、彼がとても悩んでいた事は、自主返還せよと言われた事ではないでしょうか。どのように、どこまで返還すればよいかわからず、このあと医業を続けていけるのだろうかと、相当悩まれたのではないでしょうか。」「県がこのような異常な技官に医師を指導させるなんて、まったく許されない話です。テレビで県の職員の弁明を聞きましたが、『よくもヌケヌケと』と腹わたが煮えくり返りました。」「私があの日、もし一柳技官の指導を受けていたなら、やはり同じ運命をたどったように思います。」2014年8月23日、日弁連は、「健康保険法等に基づく指導・監査制度の改善に関する意見書」を発表した。厚生労働大臣、都道府県知事に対し、保険医らの適正な手続的処遇を受ける権利(憲法13条)を侵害する危険を含むものだとして、改善を求めた。
●亀田総合病院事件
亀田総合病院は、国の地域医療再生臨時特例交付金の補助事業として、2013年度より3年間の計画で、安房医療圏の医療人材確保を図るため、「亀田総合病院地域医療学講座」事業を実施していた。筆者は、本講座のプログラムディレクターとして、地域包括ケアについての映像と書籍、規格作成に心血をそそいできた。ところが、2015年5月1日、千葉県健康福祉部医療整備課長の高岡志帆氏が、部下の医師・看護師確保対策室長を伴って亀田総合病院に来院。医師・看護師確保対策室長から、地域医療学講座の2014年度の補助金を1800万円から1500万円に削減する、2015年度の補助金を打ち切りにすると通告された。理由として、10分の5補助だったこと、予算がなくなったことが告げられた。しかし、地域医療学講座には、すでに、2015年3月30日付けの1800万円の交付決定通知(千葉県医指令2082号)が送付されてきていた。この決定を覆すのに必要な手続きがなされたという説明はなかった。医師・看護師確保対策室長の通告は、虚偽によって予算削減を受け入れさせ、予算要求を阻止しようとしたものである。そもそも、地域医療再生基金管理運用要領によれば、基金事業が不適切だと認められる場合を除いて、県庁担当者の恣意で、助成金の交付を拒むことはできないし、事業を中止することもできない。事業内容について、事前に千葉県の担当者に説明して同意を得つつ、事業を進めてきたものであり、不適切だといわれる理由はない。筆者は、高岡氏及び医師・看護師確保対策室長に猛抗議するとともに、高岡氏に対し、基金の使い道と残金を明らかにするよう求めた。この日、亀田隆明、省吾両氏も筆者と共に、強く抗議した。以後、理詰めの交渉と言論活動で、千葉県を追い込んだ。経緯を「亀田総合病院地域医療学講座の苦難と千葉県の医療行政」http://medg.jp/mt/?p=3953 http://medg.jp/mt/?p=3955 http://medg.jp/mt/?p=3957と題する文章にまとめて、メールマガジンMRICに投稿した。筆者の言論による批判を受けて、2015年5月27日、高岡氏は医師・看護師確保対策室長の前記通告が虚偽だったこと、すなわち、10分の10補助だったこと、交付金が残っており、出納局が管理していることを言明した。2014年度予算については、決定通り1800万円が交付されることになったが、2015年度予算について、態度をあいまいにした。これでは事業を実施できない。国で決まった基金の扱いとしては普通ではない。そこで、県を押し込むために「千葉県行政における虚偽の役割」http://medg.jp/mt/?p=5898をMRICに投稿し、出来事をできるだけ正確に再現した。すると、2015年6月22日、亀田総合病院院長亀田信介氏から、「厚生労働省関係から連絡があった。千葉県ではなく厚生労働省の関係者である。厚生労働省全体が前回のメールマガジンの記事に対して怒っており、感情的になっていると言われた。記事を書くのを止めさせるように言われた。亀田総合病院にガバナンスがないと言われた。行政の批判を今後も書かせるようなことがあると、亀田の責任とみなす、そうなれば補助金が配分されなくなると言われた」と告げられ、「以後、千葉県の批判を止めてもらえないだろうか」と要請された。