歌舞伎町伝説の「元中国人」密着選挙映画が見せる日本人の「排外性」--野嶋剛

「どこに帰れというんですか。私は日本人です。元中国人ですよ」
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 現在、東京の「ポレポレ東中野」でドキュメンタリー映画『選挙に出たい』が公開されている。1988年に留学生として来日し、20年以上にわたって歌舞伎町の風俗界で働き続けた伝説的人物、李小牧(り・こまき)さんを密着取材したもので、彼が2015年に日本国籍を取得し、その年の新宿区議会選挙に出馬して落選するまでを追っている。監督の邢菲(ケイヒ)さんは中国出身の女性フリーディレクターで、日本のテレビ番組制作会社でドキュメンタリー番組などを手がけてきた。

父を裏切った政治へのリベンジ

 まずドキュメンタリー作品としてのクオリティーの高さには、目を見張らされた。長期間に及ぶ密着取材で大量の素材を集めたであろうが、よく吟味されており、巧みな編集によって過不足なく仕上げた78分間の作品は、テンポがよく観客を飽きさせない。邢菲監督はこれが初の長編作品というから驚きだ。

「歌舞伎町案内人」として名を馳せた李さんは、歌舞伎町で故郷湖南の料理店「湖南菜館」を経営しながら、『ニューズウィーク日本版』などにコラムを持ち、著書も多数ある。本作は、このユニークな素材に対して適度な距離感を保ちながら、表も裏もあっけらかんとカメラの前にさらけ出す主人公の善悪や美醜を超えた人間性の面白さを掘り起こす。

 なぜ中国の国籍を捨ててまで出馬するのか、という問題に迫るため、邢菲さんは李さんの帰省に同行する。そして文化大革命時代に毛沢東を支持する「造反派」として権力の側に立ちながら、文革後に政治犯として投獄され、家族に辛酸を嘗めさせることになった父親への思いを語らせているパートは、圧巻である。

 李さんの青少年時代は中国の政治によって破壊され、役者への夢も閉ざされた。それなのに、日本で政治に希望を寄せて選挙に出た。その理由を、李小牧さんはこう語る。

「父は政治を志して失敗に終わった。だから俺は日本で試してみたい。民主社会の政治というものを」

「俺は父の影響を受けている」

「政治はやっぱり崇高なものだと思うんだ」「誰もが参加すべきもの。それが政治だ」

 中国を追われるように日本に渡った李さんは、父を裏切った政治に対して、いい意味での「リベンジ」をここ日本で果たそうとしているのである。

「中国人嫌いなんだよ」

 映画評としては「ぜひ観に行ってほしい」という以上に言うことはないのだが、この作品を観た日本人として、どうしても注目せざるを得なかったところがある。それは作品中に登場する日本人の反中的言動である。

 李さんの選挙活動中、通りがかったある高齢の女性は、「李」という名前から彼が韓国人だと信じ込んでいた。カメラを向けた邢菲さんが、李さんは元中国人であると告げると、こんなセリフが洩れる。

「中国の人じゃ私、支持できない」

「悪いけど、韓国の人はまだいいよ。合わせようとしてくれるから。日本人を嫌いでも」

 その理由を問われると、女性は隣人にうるさい中国人がいて、注意したらトラブルになったからだと明かす。

「怖いよ、性格が」

「女の人よ。日本人だったら気をつけるでしょう」

「それは違うと思うのね」

「ちょっと敬遠する」

 と、言葉は続いていく。

 サラリーマンの若い男性は、歩きながら邢菲さんとこんな会話を交わした。

 男「あんた中国人だろ」 

 邢菲さん「私も中国人です」

 男「オレ中国人嫌いなんだよ。間接侵略しているからね。香港と台湾はまだ信用できるけど、大陸の人間は大嫌いなんだ」

 邢菲さん「彼に対しても?」

 男「落ちてほしいね」

 また、喫茶店の店主の女性は、こう語る。

「みんな日本人は文句を言わないで与えられた仕事をこなしているから、なんとかなっているのよ。そこへさ、中国人が来てさ、それでもう薬やるし、カードは盗むし、殺しも入ったからね それからピッキングが入った。もうないものはないものね、中国人がやったのは」

「私は日本人です」

 そうした言葉の刃は、日本人の老若男女から李さん自身にも次々に向けられる。それでも彼は踏みとどまって「これが民主主義」と笑顔を見せ続ける。だが、表情ががらりと変わった唯一の瞬間があった。

 李さんが街頭演説をしているとき、男性の通行人から「中国に帰れ」という罵声が飛んだのだ。早足で立ち去っていく男性に対して、李さんは追いかけながら、叫び続けた。

「どこに帰れというんですか。私は日本人です。元中国人ですよ」

 この正論に、男性から一切の返事はなく、雑踏の中に消えていった。

 やらせではないかと疑わせるほどにストレートな日本人たちの肉声が、この作品には詰まっている。すべての日本人が彼らと同じだというつもりはない。ただ、その強烈な排他性が、我々の社会の一部に確かに存在することを突きつけられるのみだ。

 それらの声は、相手が邢菲さんだからこそ語られ、得られたものではなかっただろうか。

 もし、日本人がビデオカメラ向けていたら、彼らはこんな話をしなかったのではないか。世間の評判を重視する日本人は、日本人同士で差別的な話をすることは滅多にない。中国人の、しかも、若い女性が相手だから、大胆に語った部分があったように私は思う。

 私の個人的感想だが、中国人が日本人を批判するときは、仲間内や身内で語っている言葉をそのまま日本人に投げつける。日本人の場合は、仲間内や身内では語らないようなことを中国人に投げつけるように見える。

格好悪かった「民主党」

 日本の反中感情の拡大には、中国の反日的行動や在日中国人の素行など、それなりの理由がある。しかし、その中国国家や中国人全体を、目の前にいる李さんという、日本社会に最も深く根付いた中国人の1人であり、日本に帰化した人物に、すべて背負わせるような言動は、あまりにもアンフェアではないか。

「こと中国人に対しては仕方がない」という言い訳は成り立たない。もし、人権に敏感な国であれば、一言でアウトになる発言ばかりである。さらに言えば、李さんは選挙に出ている時点で、中国人ではないのだ。

 かねて私は外国人の知人に「日本人は排外的だ」と言われるたびに、「そんなことはない。誤解している」などと反論してきた。入国管理や住民登録などの制度的な欠陥は認めつつ、日本人そのものの本質を弁護してきた人間なのだが、この作品を観たことを機に、2度と自信を持って「日本人は排外的ではない」と語れないなとつくづく思った。

 繰り返しになるが、邢菲監督は、こうした点にスポットを当てるためにこの作品を撮ったわけではない。上映後の舞台挨拶で「日本人を嫌いになりませんでしたか」と質問された彼女が、「中国人にそう思われる理由があるので、私たちも反省しなくてはなりません」と淡々と述べた姿が印象に残った。

 最後に付け加えれば、李さんの出馬に対して、格好悪い対応を見せたのは当時の民主党だった。最初は党の公認候補としての出馬をもちかけながら、歌舞伎町で活躍した外国人であるという理由で、扱いを公認から推薦に取り下げた。ところが、無所属で出馬した李さんの当選が見えてきた途端、手のひらを返して彼のポスターに民主党のシールを貼るという一貫性のなさ。多様性や他者への包摂を掲げた政党らしくなく、その後に起きた党の消滅も、むべなるかなと思わせた。

『選挙に出たい』の上映情報はこちらから。

野嶋剛 1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。

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(2018年12月8日
より転載)

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