高速鉄道建設:日本は「タイ」では中国に勝てるのか

高速鉄道発注競争、次はタイ。日本が勝ち取るために必要なことは。

 9月29日、インドネシア政府は高速鉄道建設において日本ではなく中国を選択した。早速、菅義偉官房長官は「遺憾の意」を表明したが、いったい何がどう「遺憾」なのか、さっぱり分からない。インドネシアを舞台にした高速鉄道発注競争において、とどのつまり日本は敗北したということだろう。

 思えば4カ月ほど遡った5月27日、日本はタイ(首都バンコク=チェンマイ路線)における高速鉄道建設計画を、日本の新幹線方式導入を前提に調査を進めるとの覚書に調印している。かくて世界規模で繰り広げられている高速鉄道発注競争は、日中共に1勝1敗ということになる。

 おそらく日本側は「安全と安心」をキーワードに高い技術力とオール・ジャパンで売り込めば、"親日・嫌中の東南アジア"では有利な戦いを展開できるはずと想定していた――有体にいうならタカを括っていた――に違いない。ところがインドネシアの担当大臣が説くところでは、同国政府決断の根拠は高い技術力ではなく低い建設価格だった。親日も嫌中も関係なさそうだ。一説には日本側実施の建設基礎調査情報の管理が杜撰だったとも伝えられるが、やはり現実は甘くはなかった。

譲れない至上命題

 そもそも中国が国内鉄道を延伸し、東南アジア大陸部に鉄道ネットワークを構築しようと構想したのは1990年代初期。つまり我が国が「失われた10年」のトバ口に立っていた頃である。この構想を地図化したと思われる『大西南 対外通道図』(1993年 雲南省交通庁航務処)には、すでに昆明を起点にミャンマー、ラオス、タイ、ヴェトナム、カンボジア、マレーシア、シンガポールなどを鉄路・水路・陸路・空路などで結ぶ物流ネットワークが描かれ、各ルートの建設費用・工事期間・完成後のトン当たり輸送コストなどが記されている。関係各国との話し合いをしての結果とも思えないから、やはり自国の都合だけで他国の物流ルートを整備・拡大しようというのだろう。これを帝国主義といわずして何と形容すべきか。

 それはさておき、その時から4半世紀ほどが過ぎたが、中国は経済成長の波に乗り「大西南 対外通道図」が示したルートに沿って着実に南下を進めている。昆明をハブとする中国主導の物流ネットワークはミャンマー、ラオス、タイに向かって広げられているのだ。

 歴史を振り返るなら、漢族の南下(漢族の「熱帯への進軍」)は毛沢東による中華人民共和国建国を機に一時中断されるものの、1970年代末に鄧小平が対外開放政策を打ち出すことで再開された。現在の中国の東南アジア進出は、共産党政権の覇権主義的拡張であるが、同時に漢族による南下という歴史的文脈の中で捉えておく必要があるはずだ。

 いいかえるなら、高速鉄道売り込みもまた、たんに我が新幹線のパクリ車両(もちろん運行に関するノウハウも含むが)の海外展開というだけではなく、鉄路による物流ネットワークというソフト・パワーを拡大させ、最終的には熱帯への進軍を確固としたものにしようという"魂胆"が考えられるのだ。彼らの狙いは車両というハードのみならず、ネットワークというソフトを押さえることにある――ここに高速鉄道の海外売り込みに対する彼我の違いがあると考えるべきだ。車両というモノを売るだけではなく、鉄道で運ばれるヒト・モノまでも北京がコントロールしようというのだ。その先に「一帯一路」があることは容易に想定できるだろう。中国にとってインドネシアでの高速鉄道受注は「一帯一路」の成否を占う最初の試金石であり、であればこそ如何なる手段を講じても押さえねばならなかった。インドネシアでの勝利は、習近平政権にとっては断固として譲れない至上命題であったに違いない。

「一帯一路」にとっての次の舞台はタイである。タイでの勝利も断固として譲れないということになる。

オール・タイでの取り組み

 ここでタイにおける高速鉄道建設計画の歴史を、簡単に振り返っておきたい。

 タイ政府で最初に中国との合作による鉄道整備計画に積極姿勢を示したのは、アピシット(袁順利)民主党政権(2008年12月~2011年8月)であった。その中心人物がアピシット首相に加え、2013年秋から2014年5月のクーデターまで反タクシン運動を積極指導したステープ副首相と、現在もなおアピシット党首側近として政治活動を共にしているウィーラチャイ(李天文)首相府大臣(後に科学技術大臣)だった(肩書は、いずれもアピシット政権時のもの)。