苦しい経営が続く亀田総合病院の経営者としては仕方のない反応である。一方で、筆者は、亀田総合病院入職以前も以後も、言論人として活動してきた。これを亀田総合病院の経営者も認めてきた。経営者が、筆者の言論を利用してきた側面もあった。言論人としては、理不尽な言論抑圧に屈するわけにはいかなかった。「言論を抑えるというのはひどく危険なことである。権限を持っていて、それを不適切に行使すれば非難されるのは当たり前だ」と主張し、いずれ社会に発信すると告げた。「病院に迷惑のかかるようなことはしない」とも言ったが、憲法を無視する公務員の乱暴な言論抑圧を受け入れる方がはるかに病院の害になる。言論抑圧を受け入れると、それが標準になり、以後、病院は行政のいいなりにならざるを得ない。信介氏に対しては、大きな問題に発展するかもしれないので、連絡があった厚生労働省職員とは距離を置いて接触しないよう忠告した。2015年7月、筆者は、言論抑圧の仕掛け人が厚生労働省健康局結核感染症課課長の井上肇氏であるとの情報を得たため、2015年8月17日、内部調査及び厳正な対処を求める塩崎恭久厚生労働大臣あての申し入れの非公式な原案(申し入れ文書原案)を作成して厚生労働省高官に送付し、提出方法ならびに窓口について相談した。その後、申し入れ文書原案は、何人かによって高岡志帆氏のもとに送付され、高岡志帆氏は、2015年9月2日午前11時34分、医療法人鉄蕉会理事長亀田隆明氏に対し、「すでにお耳に入っているかもしれませんが、別添情報提供させていただきます。補足のご説明でお電話いたします」として申し入れ文書原案をメールに添付して送付した。筆者は、亀田総合病院で同日あわただしい動きがあったことや、亀田隆明氏が、筆者を9月中に懲戒解雇すると語っていたとの情報を得た。高岡志帆氏の電話は懲戒解雇を促すものだった蓋然性が高い。時を置かず、亀田隆明氏は、高岡志帆氏を含む千葉県職員の対応を批判する内容の言論活動を行ったこと、厚生労働省職員による言論抑圧について調査と厳正対処を求める厚生労働大臣あての申し入れ文書原案を提出したことを懲戒処分原因事実とする懲戒処分手続を開始した。亀田隆明氏は、懲戒委員会が開かれた2015年9月25日、解雇予告除外認定の手続も踏まずに、筆者を即日懲戒解雇した。筆者の批判内容が不当であるとの主張は一切なかった。内容に言及することなく、行政批判をしたことを懲戒処分原因事実とした。筆者は厚生労働省、千葉県の医療行政について、多くの論文を書き、体系的に批判してきたが、中でも、二次医療圏まで変更して強引に設立した東千葉メディカルセンターの赤字問題は、井上肇氏や高岡志帆氏の責任問題に発展する可能性があり、筆者の言論活動に危機感を持っていたと想像される。東千葉メディカルセンター問題については、「病床規制の問題3 誘発された看護師引き抜き合戦」http://medg.jp/mt/?p=1769、「東千葉メディカルセンター問題における千葉県の責任」http://medg.jp/mt/?p=6643http://medg.jp/mt/?p=6641を参照されたい。事件全体の動きから、二人は共に、自身の違法行為を告発する筆者に対し害意をもって行動していたものと思われる。
●馬場辰猪
馬場辰猪は福沢諭吉に愛された弟子である。明治初期にイギリスに7年間留学した。留学中、英文で『日本における英国人』『日英条約論』を出版し、イギリス人の日本における乱暴な行動と不平等条約の問題をイギリス人に知らしめた愛国者でもある。大隈重信を支えて早稲田大学を創立した小野梓やルソーを翻訳した中江兆民の同世代の親友であり、明治初期の日本が生んだ本格的な知識人である。馬場辰猪は政府の高官になることも、親しい関係にあった三菱の経営者になることも可能だったが、敢えて、貧困を覚悟して、「在野の地位を守りながら、『民心の改革』という事業に専念」(萩原延壽『馬場辰猪』朝日新聞社)した。馬場は、明治14年以後、自由民権運動に深く関わることになるが、関わる以前より、懸念を持っていた。懸念通り、自由民権運動には多くの問題があった。馬場が参加した自由党では、党首の板垣退助が、藩閥政府から金をもらって長期間の外遊に出かけた。