日本人だとわかると、ヨーロッパの街で見ず知らずの人が話しかけてくることがある。昔だったらホンダ、トヨタや日産の車に乗っている、という話ばかりだったのに、最近、ハルキ・ムラカミ、ヨーコ・オガワ、ドリアン・スケガワなど、日本の小説の話をされることが、決して稀ではなくなった。しかもそうした日本文学の読み手は、とくに日本語学科を出たとか日本文化専攻という人々ではなく、たまたまフライトで隣り合わせたり、カフェでコーヒーをサーブしてくれたり、スーパーのレジ待ちで並んでいた、ごく普通の「本好き」である。卓越した翻訳者の橋渡しで、文化的バックグラウンドの異なる本好きと、日本の小説世界を共有できるのは楽しい。
そんな「日本発の小説」に、この5月、原田マハ氏の『楽園のカンヴァス』(新潮社)フランス語版『La Toile du paradis』(Picquier社)が加わった。
「夢」のような追体験
簡単にあらすじをご紹介すると、物語の中心にあるのは、スイス・バーゼルに住む伝説のコレクター、バイラー氏が所蔵するルソー最晩年の作品と思われる1枚の絵である。バイラー氏がこよなく愛するこの作品は代表作『夢』にそっくりだが、はたして「本物」なのか。その真贋を判定するため、バイラー氏は2人のルソー研究者をバーゼルで競わせる。勝負に招かれたのは、国際美術史学会で注目を集める新進気鋭のルソー研究者、早川織絵と、ルソーを研究するMoMAのアシスタントキュレーター、ティム・ブラウン。判定までに与えられた時間は、たったの1週間。しかも調査の条件として、赤茶けた皮の表紙の古書を1日1章ずつ読む、という実に奇妙な課題も与えられ――。 キュレーターであり、「ニューヨーク近代美術館」(MoMA)にも勤務した経験を持つ原田氏が、その代表作『夢』がMoMAに所蔵されているフランス人画家アンリ・ルソー(1844~1910)をテーマにして描いたこの小説は、2012年に刊行されると、山本周五郎賞、雑誌『ダ・ヴィンチ』プラチナ本賞、テレビ番組『王様のブランチ』ブランチBOOKアワード大賞などを受賞した話題作である。
真贋論争を軸に、物語は21世紀の倉敷から20世紀後半のニューヨーク、バーゼル、そして20世紀初頭のパリと、異なる時空間を交錯しながら展開していく。美術展やオークションの舞台裏という、素人には見る機会のない美術界の内幕を覗き見ながら、読者はそもそもの根源であるルソーの世界へと誘われる。ルソーとはどういう人で、何を描こうとしたのか。何を思い、誰と過ごし、人生をかけてどんな美を探求していたのか。そして画家の死後も、独自の魂を吹き込まれたように「生き続けていく」作品たちは、どんな運命をたどるのか。
この小説では、ダン・ブラウンの『ダヴィンチ・コード』のように、「ルーブル美術館」で誰かが殺されるわけではない。殺されるどころか、むしろルソーは小説の中で、感情を持った人間として生き返る。最後のページまで息もつかせぬ張り詰めたサスペンスは、美術そのものが持つ磁力だけで持続されていく。壮大なエンターテイメントでありながら、読後に心に残るのは、ルソーのアトリエで、まだ絵の具が乾ききらないカンヴァスの、濡れるような密林の緑を目のあたりにする、という美術史の「夢」のような追体験だ。
「税関吏ルソー」といういまわしいあだ名
ルソーの故郷フランスでも、読者の反応は日本と変わらない。
「(筆者の)驚くべき芸術的な教養と、ルソーに向けられた溢れるばかりの情熱に支えられた感動的な小説。ピカソをはじめとした現代絵画にとっての、ルソーの重要性をしっかりと読者が理解するまで、そしてアンリ・ルソーが「税関吏ルソー」というあだ名ではなく、「アンリ・ルソー」という本当の名前で呼ばれるまで、原田マハは読者を離さない」
「最大のイチオシ。2日で読んでしまった」
「『税関吏ルソー』というあだ名のために、理解されてこなかったアンリ・ルソーの足跡をたどれる、サスペンス溢れる面白い作品。美術や絵画の世界に気晴らしができる最高の読書体験」
