フランスのオランド大統領(60)と事実婚を解消したバレリー・トリルベレールさん(49)が破局の一部始終を明らかにした著作『いまの時に有り難う』を出し、ベストセラーとなっている。大統領の不誠実に対する怒りが本の主旋律をなしているが、事実婚で初めてファーストレディーになったことへの周囲の偏見の中で、懸命にその役割を模索する1人の女性の姿も浮かび上がる。
執筆動機は「大統領の不誠実な態度」
本は9月初めに出版されるや大きな話題となった。オランド大統領の政治家としての優柔不断な性格や、自分から関係を解消した大統領が、いまになって執拗に復縁を迫っていることを明かしたからだ。閣議の最中や外国首脳との食事の合間にも、SNSで「愛している」「もう誰とも付き合っていないから」と復縁を求める伝言を送りつけている。1日に二十数回に上る時もある。
長年、写真週刊誌『パリ・マッチ』の政治記者で夫と3人の子供がいた著者は、2005年にジャーナリストと取材対象者の一線を超えてオランド氏と関係ができ、離婚。一方の同氏は07年にセゴレーヌ・ロワイアル女史(現・環境相)との事実婚を解消し、トリルベレールさんと事実婚の関係になった。12年5月、同氏は大統領選に当選。トリルベレールさんは初の事実婚ファーストレディーとして注目を浴びた。
しかし今年1月、大統領はヘルメットで変装して、女優との密会にオートバイで向かうところを大衆誌にスッパ抜かれた。トリルベレールさんはショックで入院したが、退院するや大統領は関係の解消を通告。「大統領の不誠実な態度がこの本を書かせた」と執筆の動機を明かしている。
史上最低とも言われる支持率低迷に悩む大統領にこの本はさらなる打撃となった。一言でいえば、フランス人が重んじる「強い指導力ある大統領」のイメージを大きく損なうものだったからだ。
「ガラスの破片で傷だらけに」
ただ2人の関係とは別に、「大統領夫人の社会的役割」という点から、私は本書を興味深く読んだ。というのは、トリルベレールさんはファーストレディーになってから自分の役割を必死に模索していたからだ。
「ファーストレディーとはポストの名称ではなく、その役割は不明確で曖昧だ。各人各様にやっているが、私はあまり物議を醸さずに私がやれることを日々探した」
と述べる。
ファーストレディーとなった女性は一様に「自分の役割は何か」と悩むものらしく、安倍晋三首相の昭恵夫人も、講演で「首相夫人として何をしたらいいか大いに悩んだ」と語っている。第1次安倍政権の時に訪米し、ブッシュ大統領のローラ夫人から「あなたがしたいことをすればいいのよ」とアドバイスをもらって楽になったという。ただトリルベレールさんの場合は事実婚というハンディがあった。
「私がファーストレディーとなるには多くの欠点があった。結婚していない、歴代の大統領夫人のように裕福な家の出でない、働き続けねばならない......。これらの条件は本来ファーストレディーとなることを許さない。しかし私は前例を破ろうとエリゼ宮に乗り込んでガラスの天井を壊したが、砕けたガラスの破片で傷だらけになった」
と記している。
ガラスの天井とは女性に対する見えない差別のことだ。メディアは誹謗中傷を浴びせた。ブルジョワの高慢で冷たい女、夫の仕事に口出しする女、ファーストレディーになっても仕事を辞めず、金銭に貪欲な女......。
しかし彼女は父親が障害者で、一時は一家6人が障害者年金で暮らした。彼女も高校生の時から店員のアルバイトで家計を助けていた。また大統領夫人には給与が支払われず、大統領とは事実婚のため将来の金銭的保障がない。このため彼女はエリゼ宮入りしてから雑誌記者、テレビの司会など幾つか仕事を切ったが、パリ・マッチ誌の書評欄だけは持ち続けた。
「日陰者という世間の目が私への批判を増幅させた。もし正式に結婚していたらこれほどのことはなかっただろう」
と言う。
昭恵夫人と意気投合
大統領もそうした彼女の境遇に鈍感だった。四面楚歌の中で、彼女は徐々にファーストレディーの役割を見出していく。それは国内外の恵まれない子供や女性たちへの支援活動だ。非政府組織(NGO)とコンタクトをとり、企業や財団に資金援助要請の手紙を書いた。エリゼ宮でチャリティーを開き、乗り気でない大統領にあいさつさせ、第三世界の現場にも暇を見つけては足を運ぶようになった。
昨年6月、国賓で大統領と来日した際には、女性に対する性暴力問題に取り組むことで昭恵夫人と意気投合し、結局、大統領との関係解消で実現しなかったが、今年一緒にアフリカに行くことを約束していた。
ベストセラーとなった著書 (筆者撮影)
ファーストレディーの中で、彼女が絶賛するのがオバマ大統領のミシェル夫人だ。初めて会ったのは12年5月、エリゼ宮入りした直後のことだ。夫たちが米キャンプデービッドで主要国首脳会議(G8サミット)に出席している最中、ミシェル夫人は同行したファーストレディー6人をホワイトハウスの昼食会に招いた。
「ミシェル夫人はオーラがあり、完璧にホワイトハウスの女主人を演じた。私はこの貴重な時間を1秒でも逃すまいと、ヘタな英語で自分がかかわる慈善事業を説明し、ミシェル夫人がやっている肥満防止運動の内容をたずねた」
「私はすべてに飢えていた。ミシェル夫人と突っ込んだ話をしたかった。彼女は輝かしい弁護士の仕事をなげうって大統領夫人になった。その彼女からファーストレディーの役割は何なのかを聞けるなら私は何でもする用意があった」
皇后陛下のお気遣い
ところで、大統領夫人としての1年8カ月の間で最も思い出に残る国賓訪問は、昨年6月の日本だった。
「天皇、皇后両陛下主催の晩さん会は、いまでも忘れがたい、魂を奪われるような最高の記憶として残っている。 北フランス出身の貧しい私のような小娘が、皇后から『ミチコと呼んでください。私もファーストネームで呼ばせていただいていいですか』と言われようとは。私は『皇后さまとお呼びするしか失礼でできません』と言いました。皇后さまは私の立場を理解してくださいました」
一方は終身の皇后、他方は一定期間だけの大統領夫人。この決定的な違いに気おくれするトリルベレールさんを、皇后も分かってくれたということだろう。続けて、
「別れ際、皇后はカメラの放列の中を優しく抱擁してくださいました。(皇后の体に触れないという)プロトコールを守らなかったため、私は批判を浴びるものと覚悟した。しかしこの時はなかった」
とも書いている。彼女がメディアにいかに過敏になっていたかが分かる。
彼女はいまプロトコールから解き放たれ、子供や女性支援のために世界を飛び回っている。
西川恵
毎日新聞客員編集委員。1947年長崎県生れ。テヘラン、パリ、ローマの各支局長、外信部長、論説委員を経て、今年3月まで専門編集委員。著書に『エリゼ宮の食卓』(新潮社、サントリー学芸賞)、本誌連載から生れた『ワインと外交』(新潮新書)、『国際政治のゼロ年代』(毎日新聞社)、訳書に『超大国アメリカの文化力』(岩波書店、共訳)などがある。2009年、フランス国家功労勲章シュヴァリエ受章。本誌連載に加筆した最新刊『饗宴外交 ワインと料理で世界はまわる』(世界文化社)が発売中。
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(2014年10月16日フォーサイトより転載)