1月7日にフランスで発生したテロ事件に対して国際社会は、民族・国家・宗教などを越え呉越同舟で行進を行いテロとの対決をアピールした。その数は、パリ市内だけではなくフランス全土に広がり370万人に及んだと報道された。フランス以外、世界の各地でも多くの人々はテロと戦う姿勢を示した。国際社会は、「テロの2015年」となってしまう危惧を共有したのである。
日本では、安倍首相が「言論の自由と報道の自由に対するテロであり、断じて許すことはできない」とコメントした。またオランド仏大統領に対し、「この困難な時に、日本はフランスと共にある」とメッセージした。しかしそれはテロに対する日本の強い意思を表すメッセージではなかった。だから、そこに日本の存在は無く、集会・行進には「共に」いなかった。
政権の座に就いて外国訪問の多い安倍首相であるが、国際社会に思いが至っているかは疑問だ。この1月7日から11日にかけて、国のリーダーシップが問われる大事件に対して、首相の「通り一遍の発言」は、「国際社会における日本の立ち位置」が不明のままであった。何故、日本のリーダーがこの程度の言葉と態度しか示せなかったか。地理的距離感を超えた国際社会における安全保障という文脈において、日本が孤立に陥らないために考え行動しなければならないことがあるはずだ。
日本の言動が消極退嬰に映った理由は、事件を「対岸の火事」とする傍観、イスラム教に対する慮り、具体的な気遣いに到らない日本流の「リップサービス」や「金で片付ける」付き合いの流れ、そして、テロ行為に対して強い非難のメッセージを流すことで「テロの標的になる恐れ」を回避した、といったところであろうか。いずれにせよ、日本の対テロ危機管理に関わる真剣さに不安を感じさせる印象を与えてしまった。
フランスで行われた集会や行進は、フランスだけにとどまらない悲しみと怒りに満ちた行動であった。この対テロ現象に共感を示す態度は、その賢明度、強度、具体性によってテロに対する「集団安全保障」体制を確かにするであろう。日本は、フランスに姿を見せなかったことで「対テロ」を謳う国際社会の仲間として認知される機会を逃した。しかも、昨年あげられた「集団的自衛権行使容認」の狼煙が、この一件で、集団の意味するところがアメリカ以外眼中に無い様子に見えてきた。
国外に事案の発生があると、「日本人はおりません」というお定まりの声明、報道がある。この「自分が安全で仕合わせであればよい」という独りよがりの響きは空しい。他方、「アメリカの場合は同盟国だから助けにいく」は、アメリカ以外の諸国から顧みられない「利己主義・孤立主義」に陥る。その態度は、相互扶助の恩恵を受ける国際資格に欠けることになる。
フランスのテロ事件は、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を思い出させた。日本の「戦後レジームからの脱却」「集団的自衛権行使の容認」といった歩みが、『雨ニモマケズ』の国際版になって欲しいと願う気持ちを掻き立てた。国内治安だけではなく、国際社会においても日本が「ヒトの安全保障」に貢献できる時代を築きたいものである。
林吉永
NPO国際地政学研究所理事。軍事史学者。1942年神奈川県生れ。65年防衛大卒、米国空軍大学留学、航空幕僚幹部総務課長などを経て、航空自衛隊北部航空警戒管制団司令、第7航空団司令、幹部候補生学校長を歴任、退官後2007年まで防衛研究所戦史部長。
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(2015年1月14日フォーサイトより転載)