【安保関連法案】合憲か違憲かを超えた議論へ -神保哲生氏に聞く

安保関連法案について、日本初のニュース専門インターネット放送局「ビデオニュース・ドットコム」を主宰するビデオ・ジャーナリスト神保哲生氏に外国特派員クラブで聞いた。

16日、安保関連法案が衆院を通過し、27日午後には参院での審議が始まった。反対の声が日増しに強くなる中、今国会中に成立するのかどうか、大きな注目を浴びている。数人の識者に法案の評価、メディア報道、反戦デモについて聞いてみた。

今回は、日本初のニュース専門インターネット放送局「ビデオニュース・ドットコム」を主宰する、ビデオ・ジャーナリスト神保哲生氏に外国特派員クラブで聞いた(取材日は7月7日)。

神保氏は15歳で渡米し、コロンビア大学ジャーナリズム大学院修士課程を修了(1986年)。AP通信など米国報道機関の記者を経て独立し、日米のテレビ局向けに数多くのリポートやドキュメンタリー作品を提供してきた。1999年設立のビデオニュース・ドットコムは独立した公共的な報道を行うため、広告収入ではなく会員からの講読料で運営されている。

大手マスメディアが十分に取り上げない、時事トピックの裏側を次々と取り上げるビデオニュース・ドットコムの動画を私自身、非常にスリリングな体験として視聴させてもらっている。

今回、神保氏に特に聞きたかったのは日米でジャーナリズムを実践したご自身の経験から、安保関連法案を巡る議論をどのように受け止めたか、である。合憲か違憲かがメディア報道の中心となっているように見えたが、それだけでよかったのかどうか、また、次の話、つまり憲法を超えたところで、日本の国防あるいは国としての将来をどうするかの議論をしなくて良いのか、という大きな疑問があった。

以下は一問一答である。論旨を明確にするために、若干言葉を整理したところがある。また、日本のメディア状況についてもじっくりと聞いているので、それは別途、ご紹介したい。法案の衆院通過前の話であることにご留意願いたい。カッコ内の情報補足は筆者による。

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外務省の「アメリカの要請にはなるべく応えたいという強い思い」

ー安保関連法案に対し、マスコミ報道は合憲か違憲かを大きく報道してきた。若者たちによる反戦デモも大きな盛り上がりを見せている。一連の動きをどう見ているか。法案は戦争につながるから危ないとする反対派の声もあるが。

神保哲生氏: そういう短絡的なことではないが、「危ない」という指摘は当たっていると思う。その理由は、単純、単調なものではない。

まず、法案には、かなり同床異夢の人が乗っかっている。

一番の首謀者は外務省だが、外務省ではご存知のようにアメリカ・スクール(アメリカ派)が圧倒的に強い。「アメリカ・スクールにあらずんば、外務官僚にあらず」、と。

アメリカ・スクール主流派から言えば、アメリカもいろいろな意味で力も弱くなっているということもあって、アメリカから要請を受けたなら、なるべくこれに応えたいという強い思いがあった。

ただし、憲法の制約があって、特にセキュリティーとか軍事面でのリクエストには日本はできないと言い続けなければならなかった。これに対し、非常に歯がゆい思いを持っていた。その一番最初の経験は1990年の湾岸戦争から始まっているのだけれども。

外務省としては、前回の「2プラス2」(「ツー・プラス・ツー」=日米安全保障協議委員会」、今回の「2プラス2」で決めたようなことをできるようになるといいなあという願望があった。

もう1つ、日本には、旧民主党時代から流れをくむ、タカ派と言われる人たちが厳然といる。日本は独自の軍隊を持っていない、戦争に負けて、憲法9条を作られた。日本がある種のインポテンツであるとー性的なものではなくてー不能者であると思っている人たちだ。

これに、単に軍事という意味ではなくて、国際貢献という綺麗な言葉も一緒に乗っかることで、そこそこの数になる。日本がもっといろいろできるようになったほうがいいじゃないか、と。

例えば、この間亡くなってしまったが、岡崎久彦さん(注: 駐サウジアラビア特命全権大使、外務省情報調査局局長、駐タイ特命全権大使を歴任)とか、防衛大学校名誉教授佐瀬(唱盛)先生とかは、かなり早い段階でそのようなアジェンダをクリアするために、安倍さんを90年代の当選直後から教育してきた。いずれ、安倍というのがそれを実現してくれる総理になるだろう、と。