自由民権運動は不平を持つ者の仮面として使われた。自らの立身出世だけを願うあさましい人たちがめずらしくなかった。自由党は、本来手をたずさえるべき大隈重信の改進党を徹底攻撃した。改進党も自由党を攻撃した。馬場は、本来穏健な自由主義者であり、人間が多様な価値を持つことを是とした。「平均力ノ説」では、言論活動が、様々な価値を平均していくのに有用であり、イギリス政府はこの平均力を承認して、これを活用しているとした。政府は、政治の動きを妨害せず、新聞にも干渉しない。ある新聞が政府を非難しても、別の新聞がこれに反対して政府を擁護し、議論が進んでいく。改革派と守旧派が議論しつつ、おのずと平均されていくとした。「親化(結合)分離(拡散)の説」では、戦国の世の分離が、徳川によって結合されたと説明する。江戸時代、社会が固定され、活発な動きがなくなった。「平均力」による反動で明治維新が起こらなければ、日本は固形体と化し、太平洋上の死国になっただろうとする。圧制政治は社会を束縛し、自由政治が行きすぎれば無政府状態になる。ここに「平均力」が働く。穏健だったはずの馬場を、当時の明治政府は弾圧した。政府というより、末端の警察官が弾圧した。2000年前のギリシャ、ローマの政府についての講演まで、政談演説として扱われた。歴史、商業問題、諸外国の法律などについての講演も取り締まりの対象となった。二人以上の集まりは「集会」と解釈された。政談演説の内容をあらかじめ警察に提出しなければならなかった。その演説が「公衆の安寧を妨害する」かどうかを警察官が判断した。馬場が英語で書いた『日本の政情』によれば、「警察官とはどういう人々か。彼らは、非常に不完全な教育をうけ、8ドルから10ドルの月給をもらっている人々である。彼らは自分たちが遂行しなければならない義務の性質をほとんど理解していない。」「あまりに多くの権力が無智な警察にあたえられていた。」馬場は何度も警察に拘束され、演説を禁止された。その理由の多くは、警察官が馬場の演説を理解できないことにあった。明治19年、馬場はアメリカに亡命。貧困の中、明治21年11月1日夕刻、フィラデルフィアで死亡した。馬場は、その端正なたたずまいと高潔な人格で人に愛された。中江兆民は切々たる追悼文を書いた。福沢諭吉は谷中の天王寺で開かれた8周年忌に寄せて、愛情あふれる追悼文を書いた。8周年忌には、明治の代表的知識人たちを含む140人もの人々が集まった。
●医系技官
井上肇氏と高岡志帆氏は共に、医師免許を持つ医系技官である。医系技官は、医師免許をもっている行政官である。医師ではあるが、医師としての豊富な経験と知識をもっているとは言い難い。医学部では、個人的によほど努力しない限り、社会についての基本的な知識を得ることができない。ほとんどの医系技官は、歴史、社会思想について知識らしい知識を持っていない。これは、民主主義、憲法についての知識の欠如を含む。明治初期の末端の警察官と同様、無知ゆえに、権力志向の本能を制御できず、乱暴な行動をとる。社会の仕組みとそれを支えている思想を知らない人たちに権限を与えると、とんでもない弊害が生じる。明治初期の警察官や現代の医系技官の行状をみると、制限憲法の必要性を、具体例に即して理解できる。馬場辰猪は、専制が強いほど平均力による反動が大きくなり、専制政治は持ちこたえられないと確信していた。医系技官の逸脱行動について認識が共有されつつある。放置すれば、統治の正当性を揺るがしかねない。
●公務員個人に対する損害賠償請求
国家賠償法第1条は、「公務員がその職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる」と規定している。しかし、明治初期と異なり、現代の日本では日本国憲法が言論の自由を保障している。言論を抑圧する行動は、公務員としての職務たりえない。井上、高岡両氏は、自身の違法行為を隠蔽するために言論を抑圧し、病院経営者に圧力をかけて、私人である筆者の職を奪うに至った。公務員個人に対する賠償請求は、逸脱行動をとる公務員に対する対抗手段になりうる。(2016年7月6日「MRIC by 医療ガバナンス学会」より転載)