2月27深夜にクレムリンに近い橋の路上で起きた反体制活動家、ネムツォフ元第1副首相暗殺事件で、ロシア捜査当局はチェチェン共和国内務省部隊に所属したザウル・ダダエフ容疑者ら北カフカス地方出身者5人を逮捕した。黒幕の存在など全容解明にはほど遠いが、「チェチェンの影」は過去の政治的暗殺事件でも浮上している。プーチン体制発足の原動力となった第2次チェチェン戦争以降のチェチェン問題が、政権に付きまとう構図だ。
ポリトコフスカヤ事件に酷似
「暗殺事件の捜査は、反体制女性記者アンナ・ポリトコフスカヤ氏の2006年の暗殺事件と同じシナリオをたどっている」(英紙フィナンシャル・タイムズ3月10日)とされるように、アパートのエレベーター内で銃撃されたポリトコフスカヤ氏暗殺事件でも、複数のチェチェン人実行犯がほどなく逮捕された。当時、ドイツ訪問中だったプーチン大統領は会見で、「この記者は政治的役割を果たしておらず、影響はない」とコメントしたが、今回もペスコフ大統領報道官が「政治的に彼は現指導部に脅威ではなかった」と同様の発言をした。
モスクワ・タイムズ紙(3月10日付)は、「2つの銃撃事件は酷似しており、2人とも4発の銃弾を浴び、捜査当局は監視カメラと携帯電話の通話記録で犯行に使われた車と実行犯を割り出した」と書いた。ポリトコフスカヤ暗殺事件では、連邦保安局(FSB)の幹部が住所をチェチェン人の友人経由で実行犯に教えたとされたが、命令系統などはうやむやにされた。
2004年、「秘密ビジネスに参加するロシアの100人の大富豪」の特集記事を書いた米誌フォーブス・ロシア語版のポール・クレブニコフ編集長が路上で銃殺された際も、複数のチェチェン人容疑者が拘束され、真相は解明されなかった。
ポリトコフスカヤ氏はチェチェン共和国の親露派独裁者、カディロフ大統領とその部隊による人権弾圧や不正を告発していたが、クレブニコフ編集長はロシア財界の腐敗追及を専門にしていた。ネムツォフ氏もイスラム教の風刺画を掲載したフランス政治週刊紙編集部襲撃事件を「衝撃的だ」と批判した程度で、チェチェンやイスラム問題に積極関与していなかった。「チェチェン人犯行説は、政治的に予想されたシナリオの一環」(マーク・ガレオッティ・ニューヨーク大学教授)と言える。
実行犯を拷問か
今回のサプライズは、主犯格とされたダダエフ容疑者がカディロフ大統領の元側近で、同大統領が直ちに「私はダダエフをよく知っており、最近まで内務省セベル部隊の副司令官だった。勲章も受けており、真のロシアの愛国主義者だ」と擁護する発言をしたことだった。元側近が主犯とされたことは、カディロフ大統領にとっては政治的打撃であり、困惑しているのは間違いない。
ただし、ダダエフ容疑者の母親は「イスラム過激派と闘ってきた息子がそのような事件を起こすはずがない」と強調。ロシア政府人権評議会も「ダダエフ容疑者は捜査当局の拷問により、自白を強要された可能性が高い」と捜査を批判するなど、否定情報も少なくない。他の4人の容疑者も関与を否定しているという。
反体制活動家のレオニード・ボルコフ氏は、「カディロフ大統領の暗殺介入は、彼がプーチン大統領へのプレゼントとして実行したか、逆にカディロフ政権転覆を意図して実行されたかの2つの可能性を意味する」と指摘した。今後はカディロフ大統領の動向が焦点になりそうだ。
独裁者・カディロフ
38歳のカディロフ大統領は、父親のアフマド・カディロフ元大統領が2004年、チェチェン独立派の爆弾テロで暗殺された後、頭角を現し、07年に大統領に就任した。独立派をほぼ一掃したプーチン政権がチェチェンから軍を撤退させ、「チェチェン化政策」を進める中で、共和国の独裁者として君臨。支配下の部隊は殺人、強盗、誘拐、拷問などを行い、悪名高い。ロシアから流入する巨額の復興資金を独り占めしていると批判されていた。
プーチン大統領には忠誠を誓いながら、チェチェンに事実上の「独立王国」を形成。中央政界でも存在感を高めている。しかし、他の北カフカス地方首長らの反感を買うなど、政敵が多く、暗殺未遂事件も起きている。クレムリンもその独裁ぶりに手を焼いている形跡があるが、政権交代を行えば、チェチェンの安定を脅かすリスクがある。
ガレオッティ教授は、「カディロフは攻撃的で自らの意思で行動するところがある。ポリトコフスカヤ暗殺事件でも関与が疑われており、ネムツォフ暗殺をクレムリンの承認なしに実行したとすれば、プーチン政権がチェチェンを掌握できているか疑問が生じる」と指摘した。政権がダダエフ容疑者の犯行でこの事件を決着させるなら、カディロフ大統領の責任も追及せざるを得ないだろう。
