さる11月11日は中国では「独身の日」であり、ネットショッピング(EC)の売り上げはわずか24時間で3兆円に達したと中国国内外のメディアが大々的に報じた。しかし正しくは、11月11日は「独身の日」ではなく、「光棒節」といって「独身の男性」の日である。では、なぜ独身の女性が含まれないのだろうか。
この考察にあたっては、中国で実施されている「一人っ子政策」を振り返る必要がある。
中国では40年前から、厳しい一人っ子政策が実施され、夫婦は子どもを1人しか出産できない。今となって、中国の一部の憲法学者は、一人っ子政策が人々の出産の自由の権利を侵す憲法違反の政策と指摘しているが、当時の中国では、食糧不足は人口爆発によるものであり、出生率を抑制しなければ、食糧不足はさらに深刻化していくと言われていた。
実は、1960年代半ば以降、食糧不足により、中国の出生率はすでに低下しはじめた。70年代の食糧不足と配給制の導入は人口爆発によるものではなく、毎年繰り広げられた指導部の権力闘争と間違った政策運営が原因である。
今でも変わっていないが、中国では、重要な政策判断は指導者あるいは指導部の独断によって下されるもので、公聴会も開かれなければ、全国人民代表大会(全人代=国会)でも議論されない。ちなみに、全人代は年に1度しか開催されず、政策審議の役割を果たせず、共産党指導部から回ってきた文章に印鑑を押すゴム印と揶揄されている。
結婚できない独身男性が「3000万人」
振り返れば、1950年代、毛沢東が出産奨励を号令したとき、人口学者の馬寅初は『新人口論』を記して人口爆発の危険性について警鐘を鳴らしたが、「マルサスの人口論」(英経済学者マルサスが、人口増加と食糧の差により貧困が発生すると唱えた『人口論』)と批判され、馬氏自身も右派分子として打倒された。ちなみに、中国では、左派はマルクス・レーニン主義を擁護する人であり、右派は資本主義の思想を信奉する人として分類されている。
1970年代後半の一人っ子政策は、鄧小平が主導で定めたものだった。とりわけ農村などで、1人目の子供を出産した夫婦に対して強制的に不妊手術を施すなどの暴力行為がたくさんあったと、種々の研究で明らかになった。
農家にとっては労働力の確保が一大事であるため、1人の子供しか出産できないのであれば、女の子よりも男の子がほしい。一方、都市部の家庭にとっては、労働力を確保する必要はないが、中国では夫婦別姓であり、子供は一般的に父親の苗字を名乗る。女の子が生まれた場合、次の代でその苗字が途絶えることになるため、都市部の家庭もできることならば男の子がほしい。結果的に、中国では、出産される前の女の子の赤ちゃんが人口中絶されることが増えた。
国連の人口統計で計算した場合、中国では現在40歳以下の世代から男女のバランスが崩れ、25歳以下の世代で男性は女性よりも約3000万人多いという結果となっている。一夫一妻制という結婚制度を改めなければ、理論的には3000万人もの男性はこれから結婚できないという計算になる。実際、河南省など一部の農村では、ベトナム人の女性を嫁に迎える事例が報告されているが、中国の周辺諸国において中国に嫁ぐ女性は限られているため、結婚できない男性の存在は社会問題となりつつある。
もともと、一人っ子政策は出生率を抑制するための政策であり、それによって人口動態が逆転することは容易に予測できたはずである。しかし、そのもう1つの後遺症は、指導者指導部が予想できなかった男女のバランス崩壊だった。
他国より遥かに速い「高齢化スピード」
3000万人もの男性は、中国社会で結婚相手が見つからないため、負け組と見なされている。中国社会では、結婚できない独身の男性は「光棒」(つるつるの縦棒)と呼ばれている。11月11日は、まさに4本もの縦棒のようにみえるため、「光棒節」、すなわち「独身」の「男性」の日に選ばれたのである。
この日、独身の男性たちは年に1度、自分に対するご褒美としてネットで自分自身にプレゼントするものを買う。たとえば、音楽が好きな人はネットでステレオを買うというような感覚である。
しかし、3000万人もの男性に結婚相手が見つからないというのは、将来、男1人で親2人を介護することになる。すなわち、一人っ子政策によってピラミッド型の人口動態が逆さまになる弊害が予想される。
数年前に、中国政府は一人っ子政策を少し緩和し、2人まで産んでもいいという「二人っ子政策」に変えた。しかし、当局の予想通りには出生率は変化しなかった。すなわち、二人っ子政策になってから、出生率はほんのわずかしか上昇しなかったということである。