安倍さんはもうちょっと次元が違って、おじいちゃん(注:岸信介、第56-57代首相、在位は1957年2月ー1960年7月)が成し遂げられなかったことをやりたいという意味と、今回首相としては2回目なので、前回何も名前を残せなかったために今回は何か名を残すことをしたい、という思いがある。

憲法を最初に改正した総理になるという強い願望があったけれども、さすがに憲法改正は議会の3分の2の支持を得るだけでも大変だと。下手に国民投票にかけたら過半数に行かないと、本当に憲法を変えられなくなる。最初は(憲法の改正過程を規定する)96条を変える可能性をチラつかせたのだが、それはあまりにもちょっとひどい、と言われた。

結局、最後に絞り込んだのが、集団的自衛権を行使できるようにした最初の総理になることが、彼の政治的野望だ。そういうレベルで乗っかっている人もいる。

法案の本質としては、サブスタンス(実体)として何があるのかというと、分からない。

僕が見る限りにおいては、結局は、一番のエッセンスを構築しているのは外務省だ。アメリカから要求があったときに、その要求に・・・

ー応えて、海外派兵ができるように?

派兵でも何でも、応えられるようになっておく状態にする必要があるので、首相は「存立危機事態」と言っている。「サバイバル・オブ・ザ・ベリー・エグスタンス・オブ・ザ・ネーション」と。それが揺らぐような事態、という言い方までしておいて、決して具体例は言わない。言ってしまったら、それに縛られてしまうので。

「米国がやろうとすることは何でも」、というのが本当の答えだと思う。

ただ、安倍首相にとっては、集団的自衛権を達成した総理になりたいというような、非常に小さな功名心からだと僕は思う。

同時に、(党内の)右側の人たちは自分たちなりのアジェンダを持っている。

民主党政権の失敗と対抗勢力の弱体化

また、対抗する左側が民主党政権の失敗によって決定的に弱体化している。これも、今回の安保関連法案がここまできたもう1つの要因だ。

ある種、オポチューニストというか、場当たり的状況が可能になっており、本当にどれくらいニーズがあるのか、メリットがあるのかということが、十分に整理されないまま、(法案が)実行されてしまう可能性がある。

その場合の問題は、実際に実行された時に、ちゃんとコントロールできるのかどうか。

誰かが本当に、例えば安倍さんが全部事態を把握して、掌握した上でやっていることであれば、安倍さんの意図しないことまでは絶対に起きない。

でも、安倍さんやその一派が、今回の法案が可能にしている事態すべてを自分で掌握できているとは思えない。

外務省は所詮は官僚であるため、最後は責任をとらなくていいという立場なので、結局、いざこういう法案が通った時に暴走してしまう可能性がある。

暴走する時に、作った人の意図と関係ない形で行ってしまう可能性があるというのが、危ないといえば危ない。「No one is controlling the situation」(誰も状況をコントロールしていない)という可能性がある。

合憲か、違憲かの議論だけで良いか

ー反対する議論の中で、合憲か違憲かという議論がある。それも一つの論点だが、結局、最終的にはどうしたいのか、どうあるべきかという議論が十分にないのではないか。アメリカとの関係をどうしたいのか、という論点もほとんど目にしないが。

おっしゃる通りだ。

違憲か合憲かという議論だけになって、例えば「違憲だからだめだ」となると、いずれ、合憲にするために憲法を変えようという話になったときに、何の抵抗もできなくなる。

憲法を変えるのが、なぜ難しいのかというときに、そこまで本当の必要がないからだと国民が思っていないから、というのであれば、それはそれでいいが、むしろアレルギー的なものに乗っかっている。憲法を変えることへのアレルギーがあることに依存している形の違憲論だ。

今後日本が国内的にも国際的にもどういう国を目指すのかということを、本当は根本的に議論をして、その骨格に基づいて、じゃあ、日本は例えば個別的自衛権しかやらないということはこういう意味になるけれども、それでも日本はそれを目指すべきなんだという議論であれば、それはそれで、そういう根拠で今回の集団的自衛権に反対するならそれは別に構わないけれども、その集大成として憲法があるわけだから、憲法にそう書いてあるからだめなんだというのは、憲法を変えればいいという話になりかねない。僕もそこは弱いと思う。