 同政権は、(1)バンコクを起点に北部のチェンマイ(745キロ)、東北部のノンカイ(615キロ)、南部のハジャイ(937キロ)、東部のラヨン(221キロ)をそれぞれ結ぶ高速鉄道路線(総予算は、バンコク外環高速道路建設の207億バーツを含めた7000億バーツ規模)(2)ラオスの首都であるヴィエンチャンとメコン河を挟んで対岸に位置するノンカイを基点に、コーンケン、コーラートなど東北タイの主要都市を経てバンコクに繋がり、さらに南下してマレーシア国境のペダンぺサールに至るという、南北を縦断する総延長1700キロ(総予算は3000億バーツ規模)――の2路線をタイ中共同事業とする方針を打ち出していたのだ。

 そして、総選挙によって同政権を打倒し誕生したインラック政権(2011年8月~2014年5月)は、中国との合作による高速鉄道建設を含む国内鉄道整備計画に関するかぎり、アピシット政権が敷いた路線を引き継いだ。

 さらに2014年5月のクーデターで政権を掌握したプラユット首相は、当初はインラック政権の政策全面的凍結・見直しの方針を打ち出したものの、ほどなくして中国との合作による高速鉄道建設計画に関してのみ前政権の方針を踏襲する方向を表明しただけでなく、同計画を同政権が策定したインフラ整備8年計画に盛り込んだ。

 つまり、タクシン派対反タクシン派の激しい対立が続くタイではあるが、こと中国との高速鉄道建設に関しては、国軍、タクシン派、反タクシン派を問わず、いわばオール・タイで取り組んできたといえる。そして今年5月27日にバンコク=チェンマイ間の高速鉄道建設に関し日本が先行するや、タイ中双方関係者は動きを加速化させたのであった。以後の主な動きを時系列で追ってみる。

日本は糠喜び

 6月1日:タイ政府スポークスマンのサンセン少将は、中国政府提案のノンカイ=コーラート=ケンコイ=マプタプット、ケンコイ=バンコク間の中速鉄道(時速180キロ)案に関しタイ政府が取り消ししたとの報道があるが、(1)6月末には両国聯合委員会が開催され、8月までに同プロジェクトの評価を行う(2)バンコク=ケンコイ=コーラート路線については今年末までに着工する――と表明。

 6月11日:ハルピンで開催された「タイ投資環境・最新投資政策2015」セミナーに出席した中国駐在タイ大使は、(1)両国の合作による鉄道建設(複線)は今年末に着工する(2)同プロジェクトは、中国のハードとソフトを含む総合的鉄道輸出における標準となり、同時に世界各国にビジネス・モデルを提示するものである――と表明。

 6月15日:タイ鉄道局はバンコク郊外路線建設に関し、三菱重工・日立・住友商事のJVが落札と発表。

 6月15日:アピシット民主党政権で財務大臣を務めたコーン民主党前下院議員は、(1)現プラユット政権が進めているノンカイ=コーラート=ケンコイ=マプタプット高速鉄道建設(734キロ)は、アピシット政権が決定した両国合作方式で実施すべきだ(2)単独で建設した場合、タイの財政負担は莫大だ(3)バンコク=チェンマイ間の高速鉄道建設に関する利益回収はインラック政権の試算で300年を、コーンの試算では利息の支払いも勘案すれば600年を要する――と表明。

 ここでタイの地図を見ると、確かにチェンマイはバンコクに次ぐ都市であり北タイの中心都市ではあるが、行き止まりである。チェンラーイまで延伸したとしても、その先はメコン川に突き当たってしまう。やはり鉄道としては効率が悪そうであるだけに、コーン元財務大臣の発言も頷ける。覚書に調印したとはいえ、日本は糠喜びといったところだろう。

「在タイ日系企業を大いに益するはず」

 6月18日:駐タイ中国大使は新華社記者の質問に応え、「高速鉄道建設における両国の合作は、『発展・安全・友誼の路』を建設することになる」と表明。

 6月22日:コーンケンの中国総領事館業務開始。

 6月28日:民主党首脳の1人はプラユット政権に対し、中タイ合作高速鉄道建設に関する財政的条件を公表することを求める。「先ず建設ありきで中国からの全面的借款に頼り、中国側が工事を請け負うという条件なら、将来的にタイ国民は過重な財政的負担を強いられることになる」と主張。

 6月29日:北京で57カ国の代表を集めAIIB(アジアインフラ投資銀行)設立調印式開催。タイはフィリピン、マレーシア、クウェート、南アフリカ、デンマーク、ポーランドと共に署名せず。

