モンゴルからロシアを抜けてカザフスタンに入った小林剛さん(47)と二俣明日香さん(31)は、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンと「イスラーム圏」4ヵ国をぐるっと回った。
「私はイスラーム系の国を訪れるのがはじめてで、何となく"怖い"というイメージを持っていたのです。でも、まったくそんなことはありませんでした」
と、二俣さん。
「たとえばキルギスの人たちは、無言で手を前に差し出してきます。"何の合図だろう?"と思っていたら、ガソリンスタンドのおじさんも、休憩中にそばに来た男の子も、同じ動作をする。それで握手か!と合点がいきました。握手ではじまり握手で終わるのが、キルギスのコミュニケーション。女性はむやみに人に触れてはいけないのか、男性に限った話ですが」
タジキスタンでも手を差し出されたが、方向が違った。前じゃなく上。ハイタッチだ。
「子どもたちは私たちを見つけるなり、大騒ぎ。全速力で近づいてきて、ハイタッチを求めます。こちらは時速50~60キロでバイクに乗っているので、危ないし、めちゃくちゃ痛い。彼らも痛いはずなのに、バンバン叩いてくる。人懐っこい子どもたちでした。大人の方も優しくて、私たちがテントを張っていたら焼いたサツマイモを差し入れに持ってきてくださったり、"近くに温泉があるから入っていきな~"と声をかけてくださったりして、有難かったなぁ」
興味深いのは、多くの日本人が「何とかスタン」で一緒くたにしているであろうこれらの国々の人たちに、微妙な差があったこと。
「ウズベキスタン人はカザフスタンやタジキスタンの人たちとは違い、カメラを向けた瞬間、サーッ!といなくなってしまうのです。私たちがバイクを停めていれば興味を持って集まってくるし、話もふんふんと聞くのに、カメラを出すと一斉に逃げる。シャイなのでしょうね(笑)」
旅人の「聖地」と「秘境」
キルギス南部のオシからタジキスタンに続く「パミールハイウェイ」は、いわば絶景の合間を駆け抜けていく「旅人の聖地」。
ヒマラヤやカラコルム、ヒンドゥークシュといった世界有数の山脈に囲まれたタジキスタンは、総面積の90%以上が高地という山岳国だ。東部に位置する平均標高5000メートルのパミール高原には、見渡す限りの真っ青な空と灰褐色の山々と大地が広がる。絵画の世界から飛び出してきたようだ。
この高原を南北に走るハイウェイでアフガニスタン国境まで下りた2人は、今度は東西200キロにわたって続く渓谷を西に向かって進んだ。「ワハン回廊」。パミール高原とセットで訪れる人が多い、これまた秘境である。
小林さんが言う。
「標高3000~4000メートルの崖の道が続いて、いくつも谷を抜けていきます。川の向こう側はアフガニスタンで、手も振れますし、場所によっては話もできる。ここも、そうそうないっていうくらいキレイな山でしたね。ただ、狭いところだと車1台がやっと通れるくらいの道幅なので、対向車が来ると一苦労ですし、とても危険。しかも、そこらじゅうで土砂崩れが起きていて、アフガニスタン側ではショベルカーが土砂を運んでいました」
もはやオフロードですらない、道なき道。二俣さんは大丈夫だったのだろうか。
「もちろん怖いですよ! 転んだら崖から落ちますから、ゆっくり走りますよね。でもあんまりゆっくり過ぎるとバランスを崩してしまう。クラクションをプップーと鳴らしながら、"お願いだから前から何も来ないでー!"と祈って走りました」
土地柄、違う危険もある。今年7月、タジキスタン南西部の町を自転車で旅していた4人の欧米人(アメリカ人2人、オランダ人、スイス人)が、「イスラーム国」(IS)に襲撃されて死亡する事件が起きた。
小林さんと二俣さんが無事に通過できたのは、本当に幸いだった。
トルコのシリア難民が......