中国民政部に対する筆者のインタビューによれば、早ければ、年内にも出生制限政策が完全に撤廃されるという。
しかし問題は、出産制限が撤廃されても、現代の若者は子供を産まない可能性が高いということにある。
中国の都市部の若者は、日本やアメリカの若者と同じように、結婚しない、あるいは結婚しても出産しないケースが増えている。なぜならば、(1)今の人生を目いっぱい楽しみたい、(2)子どもの教育費が高すぎる、(3)親を介護しなければならない、などが原因であると言われている。
実は、出生率の低下はグローバル社会の普遍的な現象である。先進国の出生率が低下するだけでなく、アフリカなどの途上国でも出生率が低下していると言われている。その原因は、必ずしも明らかになっていない。
一方、過去100年間、医療技術・サービスが飛躍的に改善されてきた結果、人類の平均寿命は大幅に長くなっている。中国でも同様に平均寿命は長くなった。出生率の低下と平均寿命の延長によって、少子高齢化の問題は徐々に浮上してきた。先進国では、医療健康保険や介護保険などの社会保障制度が整備されているため、高齢化問題は途上国ほど深刻ではない。だが中国の場合は、ピラミッド型の人口動態の崩れにより、高齢化のスピードは他の国よりも遥かに速いのである。
中国政府の認識不足で事態悪化
中国では、社会保障制度の整備のなかでとりわけ力を入れているのは、年金保険制度と健康保険制度である。
もともと計画経済の時代、国有企業が労働者の社会保障を担っていた。1990年代以降、社会主義市場経済の構築が憲法に盛り込まれた結果、社会保障サービスは国有企業の所管から切り離され、地方政府の所管に変わった。
しかし、現在の高齢者たちは、現役のときに十分な積立をしていなかったため、国有企業および地方政府が積立不足分を補てんする必要がある。中国民政部にインタビューした際、介護保険制度を整備する計画があるかと尋ねたところ、介護保険は整備しなければならないが、財源を確保できないため、それを整備しようとすれば財政危機になる心配がある、と言われた。要するに、地方政府は予算が許す範囲で補助金を支給するが、すべての人が対象となる介護保険の整備は今のところ現実的には検討されていないということだ。
もともと中国社会においては、介護は各々の家族が行うものであり、政府や社会を頼りにする考えはなかった。しかし、都市部でも農村部でも独居老人が急増している。詳細の統計はないが、孤独死が増えていることが以前から指摘されている。
親孝行を大切に考える中国の古典文化と風俗習慣が、毛沢東時代に完全に壊されてしまった。高齢化していく親を誰が介護するかは避けて通れない問題である。
中国でいくつかの地方政府を調査したところ、地方政府は、とりあえず在宅介護を推奨するとしている。将来的に施設に入れるのは人口のわずか数パーセントの人だけと予想される。そこで重要なのは、健康寿命をできるだけ長くすることである。
北京や上海などの大都市では、託児所のような「托老所」が多数設立され、平日の8時から夕方4時か5時ぐらいまで地域の高齢者がそこに集まり、健康講座を受講したり、血圧や脈を計ったりする。こうした措置は、高齢者が単独で自宅にこもるよりも健康にいいと言われている。
しかし、介護という終活の根本的な問題は解決されていない。中国社会が直面する厳しい現実は、これまでの間違った政策が残した負の遺産であると言わざるを得ない。
経済の均衡が崩れた場合は、経済政策を考案してリバランスを図ることができる。しかし、人口動態が崩れ、男女のバランスが崩れた場合、それをリバランスする人口政策は世の中に存在しない。この厳しい現実を中国政府が十分に認識していないことが、事態をさらに悪化させているのである。(柯 隆)
柯隆 公益財団法人東京財団政策研究所主席研究員、静岡県立大学グローバル地域センター特任教授、株式会社富士通総研経済研究所客員研究員。1963年、中国南京市生まれ。88年留学のため来日し、92年愛知大学法経学部卒業、94年名古屋大学大学院修士取得(経済学)。同年 長銀総合研究所国際調査部研究員、98年富士通総研経済研究所主任研究員、2006年富士通総研経済研究所主席研究員を経て、2018年より現職。主な著書に『中国「強国復権」の条件:「一帯一路」の大望とリスク』(慶応大学出版会、2018年)、『爆買いと反日、中国人の行動原理』(時事通信出版、2015年)、『チャイナクライシスへの警鐘』(日本実業出版社、2010年)、『中国の不良債権問題』(日本経済出版社、2007年)などがある。