 7月1日:中タイ国交正常化40周年記念日に当たり、タイ中両国聯合委員会を主宰したプラジン運輸相は、(1)タイ中合作による高速鉄道建設と運行に関するソフト・ハード両面を検討したが、8月初旬に西安で予定されている次回委員会で最終決定する(2)その結果を、タイ政府は9月中に閣議決定する、(3)工事着工は10月、遅くも12月となる――と公表。

 7月2日:カイソン・タイ海軍司令官は、中国からの潜水艦3隻の購入方針を発表(総額360億バーツ。製造・引き渡しまでに6~7年)。

 7月4日:東京で開催中の「日本・メコン地域諸国首脳会議」において、安倍首相は今後3年間で同地域への7500億円規模の経済支援を表明。日本、タイ、ミャンマーの3国首脳は、ミャンマー南部のダウェイ経済特区建設につき、協力関係維持に関する覚書に調印。プラユット首相は安倍首相に対し、高速鉄道建設に関し合作方針を重ねて表明。

 8月28日:タイの華字紙の『星暹日報』は、「泰中鉄路十月底開工 3年内建成、曼-昆往返不到4000銖(タイ中鉄路10月末着工。3年以内に完成。バンコク・昆明間料金は4000バーツ未満)」と報道。

 9月18日:広西チワン族自治区の南寧で開催された第12回中国=ASEAN博覧会において、タイのタナサック副首相は「タイ中高速鉄道建設は12月に着工する」と、またラオスのソムサワート副首相は「ラオス共和国建国40周年記念日の今年12月2日までに、昆明とヴィエンチャン間の507キロを結ぶ中速鉄道(時速160キロ)を着工する。同鉄道完成によって、ラオスは"陸の孤島"から脱することができる」と、それぞれが表明。ラオスは天然資源による建設資金返還方式を採用。

 9月23日:タイのソムキット副首相(経済担当)は、日本の経済代表団と面談し、タイを東西に貫く鉄道建設への投資を要請した。マプタプット工業団地からラエムチャバン深海港を結び、バンコクから西進しカンチャナブリを経てミャンマー経済の将来を牽引するダウェイ経済特区にまで至るルートだ。ソムキット副首相は、「マプタプット工業団地はすでに飽和状態であり、タイ政府はバンコク郊外のパトムタニ、チョンブリなどバンコク郊外での工業団地建設を計画しており、新路線への投資は在タイ日系企業を大いに益するはず」と語ると共に、日本側が興味を示さないならタイ政府は単独で同プロジェクトを推進する考えであることを付け加えた。

参考にすべき「タイ外交の要諦」

 以上、目まぐるしい動きをみせているが、タイとラオスの両国副首相が説くように、どうやら今年中には昆明からバンコクを結ぶ高速鉄道建設が中国主導で始まることになりそうだ。またソムキット副首相の発言から類推するなら、タイ政府が日本に求めるのはマプタプットからミャンマーのダウェイ経済特区への路線だろう。将来的には、ミャンマー国境のタークと、メコン川を挟んでラオスと国境を接するムクダハンを東西に結ぶ路線建設も日本を想定しているようだ。

 タイ側の狙いは、国内を南北に貫き、北はラオスを経て昆明に繋がり、南はマレーシアからシンガポールへと続く路線は中国と、東西に貫く路線は日本と、両国それぞれに気配りをしたうえで競わせ、より有利な条件を引き出そうとしているように思える。はたして日本と中国の軌道幅は同一規格なのか。日中の鉄道運営方式に互換性があるのか。国内で異なった方式でスムースな鉄道運営が可能なのか――門外漢には判然としないが、問題は少なくないだろう。だが、タイ側は日中両国を"手玉"に取って一挙両得を目指しているように思われる。

 1977年のクーデターで誕生したクリアンサク政権は、軍人主体であっただけに周辺社会主義諸国と対決姿勢を鮮明に打ち出すと思われていた。ところが予想に違えて全方位外交を展開し、中国やラオスなど共産党政権と極めて良好な関係を樹立した。筆者は、この外交を担ったウパジット外相に、後にタイ外交の要諦を問い質したことがある。すると、「タイは周辺の小国に対しては大国として、日本、中国、アメリカなどの大国に対しては小国として臨む」と語ってくれた。小国といえども侮る勿れ、大国といえども恐れる勿れ、である。

 今後の日本の新幹線ビジネスの海外展開を考える時、やはりウパジットの言葉は参考になるのではないか。インドネシアとタイでの経験から学び取るべきは何か。敵は中国だけではない。安全・安心を支える技術的優位や、"親日"といった曖昧模糊とした感情だけを頼りとするだけでは早晩、立ち行かなくなるのではなかろうか。

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樋泉克夫

愛知大学教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年より現職。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。

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(2015年10月13日フォーサイトより転載)

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