憲法が憲法になっているのは、その後ろにこういう民意の裏付けがあるんだ、と。その民意というのはこういうものであると。だけど、そういう議論にはなっていない。

ーこういう議論が出る時に、日本人として、いくつかの選択肢を示す論考を目にしたい。いつも戦争、つまり戦闘行為を他国でやっている英国に住んでいると、70年間、日本は戦争をしてないが「戦争がいやだ」と言い続けて戦争が起きないならーここでは紛争地での戦闘行使という意味だけれどー例えば、ウクライナの人もいやだろうと思う。だからといって、紛争を避けられるとも限らない。世界中で起きている、戦争、紛争地での戦闘について、どれだけ認識されているだろうか。安保をどうするのか、日米同盟はどうか、アメリカとどのような関係にしたいのかなど、根本的に考える必要があるのではないか。

なぜここで憲法を盾に議論が強くなっているかというと、1つにはイデオロギー主義的な、教条主義的に反対している人がいるからだ。

でも、それだけではなく、今おっしゃった、アメリカとの関係も今のままでいいのか、アメリカに依存するとき、アメリカはお金がないから、それを日本が埋めると言って、集団的自衛権も入れるというそんな議論でいいのかを考える必要がある。それとも、これは共産党ぐらいしか言っていないことだが、日米同盟を徐々に、軍事同盟から、対等な友好同盟にして行くのか。

そういう議論は時間をかける必要がある。でも今回、突然、国会の法案の形で出てきてしまった。通すと通さないになっている、と。そうすると、止める側は、じっくり時間をかけて議論していこうと言っても、通されてしまう。一番手短にあるツールでとにかく防がなければならない。止めるためには有効である、という判断では(合憲違憲の議論は)戦術論としては間違っていない。

もっと大きなピクチャーの中で考えるとそれだけでは不十分だ。

対米関係も含めて、日本は長期的にどういう国を目指すのかという議論を本当は同時に始めないといけない。でもそれは少なくとも今国会中には結論が出ないのでー。

アメリカの核には反対でも、核の傘の下に生きること

ーどうにも、いつも嘘をつかれている感じがしてならない。自衛隊は実質的には軍隊ではないのかどうか、また個別的自衛権、集団的自衛権などの言葉がいろいろあるが、広い意味ではわかりにくい感じがする。

日米協定のことは色々、考えるべきことはあると思う。もはや、昔の占領時代ではないのだから。

ただ、それはそれとして、沖縄がどれだけ戦略的に重要かというと、軍事面としての議論はあるが、米軍に頼らないということは、共産党のような非武装中立に行くんでなければ、それを自衛隊で見なければならなくなる。

実は沖縄では、日本軍に痛い目に合わされているので、米軍よりもむしろ日本軍の方がよっぽど嫌と思われている。

だから、ただ、アメリカ帰れと言ったところで、じゃあそこは公園にしますというだけで済むかという問題があって。そこは避けて通っているところだ。

みんながアメリカの核には反対だが、アメリカの核の傘にいて平気でぬくぬくやってきたことと同じようなところがある。そこが、戦後レジームからの脱却と安倍さんが言うのだったら、一番大きな矛盾はまさにそこだろう。

ーアメリカとの関係だ。

憲法9条で軍隊を明確に否定しているのに、自衛隊は「隊」だ、と。でも英語では、「セルフ・ディフェンス・フォース」だ。結局、あれは軍隊じゃないことになっている。

PKOで自衛隊が海外にいっても、派遣先で日本は軍隊ではないことになっているので、例えば、撃ってきて自衛隊が応戦した場合にそれは軍事行動ではないので、刑事裁判にかけられてしまう。それが正当防衛だったかどうかを。軍隊が発砲して、日本に帰ってきて刑事裁判にかけられるなんていうような状態になっている。

自衛隊は軍ではなく、裁くための軍法がない。そんな法的に不安定な立場にいる自衛隊が軍と同じ海外に出て行って、危険に晒されるという状態はあってはならないのではないか。

(戦後70年で)もし戦後レジームの転換というならば、一番本当は、やらなければならないことは、日米関係をどうするのか、自衛隊をどうするのか、軍隊にするのかしないのかだろう、本当は。