本好きなブロガーからは、こうした感想が寄せられている。
パリ税関の入市税徴収員としてのキャリアが長かったため、フランス人はいまだにアンリ・ルソーのことを「税関吏ルソー」と呼ぶのが普通だ。
〈「ルソー」だけだと、哲学者のジャン=ジャック・ルソーや19世紀の画家テオドール・ルソーが思い出されることも多い。(中略)ルソーの名前の前に「税関吏」とつけたほうが、一般人には「ああ、あのルソーか」とすぐに思い出すことができる。(中略)呼びやすく、親しみやすいあだ名。しかし、このあだ名のせいで、ルソーは死後七十年以上経っても「かつて税関に勤めていた日曜画家」のイメージから抜け出せないのだ。
ティムは、このいまわしいあだ名「税関吏」をルソーの枕詞でなくすることが、MoMAでの展覧会が担った役割のひとつであると考えていた〉(『楽園のカンヴァス』新潮文庫より)
主人公の1人、ティムの思いは、そのまま作者の思いに重なって見える。
パリで開かれた出版記念イベント
フランスの画家アンリ・ルソーを扱った日本の小説がフランス語で出版されること――それは実は、大いなる挑戦でもある。
グロバリゼーションの時代と言いながら、ヨーロッパという「本場」で、彼らの牙城に入って何かをやろうとするとき――たとえば日本人が、ドイツでワーグナーやイタリアでヴェルディを演奏し、フランスでフレンチレストランを開くとき――、ヨーロッパの人々は一瞬、身構えることを、私は経験上、間近で見ている。
しかし、誰にも負けないその道の「プロ」として、自分をはるかに凌ぐ知識と、技量と、そして何よりも「情熱」を持っていることを感じさせたとき、彼らの一瞬の身構えは尊敬に変わり、「本場」の城は、すっと明け渡される。
ルソーが生き、描き、そして評価されることなく死んでいったフランスで、『楽園のカンヴァス』が出版されたことは、単に日本の小説が仏語に訳されたという以上の意味を持つ。主人公ティムが展覧会へ込めた思いのように、この小説はルソーから「税関吏」という「いまわしいあだ名」を取り去り、「かつて税関に勤めていた日曜画家」のイメージから復権させる、というミッションを担っているのだ。そして、ブロガーの感想が示しているように、その目論見は見事にフランス人読者に伝播している。
5月31日、仏語版出版を記念したイベントがパリで行われた。会場は、20世紀初頭に芸術家が集まったモンパルナス地区にあり、アンリ・マティス、パブロ・ピカソ、マルク・シャガールなどの巨匠がリトグラフ制作を行った工房「イデム」。原田氏の小説『ロマンシエ』(小学館)の舞台にもなっている場所だ。創立から130年以上経っても、最近では珍しくなった石版によるリトグラフの伝統技術が継承され、現代美術家のウィリアム・ケントリッジ、映画監督、画家、写真家のデヴィッド・リンチ、日本人作家の加藤泉など、世界中で活躍する名だたるアーティストたちが、熟練した職人とともに日々アートを生み出している。
重厚なプレス機が並び、壁に有名作家のリトグラフ作品が貼られた工房の中で、原田氏は対談相手にフランスの小説家マリアンヌ・ジェグレ氏を招いた。ジェグレ氏は昨年、日本で著作『殺されたゴッホ』(小学館文庫)を出版。仏語訳を出版した日本の人気作家と、日本語訳を出版したフランスの人気作家。「ゴッホ」と「ルソー」という、美術を扱った題材。多くの共通点を持ちながらも、まったく違う手法で小説世界を構築していく2人の女性作家の対談は、『にんじん』で知られるフランスの小説家ジュール・ルナールの「2人の作家が出会ったとき、彼らは話すのではない。監視し合う」というエスプリの効いた引用で始まり、原田氏の小説さながら、知的な仕掛けに満ちたものだった。
大野ゆり子 エッセイスト。上智大学卒業。独カールスルーエ大学で修士号取得(美術史、ドイツ現代史)。読売新聞記者、新潮社編集者として「フォーサイト」創刊に立ち会ったのち、指揮者大野和士氏と結婚。クロアチア、イタリア、ドイツ、ベルギー、フランスの各国で生活し、現在、ブリュッセルとバルセロナに拠点を置く。