ギニア、シエラレオネ、リベリアの西アフリカ3カ国で感染が拡大しているエボラ出血熱は、本稿の執筆時点で死者が1000人を超え、感染疑いも含めた感染者数は2000人を超えた。現地で治療にあたる「国境なき医師団」は、流行の終息には最低でもあと6カ月はかかるとの見通しを示している。1976年にエボラ出血熱のヒトへの感染が確認されて以降、最大規模の流行である。
航空機によって世界が結ばれている今日、遠く西アフリカで流行している劇症の感染症が、日本を含む世界の先進地域に上陸する可能性はゼロではない。しかし、仮に先進地域で1人でも感染者が確認されれば、患者の隔離と感染経路の追跡が徹底され、ましてや世界に類を見ない潔癖症社会の日本ならば、手洗いうがいの励行がそれこそ国を挙げて行われるだろう。こうして感染は、ひとまず封じ込められるに違いない。
感染の拡大を防ぐための、こうした社会的メカニズムが機能していないのがアフリカである。現地で患者の治療にあたる「国境なき医師団」の医師たちからは、流行地域の村々へ入ることを拒否されたとの報告が上がっている。医療関係者は感染防止のために全身を防護服で覆うのだが、その宇宙飛行士のような姿を見た村人の中に「白人たちが悪い病気を持ってきた」と考える人がいるという。筆者も南アフリカの貧困層社会で「エイズは米国が発明した生物兵器」だと力説する人々に出会った経験を持つが、こうした言葉を聞くたびに、いわゆる初等中等教育の欠如、それに起因する衛生概念の欠如といった問題のみならず、植民地支配の時代から長年にわたって形成されてきた外部世界に対する不信の根深さを思わずにはいられない。アフリカでしばしば発生する感染症の流行は、アフリカの社会が抱えている様々な問題を浮き彫りにする。
今回の流行はさらに拡大しそうな勢いであり、患者の治療と感染の抑止が喫緊の課題であることは論を俟たないが、過去最大規模の流行を機に考えておきたいことがある。アフリカにおける食用のための野生動物の狩猟の問題だ。
■ 自然宿主はコウモリ
エボラウイルスは、ヒトからヒトだけでなく、動物からヒトにも感染する。ただし、アフリカの熱帯雨林地域に生息するチンパンジー、ゴリラ、各種のサル、レイヨウ、ヤマアラシなどの野生動物の血液に触れたヒトへの感染例が報告されてはいるものの、これらの動物はいずれもウイルスの自然宿主ではない。エボラウイルスの自然宿主は特定されていないが、これまでの研究では、アフリカの森林に生息するウマヅラコウモリ、フランケオナシケンショウコウモリなどのコウモリが自然宿主との考えが有力である。
今回の流行の発生源は、リベリア、シエラレオネ両国との国境に接するギニア南部のゲケドゥ県の村落とみられている。注目すべきは、この地域では食用のためのコウモリ猟が盛んであることだ。今回の流行の最初の感染患者とみられている2歳男児の家族は、食用コウモリの狩猟に従事していた。先述した2種類のコウモリはアフリカの広い範囲を群れで移動していると考えられており、従来のアフリカ大陸中部のエボラ流行地域(コンゴ民主共和国、ウガンダ、ガボンなど)から飛来した群れをギニアの村人らが捕食したことが、今回の感染拡大の引き金になったとの見方が有力になっている。アフリカにおけるエボラ出血熱の感染拡大を考えるうえで、野生動物狩猟の問題を避けて通るわけにはいかない理由がここにあるのだ。
■ 食用の野生動物の肉
食用に回される野生動物の肉は、英語で一般に「bushmeat(ブッシュミート)」と呼ばれる。アフリカでブッシュミートを主食としているのは、大陸中部の熱帯雨林地域や南部のカラハリ砂漠に居住する狩猟採集民である。だが、アフリカで暮らす人々を生業や生活形態で狩猟採集民、遊牧民、農耕民、都市住民の4つに分類した場合、狩猟採集民はおそらくアフリカの全人口の1%にも満たない。アフリカの人口の6割は農耕民であり、次に多いのは都市住民である。また、狩猟採集民、遊牧民、農耕民のいずれも完全な自給自足ではなく、狩猟採集民も農耕民から農作物を買うし、近年では狩猟採集民、遊牧民ともに定住が進み、スーパーマーケットで食料を購入することも一般的である。
しかし、近年のアフリカ、それも特に大陸中部のコンゴ盆地から大陸西部のギニア湾岸の熱帯雨林地域では、食用のための野生動物狩猟が急速に拡大しているとみられる。生存のための食料を森に求める伝統的な狩猟採集民ではなく、農耕民が副業のような形で森の野生動物を狩り、自らの家族の食事の足しにしつつ、農耕民や都市住民を対象に売却して収入を得るのである。
中央アフリカ共和国でのサル猟(撮影・中野智明氏)
写真をご覧いただきたい。これは筆者とケニア在住のフリーカメラマンである中野智明氏が2008年3月、中央アフリカ共和国南部のコンゴ民主共和国との国境に近い熱帯雨林を訪れた際に撮影した写真である。写っているのはジャングルで銃を用いてサル猟をしていた地元の男性と、獲物のサルだ。