でも、とてもではないけども、これをまだ議論できるような成熟度が今あるようには見えない。

日本をどういう社会にしたいのか

ーもっと報道すること、書くべきことはあるようだ。

ある。しかし、そういうことを書くと、叩かれたりする可能性もあるが。右からも左からも叩かれることを覚悟の上で、議論の地平を開拓しないといけないのだが。その手前のところで、ああでもないこうでもないとやっている。要するに、この集団的自衛権だ、個別的自衛権だというのは55年体制の議論だ。

55年体制下の旧社会党と自民党がずっとやってきたようなことの、結局はまた繰り返しで、それ自体は僕は無意味だとは思っていないけれども、もう一段上の、「日本はどうしたいんだ」ということの議論は、絶対に必要だと思う。

でも、これは経済についても全く言えることだが、日本をどういうような社会にしたいのかという時に、やっぱり今は安倍政権に代表される、小泉さん以降だが、新自由主義な政策をとっていて、結果的に日本の租税負担率というのはアメリカにならんで、世界的にも最も低いものになっている。

それでいて、アメリカよりもはるかに充実した、まあ中福祉ぐらいの福祉を提供している。低負担、中福祉になっているから、日本は大赤字だ。

じゃあ、その福祉を切るほうをやるのか、それとも、日本はより高負担な、中負担ぐらいまで負担を増やすけれども、その代わりちゃんと中福祉を維持するのかというのも、本当は国のあり方として議論しなければいけないが、全部場当たり。

ちょっと社会保障費が高いからちょっとずつ削っていきましょう、とか。結局、それは弱者の方に全部しわ寄せがいく。生活保護を絞られたり。老人医療を絞ったりとか。

特に公的保障に依存しなくてもいいお金持ちの人たちは、みなさん、ぬくぬくとくらしている。

ー政治の選択が必要ではないか。自民党以外に政権を担える党として、投票できる政党が必要だ。

自民党が心中主義政党になったと思えるのであれば、対立政党がもうちょっと出てくるのだが、まず右と左で言えば左側が今、どこにいるのかわからない。

自民党内に、いわゆる経済保守という新自由主義者とそうじゃない、オールドライト(旧右派)の人たちがいる、宏池会に見られるような。これが非常に弱体化してしまっている。

自民党の今回の選挙での得票率は20%ちょっと。公明党と合わせても25%。野党は全部合わせると、それよりも取っている。

票だけでは、自公民よりも野党の方が多いのだけれども、こっちは、維新があり、民主党があり、共産党あり、社民党ありだから、結局、わずか20-25%の支持の人たちが3分の2の議席を取ってしまっている。

当面、対抗勢力がすぐに出てくるというのが見えない状態。

ー野党勢力がなぜ弱いのかについてはまたじっくりと。

デモも大事だし、僕はどんどんやったらいいとは思うのだけれど、同時にやっぱり、野党を結集させるにはどうしたらいいか。自民党内の、安倍さんの政策を決していいとは思っていない勢力と野党の一部をもうちょっと連携させるような流れとかをつなげることができる人がかつてはいたのだが、今はもうそんなことをできる人は誰もいなくなった。

ー残念だが、ここから政治的状況は変わっていくか。上に上がる可能性は?

底を打てば、そこから上がる。まだ底を打ったかどうかは見えない。

ーしかし、様々な新しい動きが出てきたのでは?危機感が大きな声として出てくるようになった。

さすがに、あまりにも政権党が実は少数党でありながら議席をたくさん持っているというだけの理由で、かなり横暴な政策をごり押ししてきたということで、危機感が出てきている。

ただ、果たして、それが投票行動に繋がるかどうか。

政権としては、来年の参議院選挙までには、このことは忘れられるだろうと思っている。まだ1年以上あるから。だからなるべく早く通したい。

でも、その間にまたいろんなことが起きる。ギリシャもどうなるかわからないし、経済も。そうなったときに、本当に、去年の8月何日に、あるいは9月に、あの法案を無理やり通されたんだよ、と国民が覚えているかどうかー。

(取材日、7月7日。東京・外国特派員協会にて。)

(2015年7月28日「小林恭子の英国メディア・ウオッチ」より転載)

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