■ 片方では鍵をかけ、片方で外に出っぱなし?
日本で特定秘密保護法が成立したが、視点を日本の外にも広げると、いわゆる「NSA報道」とのからみが気になる。
例えば、昨年6月から、元米中央情報局(CIA)職員エドワード・スノーデン氏のリーク情報により、米英の諜報機関の機密情報が複数の報道機関によって暴露されている。米英はともに核兵器を所有し、世界の紛争地に軍隊を派遣している。そんな国の機密情報が漏れている。いわば、一方では鍵をかけておいて、一方では蛇口が開けっ放しになっている状態だ。果たして日本でかけた鍵でどれだけ機密情報を閉じ込めて置けるのだろうか?そんな疑問を筆者は抱いた。
■ 外国と比べてどちらがよいかは比較しにくい
特定秘密保護法の成立前、日本の外に住む筆者に対し、この法案を批判して欲しいという主旨の原稿依頼を受けた。諸外国の例はこうで、良い面も悪い面もあるという指摘では済まされず、「反対である」というテーマに沿っての原稿が欲しい、と。
しかし、筆者の正直な思いとして、(上)で表記した数カ国の機密保持体制と日本の特定秘密保護法を比較し、どちらが報道の自由を担保する面でより良いかの結論を下すのは、かなり困難だ。政治環境、国防についての考え方や実践の度合い、国民の言論の自由についての考え方など、異なる要素がいくつもあるからだ。
■ 反権力を表に出す英国ジャーナリズム
例えば英国である。日英のジャーナリズムの立ち位置には、大きな違いがある。
英国では放送機関には公平さが求められるが、新聞界は独自の論調を前に出す。
報道の原点は「反権力」だ。ある事柄が国家の機密であったとしても、伝える意義があるとジャーナリスト側が信じれば、報道するのが基本姿勢だ。ジャーナリズム機関が報道する場合、記者、編集幹部、経営陣が一丸となり、時には裁判沙汰になっても、(資金が許す限り)報道を続けてゆく。
法律の規定、解釈の比較だけでは国家機密と報道の関係が明らかにならない。
最後に、日本で報道機関が果敢な報道を行うための助けになればと思い、ドイツと英国のメディアによるスノーデン事件の報道例を紹介する。
■ ガーディアンの報道例
スノーデン元CIA職員からのリーク情報を元にして、米国家安全保障局(NSA)や英政府通信本部(GCHQ)が大規模な情報収集をしていたという報道を率先して行ってたきたのが、英国ではガーディアン、米国ではワシントン・ポスト紙、ドイツのニュース週刊誌「シュピーゲル」であった。
ガーディアンはNSA報道を始めるにあたり、英政府関係者に事実確認のために連絡を取った後で、何をどのように報道するかを部内で熟考し、独自に報道を開始した。
昨年6月上旬の初報以降、スノーデン氏のリーク情報を引き渡すようにと何度か政府側から言われたが、ガーディアン側は拒否。7月中旬、官邸関係者がガーディアン本社を訪れ、引渡しを命じた。これを拒否したガーディアン編集長アラン・ラスブリジャー氏は巨額の訴訟費用を投じて引渡しを跳ね返すのではなく、関係者の眼前で情報が入ったコンピューターのハードディスクを破壊する道を選択した。
編集長者はすでに情報を米ニューヨーク・タイムズ紙や独立サイト、プロパブリカと共有する手配をしていた。これを利用して報道は継続中だ。「報道の自由を憲法の修正第1条で規定する米国のメディアには政府側はおいそれとは手を出さないだろう」という計算もしていたようだ。
8月末、ロンドン市警はNSA報道に関連する資料を携帯していた、ガーディアンの記者(当時)グレン・グリンワルド氏のパートナーの男性を英ヒースロー空港で数時間に渡り拘束した。このとき、携帯電話、ラップトップなどNSA関連の情報が入っていると思われる電子機器を、テロリズム防止法を使って、男性から没収した。この拘束事件が発生して初めて、ラスブリジャー編集長は前月に起きたハードディスク破壊の顛末を自分のブログで発表した。
英当局が国家機密をこのような手荒な形でメディアから没収することは非常に珍しい。
その後も様々な逆風が吹いた。「ガーディアンの報道は国益に損害を与えている」という趣旨の発言がキャメロン首相を含む複数の政治家の口から出るようになった。
11月には国内及び海外の諜報活動に従事する英国の3大情報機関(国内の諜報活動によって国家の安全を維持するMI5、国外の諜報活動にかかわるMI6、通信傍受を担当するGCHQ)のトップが初めてそろって公に姿を現し、議会の情報安全委員会で証言し、この中でMI6長官が活動情報が報道されたことで「大きな損害があった」と述べるに至った。
■ 編集長はどうやって議員らを振り切ったか
12月、ラスブリジャー編集長は下院の内務問題委員会に召喚され、1時間にわたり委員ら(議員)から質問を受けた。報道によってテロリストたちに情報が行き渡り、「国益を損なっている」という批判に対し、編集長は「米英政府幹部から損害は発生していないと聞いている」と答え、国家の安全を脅かしているという説には「曖昧な批判で、具体性がない」「証拠が示されていないので、検証ができない」と切り替えした。
質疑の中で、編集長はいかに同紙が幅広い情報網を通じてリーク内容の真偽やその影響について調査・分析し、注意深く報道をしているかを切々と述べた。独立した新聞の編集長が報道内容について議会の委員会に召喚されるというのはそれだけでも報道にブレーキをかける圧力になり得るが、ラスブリジャー氏はこの機会を使って、ガーディアンが真摯に報道を行っていることをアピールした。
■ シュピーゲルが経験した逮捕事件
ハンブルクに本拠地を持つドイツのニュース週刊誌「シュピーゲル」は、調査報道に強い媒体だ。筆者がロンドン支局長クリストフ・シュアーマン氏に聞いたところによると、ドイツ政府がシュピーゲルに対し、NSA報道を規制するような圧力をかけたことはないという。「一般的には権力側からの圧力がないわけではないが、ハードディスクを破壊させるというようなあからさまな行動にはでない」。
ドイツの報道の自由において大きな分水嶺となる事件(シュピーゲル事件)が発生したのは、1962年だ。シュピーゲルはドイツの軍事力を分析した17ページにわたる記事を掲載したが、これが国家反逆罪などに当たるとして、発行人、編集長、記者たちが逮捕されたという。言論の自由を踏みにじるような展開に抗議する大規模デモが発生し、内閣も崩壊した。
最終的にシュピーゲル側は無罪となったが、これ以来、「当局はメディアに簡単には手を出さない」という。また、編集部員250人と事実確認を専任とするスタッフ85人を抱えるシュピーゲルが綿密な調査を行った後に報道することも政府は知っており、これが干渉を受けないための抑止策となっているという。
ドイツでは、憲法第5条で報道の自由が保障されている。報道する側は、個人、国家の安全保障、諜報部員の命などに損害を与えないよう、責任を持って何を報道するかを決めている。また、メディア側も「国家の安全保障に関わる問題を報道するとき、どんな影響があるのかを非常に慎重に編集部内で討議する」という。
言論の自由、報道の自由を守るには政府当局側と報道機関の間に緊張感と互いに対する敬意も必要という実例をシュピーゲルで見た。
しっかりした報道が、権力からの無用の圧力をはねかえす抑止力になるーこれは覚えておいた方が良いだろう。(終)
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「新聞研究」1月号、「メディア展望」1月号などに掲載された筆者記事に補足しました。
(2014年2月2日「小林恭子のメディア・ウォッチ」より転載)