ナイジェリアのイスラム武装組織ボコ・ハラムが1月3日、同国北東部ボルノ州バガにあるナイジェリア政府軍基地を制圧した。バガの街はニジェール、チャド、カメルーンの3カ国との国境に近く、軍基地には対ボコ・ハラム合同治安部隊の本部が置かれていたため、基地制圧のニュースはボコ・ハラムの勢力拡大を象徴する出来事として、NHKをはじめとする日本のメディアでも報道された。
ボコ・ハラムは2014年4月に女子生徒200人以上を拉致したことで日本でもその名が知られ、筆者も当欄において過去に何度かボコ・ハラムに関する記事を執筆してきた。組織の特質や成立の経緯についてはそれらの記事をご参照いただければ幸いだが、ここでは日本のメディアが報じていない点について書いておきたい。それは、ボコ・ハラムが多数の民間人殺害や拉致を引き起こしながら、なぜ活動を続けることが可能なのかに関わる事柄である。
軍発表と全く異なる事実
今回のボコ・ハラムによるバガの政府軍基地制圧について、日本のメディアは「イスラム過激派による拠点基地の制圧」という点にニュース性を感じ、報道したに違いない。ナイジェリア政府軍が劣勢にまわり、ボコ・ハラムが制圧領域を拡大していけば、いずれ危険なイスラム国家がナイジェリア北東部に誕生してしまうのではないか。ニュースの価値判断に当たって、記者や編集者には、そうした思考が働いただろう。このニュースは、「イスラム過激派によるバガの支配は危険な兆候であり、ナイジェリア政府軍によって支配されている街は、より安全である」という前提で、暗黙のうちに価値判断され、報道されている。だからこそ、今回のボコ・ハラムによるバガの制圧は「由々しき事態」として、ニュースになったのである。
だが、現実はどうだろうか。実はバガの街は、女子生徒200人の拉致事件から遡ること1年前の2013年4月16日~17日にかけて、大規模に破壊され、多数の市民が殺害される惨劇に見舞われている。ボコ・ハラムによる破壊と殺戮ではない。破壊と殺戮の主体はナイジェリア政府軍だったのである。この時のナイジェリア政府軍による蛮行は、国際人権団体ヒューマンライツ・ウオッチの報告が詳しい。
当時、ボコ・ハラムの勢力拡大に業を煮やしたナイジェリアのジョナサン大統領は、ナイジェリア北東部への増派を進め、掃討作戦を強化していた。政府軍は、4月16日~17日にかけてのバガでの掃討作戦で、ボコ・ハラム戦闘員30人、政府軍兵士1人、民間人6人の計37人が死亡したと発表した。
しかし、ヒューマンライツ・ウオッチに対するバガ住民の証言は、軍の発表とは全く異なる事実を伝えている。複数の証言によれば、バガに駐留する政府軍の兵士1人が街をパトロール中にボコ・ハラムに攻撃され、殺害された。激高した政府軍は「バガの住民たちがボコ・ハラムを匿っている」として、建物に対する放火や住民襲撃を開始した。その結果、2000軒以上の建物が破壊され、183人が殺害されたという。ヒューマンライツ・ウオッチは人工衛星から撮影したバガの写真をウェブ上で公開しているが、写真をみると町全体に焼け跡が広がっているのが分かる。
「単純な図式」ではない
当時、ヒューマンライツ・ウオッチは「ナイジェリア政府軍は自らと住民をボコ・ハラムから守る義務があるが、証拠が示しているのは、彼らが保護よりも破壊に関わっていることだ」との声明を出し、ナイジェリア政府軍を強く非難した。
ボコ・ハラムはナイジェリア北東部のイスラム社会で数々のテロ行為に手を染めており、多くの住民は彼らを支持などしていない。にもかかわらず、今なおボコ・ハラムに参画する若者が少なからず存在する背景がここにある。ナイジェリア政府軍が同国北東部のイスラム系住民に対して蛮行に及ぶ背景には、ナイジェリアの国家形成の過程で蓄積されてきた数々の社会的矛盾があり、その全容をここで論じることは不可能だが、住民からみれば、「イスラム過激派のボコ・ハラム=悪/ナイジェリア政府軍=善」などという単純な図式でないことだけは確かなのだ。
2013年4月のバガにおけるナイジェリア政府軍の蛮行について、英国のBBC放送は、蛮行の約半月後に公表されたヒューマンライツ・ウオッチの調査報告を報道している。また、今回のボコ・ハラムによるバガの基地制圧に関する報道に際しても、2013年4月の政府軍による蛮行の事実を合わせて報道している。
他方、筆者が調べた限り、2013年4月のナイジェリア軍の蛮行を報じた日本のメディアは存在しない。「イスラム過激派」による基地制圧はニュースだが、同じ町で起きた政府軍による破壊と大量殺戮は、最初からニュースの射程に入っていない。
つい最近まで日本の新聞社で働いていた筆者にとっては残念極まりないことだが、日英のどちらの報道が、なぜボコ・ハラムがナイジェリア北東部で命脈を保ち得るかという素朴な疑問に応えるものであるか、議論の余地はないだろう。
思考停止の危うさ
2001年の9.11テロを境に、我々は、それまであまり身近な問題として考えたことのなかったイスラム主義勢力によるテロを、安全保障上の重大な脅威として認識するようになった。2013年1月にアルジェリア南部の天然ガスプラントで日本人10人が犠牲になった事件などを通し、イスラム・テロが日本人の安全にとって他人事ではないことも思い知らされた。
しかし、その過程で、日本メディアの世界を一人歩きするようになったのが「イスラム過激派」という言葉と概念である。およそ過激主義を掲げる組織の人権侵害は到底許容できるものではない。だが、甚だしい人権侵害によって人々の支持を失いながらも、彼らがなぜ、組織の命脈を保ち得るのかについては考え続けなければならない。ある組織を「イスラム過激派=悪」として括ることは、しばしばその思考の歩みを止めてしまう。日本メディアのボコ・ハラム報道には、そうした危うさを感じることが少なくない。
白戸圭一
三井物産戦略研究所国際情報部 中東・アフリカ室主任研究員。1970年埼玉県生れ。95年立命館大学大学院国際関係研究科修士課程修了。同年毎日新聞社入社。鹿児島支局、福岡総局、外信部を経て、2004年から08年までヨハネスブルク特派員。ワシントン特派員を最後に2014年3月末で退社。著書に『ルポ 資源大陸アフリカ』(東洋経済新報社、日本ジャーナリスト会議賞)、共著に『新生南アフリカと日本』『南アフリカと民主化』(ともに勁草書房)など。
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(2014年1月7日フォーサイトより転載)