撮影の間も、ジャングルのあちこちで銃声が響いていた。その後、2人で中央アフリカ共和国の首都のバンギへ戻り、露店が立ち並ぶ市場へ行ってみたが、そこではサルやコウモリなどの野生動物の肉を炭火で焼いた、膨大な数のブッシュミートが売られていた。
収穫量の把握が比較的容易な農作物と違い、狩猟採集で得られた野生動物の肉の量に関する網羅的な統計は筆者が知る限り皆無である。だが、アフリカの野生動物狩猟の現場を知る者としての直感では、アフリカにおけるブッシュミート需要の増大は確実だろう。野生動物狩猟に関する専門家らで組織する生物多様性条約事務局の調査チームは2011年、ブッシュミート狩猟に関する調査報告書を刊行した。報告書は、アフリカ中部のコンゴ盆地で住民1人当たり年間14.6-97.6キロのブッシュミートが消費されていると推定し、乱獲に警鐘を発している。バンギの市場の光景を知る者にとって、アフリカの熱帯雨林地域でブッシュミートの需要が飛躍的に増大していることは、ある種の「常識」なのである。
森林伐採の進展
なぜ、アフリカでブッシュミート需要が増大しているのか。いくつかの調査研究報告論文に目を通してみたが、その理由はなかなか複雑である。
アフリカ中西部の産油国ガボンでは、人々の所得の向上とブッシュミート需要の増大が比例関係にあるとの調査結果が出ている。つまりは嗜好品としてのブッシュミート需要の増大だ。ガボンは人口わずか170万人の産油国であり、1人当たり国民所得が年間1万ドルを超えるサブサハラ・アフリカでは例外的に豊かな国なので、このような傾向が生じているのかもしれない。
だが、中央アフリカ共和国やコンゴ民主共和国などの貧しい国では、ブッシュミートは嗜好品ではなく、人々の貴重なタンパク源として位置づけられている。
また、人口増加が農業生産の増加を上回る状況の下、不足しがちな農産物の代替品として、貧しい人々がブッシュミートへの依存を深めている可能性も指摘されている。サブサハラ・アフリカ(サハラ砂漠以南のアフリカ)の人口増加率年率2.6%は、地域別でみると世界最高だ。他方、サブサハラ・アフリカにおける1ヘクタール当たりの穀物生産量は約1.60トン(2012年)にとどまり、世界平均の3.62トン(同年)をはるかに下回っている。
世界一の速さで人口が増える中、世界で最も生産性の低い農業が続いていれば農作物の不足は必然である。その結果、農村の貧困層住民が自らの食料として狩猟に勤しみつつ、ある程度の技術さえ身につければ比較的容易にアクセスできる野生動物を捕獲し、現金収入の原資としているのである。米国の動物学者らで組織する「ブッシュミート・クライシス・タスク・フォース」は、ブッシュミートの需要増大の理由として、アフリカにおける森林伐採の進展で野生動物へのアクセスが容易になったことを挙げている。
ブッシュミート依存の危険性
食は文化。ある国民や民族にとっての「ご馳走」は、他の国民や民族にとっては「禁忌」の対象である。捕鯨をめぐる日本と欧米社会の摩擦と対立も然り。筆者は鯨肉を食べる我々日本人の食文化を、欧米の食文化の基準に則って一概に否定しようとする考え方には反対する。したがって、アフリカの人々がサルやコウモリを食べる文化についても、日本人の食文化の物差しで一概にこれを否定する立場は取りたくない。
しかし、食文化の問題とは別に、考えなければならない極めて現実的な問題がある。それは人口増加と食糧の総量の関係である。世界人口数億人の時代の食文化の体系が、世界人口70億超の今日もそのまま通用する訳ではないことは自明である。ジャングルのブッシュミートへの依存を深めていけば、野生動物が絶滅への道を歩むだけでなく、野生動物を感染源とする感染症に罹患する確率の上昇も避けて通れない。
エボラ出血熱は1976年に初めてヒトへの感染が確認され、77、79年に発生があった後、15年間新たな感染の報告がなかった。再び感染が確認されたのは1994年であり、その後90年代後半に散発的な流行が発生するようになり、2000年以降は今回を除いて実に14回の流行が発生し、計784人が死亡している。
流行の発生頻度が高まっている現実は、アフリカの農業を改革して生産性を向上させ、ブッシュミート需要を抑制することの重要性を示唆しているのかもしれない。
白戸圭一
三井物産戦略研究所国際情報部 中東・アフリカ室主任研究員。1970年埼玉県生れ。95年立命館大学大学院国際関係研究科修士課程修了。同年毎日新聞社入社。鹿児島支局、福岡総局、外信部を経て、2004年から08年までヨハネスブルク特派員。ワシントン特派員を最後に2014年3月末で退社。著書に『ルポ 資源大陸アフリカ』(東洋経済新報社、日本ジャーナリスト会議賞)、共著に『新生南アフリカと日本』『南アフリカと民主化』(ともに勁草書房)など。
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(2014年8月20日フォーサイトより転載)