ジェンダーがどうのなんて難しい言葉をわざわざ使うのは好きではありません。できるだけ普通の言葉で書きたいと思います。
私(男性です)には子供の頃から違和感を感じていたことがありまして、女の子から「男の子はいいよねぇ、ケンカしても次の日にはケロッとしてて。女の子は次の日に引きずるからねぇ」という内容のことをよく言われました。私はいつも「ほぉおぉん」くらいの曖昧な返事をしていましたが、心の中ではそれは性別とは関係ないんじゃないかなぁと思っていました。
「男の子はケンカをしても次の日にはケロッとしているべし」という暗黙のルールが存在することを当時の私は幼いながらも感じていましたし、私以外の少年達も感じていたのだと思います。精神構造の単純な人は「男の子はケンカをしても次の日にはケロッとしているべし」というルールを自分に課しているうちに、いつの間にかそれが元々の自分の性格の一部だと思いこみます。私は子供の頃からヘソまがりだったので「男の子はケンカをしても次の日にはケロッとしているべし」というルールに従っているふりをしていましたが、心の中では女でもすぐにチャンネルが切り替わる人はいるし男でも私みたいにしつこい性格の人もいると思っていました。この暗黙のルールはいったいなぜ存在するのか?子供の頃は分かっていませんでしたが、今でははっきりと分かります。これはかつての性差別の残骸なのです。
かつての日本では女性の権利が男性と比べて極端に弱く、自立した人格としての権利を認められていませんでした。そこで、女性にも男性と同等の権利を認めなくてはならないという主張が行われたわけです。その運動自体は正しいと思いますし、結果として女性の権利が認められつつあることも良いことだと思っています。
ただ問題が大きく分けて二つあります。一つ目は、女性の権利を主張する際に男性だけの特権とされていたことの多くを女性が獲得した一方で、女性だけの特権は女性だけの権利のままにされてしまっていることです。こういうことを言うとセコくて器の小さな男だと思われますから誰も言いませんが、男性の多くが思っていることをあえて声を大にして言いたいと思います。
「男女平等を求めているなら、男性にオゴられることを拒否すべきだ!!」
「男性にオゴられて当然と思っているやつには男女平等なんて言う資格ないんだぞ!!」
男女平等でいきたいなら女性だけの特権を放棄するべきで、女性だけの特権は維持したままで男性だけの特権は認めないというのはジャイアンの理屈です。
男性はみんな女性から嫌われたくないがために何も言いませんが、だからといって不満がないわけではありません。
そしてもう一つ、より重大な問題があります。それが冒頭で触れた「男の子はケンカをしても次の日にはケロッとしているべし」というやつ、すなわち男性への性差別です。
つまり、「女とはこうあるべし」というのは女性への差別だから世の中から排除しなくてはならないという流れができつつありますが、一方で「男とはこうあるべし」という男性への差別は世の中からほとんど排除される気配がないということです。
女性は「女らしさ」を意識して生きていくことも、「女らしさ」を無視して生きていくことも、都合のいい時だけ「女らしさ」を持ち出すことも可能なわけです。妙齢の女性は「女らしさ」を意識して男性に好かれようとします。進学や就職に関しては「女らしさ」というのは差別だと考えます。いつまでも恋していたいとか甘い物には目がないとか、そういう都合の良い時には「女らしさ」を利用します。
一方で男性は「男らしさ」を無視して生きていくことがまったくもってできません。
男性への性差別と女性への性差別はふたつでひとつの関係です。女性への性差別を撤廃するのであれば男性への性差別も撤廃しなくてはいけませんし、男性への性差別を維持するのであれば女性への性差別も維持しなくてはいけません。どちらか片方だけを撤廃して片方だけを維持しようとするとバランスがおかしくなってしまいます。
果たしてどうバランスがおかしくなるのか?話を極めて単純化して説明しましょう。
かつての日本には男性が勝って女性が負けるというルールがあった、と考えてください。
それでは不平等だから女性にも勝つ権利を認めるべきだという話になりました。そして女性に勝つ権利が認められました。実際に世の中には優秀な女性がたくさんいますから、男性に勝つ女性もたくさんいます。しかし男性には負ける権利が認められていません。現実には女性に負ける男性がたくさん存在するのですが、彼等には負ける権利が認められていません。(今回の「女の上司に指図されるような男ってどうなの?」というタイトルはいわゆる"釣り"ですが、こういったタイトルに反応する人がたくさんいるということが、男性への性差別の中で息苦しい思いをしながら生きている人が多くいるという証でもあります)
女性には勝つ権利も負ける権利も戦わない権利も認められています。しかし男性には勝つ権利しか認められていません。負けた男性は無能と嘲られますし、戦わない男性はニートと蔑まれます。戦わない女性は「家事手伝い」という肩書きで堂々と合コンにもお見合いにも参加しますが、戦わない男性は人目を避けて家の中でじっとしているしかありません。負け続けた男性もいずれ戦うことをやめて家の中に隠れてしまいます。こうやって男性は社会的に孤立していくわけです。
社会的疎外は孤立している人の個人的な問題ではありません。彼等をムリヤリ社会復帰させても、いずれまた負けが重なって家の中に隠れることになります。社会的疎外の問題を根本から解決するためには、男性への性差別を撤廃するしかありません。
あなたはどう思いますか?
ふとい眼鏡の電子書籍
「愛というストレス、幸せという強迫」(アマゾン Kindleストア)
(「誰かが言わねば」2014年1月20日より転載)