さて、文字通り"山あり谷あり"の道のりを越えて、2人は海へ向かった。フェリーでカスピ海を渡り、コーカサスを経て辿り着いたのは、トルコ。
噂に聞きし「東」と「西」の間の混乱は、本当だった。いや、本当以上だった。
「日本でもシリア難民のことはニュースになっていますが、"報道されるよりずっと多い"と現地の人は言います。イスタンブールの人口が把握できないほど増え、ものすごいことになっている、と。ヨーロッパに流れ込もうとする難民をトルコで食い止め、国民の税金で養うことにも、限界がきているようでした。それでもトルコの人たちは文句を言わないのだから、優しい」(小林さん)
その現実を目の当たりにしたのが、ブルガリア国境だ。
「検閲所の10キロくらい手前からずらーっと車が列をなし、大渋滞していたのです。幸い私たちはバイクでしたし、明らかにシリア難民でもなかったので、反対車線を走って車を追い越すことを許されました。ブルガリアからトルコに来る人はほとんどおらず、反対車線はガラガラ。おかげでスムーズに入国審査をしてもらえましたが、車で国境を越えてきた人たちは、前日の朝から20時間近く並んだと言っていました。日本のパスポートはどこへ行っても強かったですね」(二俣さん)
2人は日本のバイクを海外で運転する時に必要な「国際ナンバー」の他に、もともとの「長野ナンバー」もつけて走行していた。
「これがアメリカのパスポートとナンバープレートだったら、入れない国もあったでしょうね。イスラーム圏のガソリンスタンドで"ヒロシマとナガサキは大丈夫か?"と聞かれた時は心底、驚きましたが、彼らの中ではいまだに日本は"アメリカにやられた国"で、仲間意識みたいなものもあるのかもしれません」(同)
スイス人の大豪邸に宿泊
本来は地続きの「東」と「西」に横たわる大きな断絶。そこを越えた途端、やはり世界はガラッと変わるのだろうか。
「それが、変化はすぐには起きないのです。ブルガリアではいまだに馬車が走っていて、まだまだ貧しい。同じヨーロッパでも西欧と東欧ではまったく違いました」(小林さん)
なるほど確かに、「西」にも「東西」がある。その「西」の中の「東西格差」はギリシャ、旧ユーゴスラビア(クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、スロベニア)、オーストリアと進むにつれて広がり、世界一物価の高い国でピークに達する。スイスである。
「西欧ではガソリン代だけでも1リットル200円以上するので、とにかくお金がかかる。節約のため、ほとんど宿を取りませんでした。代わりにどうしたかというと、テントで野宿するか、知り合いの家を渡り歩くか、その日に会った見ず知らずの人の家に泊めてもらう。夕方になるとスーパーマーケットなどの地元の人が集まりそうな場所へ行き、駐車場の目立つところにバイクを停めて、地図を広げたりしてアピールしました(笑)」(二俣さん)
1番優しかったのがスイス人だという。
「高速道路のサービスエリアで休憩していたら、"どこから来たんだ?""今日うちに来るか?"と声をかけてくれた方がいて、行ってみたら大豪邸! ヨーロッパ人はアメリカ人と違って旅行好きなので、旅人の気持ちが分かるのでしょう」(同)
達成感より喪失感
西へ西へと目指してきたユーラシア大陸横断も、そろそろ終着点。フランス、スぺインを通過した2人は2017年10月8日、ついにポルトガルの大陸最西端、ロカ岬に到達した。
日本を出て5カ月目、眼前に広がる海に「道の終わり」を告げられた時の感慨は、ひとしおだったに違いない。
と、思いきや、うーん......と唸ったきり言葉が出てこない2人。
二俣さんが口を開いた。
「ヤッター! 着いた! 万歳!というより、悲しくて寂しくて疲れ果てて、海を見つめたまま動けませんでした。達成感がまったくなかったわけじゃないのですが、終わってしまったという喪失感の方が大きかった」
小林さんが続ける。
「まだ南北アメリカ大陸の縦断が残っていたので、旅が終わったという感じがしなかったのかもしれません」
次の大陸が2人を待っていた。(つづく)
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