希望の党が、実質的に解党することになった。責任の一端は、チャーターメンバーの一人である私にある。
希望の党が、誕生して一年に満たない時期に解党に至ったことを国民の皆様に率直にお詫びしたい。 「三権の長には遠慮してもらいたい」という私の発言が、希望の党の運営を難しいものにする一因となった。
民進党からの合流が実質的に決まったあの日の夜、新しい政党として出発するための苦渋の判断だった。悩んだ末に、私自身が壁になるしかないと考えた。
菅政権、野田政権で閣僚を務めた私には、両総理経験者に対するご恩があり、あの発言をすれば禍根を残すことになることは十分に承知していた。一人の政治家として両総理から多くのものを学んできたし、お二人に対する敬意は今でも変わっていない。
あの時のことを率直にお詫びしたい。何とかして局面を打開しなければならないという強い思いが先行し、冷静さを欠いていた面があった。当時の私には、過信と慢心があったのだと思う。
私は、希望の党の結党については、信念を貫いた。それは今も揺らいでいない。
「外交安保は現実主義、憲法は改正、内政は多様性と共生」というのが私の理念の三本柱だ。希望の党は、「安保の現実主義」と「憲法改正」以外にも、「ダイバーシティ社会の実現」というスローガンを掲げ、LGBT の差別解消法の制定などを目指した。 理想を抱いて結党した希望の党が、一年も経たずに解党されることは痛恨の極みだ。
北朝鮮問題が正念場を迎え、自衛隊の日報や公文書改ざん問題があり、通常国会に出された法案審議が佳境を迎えている。国会活動に腰を据えて取り組むべきこの時期に解党することは、希望の党に一票を託して下さった有権者の皆様に申し開きができないと思う。
会長を私が務めている憲法調査会は地方自治、教育を受ける権利、緊急事態の国会機能維持の三つの分野で改正案をまとめたが、本丸である憲法9条については、4月に入ってようやく論点の整理を始めたばかりだ。「憲法9条を含め憲法改正の議論を進めます」という総選挙の際の公約は、果たされていない。
希望の党が何も成していない中で解党に至った責任が、私にはある。その理念や政策が共有されていなかったことを、深く反省している。ただ、希望の党の結党に込めた私の信念は、揺らいでいない。憲法や安保の理念を曲げる形で新しい党に加わることは、政治家としてやってはいけないことだと思う。
初心に返りたいと思う。
本来の私のライフワークは、外交安保や憲法改正に加え、教育制度の充実、貧困問題解消、LGBTの差別禁止、障がい児問題、外国人労働者問題などである。 大学生の時、父が会社を辞め、大学の学費を無料にしてもらった。社会が私にチャンスを与えてくれた。
そのことがきっかけで、大学四年の時に阪神淡路大震災のボランティアに参加し、政治家になる決意をした。政治家を目指した時の原点に回帰し、もう一度、これらの問題に全力で取り組みたい。
幸いこれまでの政治活動の中で多くの仲間に恵まれ、人脈も広がった。永田町・霞が関はもちろん、全国に理念や政策を共有できる人達が多くいる。選挙区には、強い絆で結ばれた仲間がいる。「どこの馬の骨だか分からない」と言われた落下傘候補の私が、仲間のお蔭で、これまで当選を重ねることができた。「運」と「縁」の力だと思う。本当にありがたい。
私は、19年間の経験と人脈を信じ、自らの信念を貫きたいと思う。そして、初心に返って、国民の皆様のお役に立てるよう、一つ一つの政策課題を克服するための努力を積み重ねていきたい。