ウクライナ・コネクション
暗殺事件の実行犯がチェチェン人グループだとしても、チェチェン問題との関連が薄いネムツォフ氏を単独で暗殺するとは思えない。ロシアのインテリジェンス専門家、アンドレイ・ソルダトフ氏はモスクワ・タイムズ紙(3月10日付)に対し、「イスラム強硬派グループが、著名政治家の仕組まれた暗殺をモスクワの中枢部で単独で実行できるはずがない。暗殺を実行したのは事実としても、それは全体計画のほんの一部の下部組織にすぎない」と指摘した。
同氏によれば、ネムツォフ氏は当日夕、運転手を帰してウクライナ人のガールフレンドと赤の広場わきのレストランで食事し、歩いて帰宅しており、実行犯はどこで待ち伏せするべきか正確に知っていた。逃走用の車の手配も含め、相当の情報を事前に掌握していたことになり、一握りのチェチェン人グループだけでの実行は困難とみられる。
ネムツォフ氏はプーチン大統領側近らの錬金術を暴露した「プーチン腐敗白書」を仲間と作成し、ネット上で公表。死の直前にはロシア正規軍のウクライナ東部介入を示す証拠集めに奔走していた。3月1日にはモスクワで、大規模なウクライナ介入反対デモを組織していた。政権にとって目障りな存在であり、政権幹部が何らかの関与をしていた疑惑もくすぶっている。
相次ぐ謎の事件
06年のポリトコフスカヤ暗殺事件や、ロンドンでポロニウムを盛られて怪死した元FSB要員リトビネンコ氏殺害事件は、プーチン政権に打撃となったが、当時は石油価格高騰でロシア経済も高成長を遂げ、政権は余裕を持って衝撃を切り抜けた。しかし、現在は油価下落やインフレによる経済危機、欧米の制裁、ウクライナ東部の戦闘に直面し、客観情勢は異なっている。政権は国粋主義の発揚で危機を乗り切る構えだが、以前の余裕がなくなりつつあるのも事実だ。
ガゼータ紙(3月2日付)は社説で、「ネムツォフ氏暗殺は過去の暗殺事件とは基本的に異なっており、それは国家の深刻な危機の証明である。国家はいまやクレムリンに隣接する地区の治安すら保証できていない。現政権が常に批判する90年代の混乱の時代が、食料不足や収入減に加え、見解や立場の相違とは関係なく、個人の安全の危機という形で復活しつつある」と指摘した。
ベドモスチ紙(3月1日付)も、「ネムツォフ暗殺は、心理的な転換点を意味し、それを過ぎるとロシアの変化につながるだろう。モスクワの追悼集会に5万人以上が集まり、地方の各都市でも集会が行われた。それは、『冷たい内戦』が社会に広がるさ中に起きた」と書いた。
反政府系紙ノーバヤ・ガゼータのパベル・フェルゲンハウエル評論員は米国のジェームズタウン財団のサイトに寄稿し、ネムツォフ暗殺事件について、「ロシア特殊機関や警察部隊の一部(おそらくは、ならず者勢力)が協力している可能性がある。その動機は親欧米、親ウクライナのネムツォフ氏を懲罰するとともに、プーチン大統領に欧米へのより強硬な外交、ウクライナ東部の親露派支援強化、国内の『第5列(体制から見た裏切り者)』弾圧を促す狙いがある」と書いた。犯行を「ロシアの恥だ」と糾弾したプーチン大統領が事前に知っていたことはあり得ないが、クレムリンの目の前での暗殺は、「暴力装置」内の民族愛国勢力による大統領への警告でもあったとの見立てだ。
ロシアではこのところ、ホロシャビン・サハリン州知事の汚職容疑による逮捕や、中部カザン市での大規模なショッピングモール火災など、謎めいた事件や悲劇が続いている。ブレジネフ時代末期やゴルバチョフ時代末期もそうだったが、ロシアではしばしば、歴史の転換期の前に不気味な事件が頻発するだけに、今後の展開は要注意だ。
名越健郎
1953年岡山県生れ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長を歴任。2011年、同社退社。現在、拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学東アジア調査研究センター特任教授。著書に『クレムリン秘密文書は語る―闇の日ソ関係史』(中公新書)、『独裁者たちへ!!―ひと口レジスタンス459』(講談社)、『ジョークで読む国際政治』(新潮新書)、『独裁者プーチン』(文春新書)など。
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(2015年3月16日フォーサイトより転載)