一昨年12月の発足以降、比較的順調な歩みを続けて来た安倍晋三内閣だが、9月の内閣改造後はどうも雲行きが怪しい。相次ぐ閣僚らの不祥事発覚が象徴的な例だが、それだけではない。政策面では拉致問題解決をめぐる日朝協議が停滞。政局的には沖縄県知事選で苦戦を強いられている。さらに、インターネット上では、安倍首相の健康不安説が再燃。うそかまことか、乾坤一擲の年内解散論までもが再浮上してきた。
沖縄で劣勢の自民
安倍政権の内閣支持率は下落傾向にあるとはいえ、おおむね40%台を維持しており、まだまだ国民的な人気を集めているほうではある。ただ、一時の勢いを失っているのは事実だ。
不祥事の続出、政策の停滞、首相の健康不安説、そして解散論......。これらすべては政権が下り坂になってきたときによくみられる現象である。安倍内閣がすでに衰退期に入っているというのは言い過ぎだが、こうした傾向が続けば、消費税増税などの難しい政策判断にも影響を与え、統一地方選や衆院選、参院選にも暗い影を落とすことになる。
安倍政権の失速の度合いを測るバロメーターとなるのが上述した沖縄県知事選(11月16日投開票)である。
勝負はふたを開けてみるまで分からない。選挙も投票箱のふたを開けるまで当落は分からない。投票日前の数日間で情勢が逆転することもある。だが、この選挙については、どうも自民党の劣勢を伝える情報ばかりが、当の自民党から流れてきている。
知事選に立候補したのは、自民党推薦の現職、仲井真弘多氏のほか、いずれも無所属新人で元郵政民営化担当相の下地幹郎氏、元参院議員の喜納昌吉氏、前那覇市長の翁長雄志氏の4人である。最大の争点は米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題だ。
仲井真氏は移設のために辺野古の埋め立てを承認した知事だ。これに対して、翁長氏は自民党沖縄県連幹事長経験者であるものの、自民党や政府の方針に反旗を翻して普天間飛行場の県内移設に異議を唱え、革新勢力の支援を得ている。大手各紙が報じているとおり、選挙戦はこの2人による事実上の一騎打ちの様相を呈している。
選挙戦前の時点で地元選挙関係者や各政党の情勢分析を総合すると、翁長氏が有利に戦いを進めている。
自民党と連立を組む友党の公明党は自主投票を決めた。公明党の沖縄県連には、党本部の方針とは異なり辺野古移設に批判的な議員も多いため、明確に仲井真氏支持を打ち出せなかったのだ。これは自民党にとって痛い。
反対派知事が誕生すれば......
今年に入ってからの沖縄県内での市長選を見ると、自民党推薦候補は1月の名護市長選では敗れ、3月の石垣市長選と4月の沖縄市長選で勝っている。名護の選挙で、自民党は公明党の支援を得られなかった。しかし、石垣、沖縄両市では、公明党は自民党と歩調を合わせて候補者を推薦した。たまたまそういう結果になったと言われればそれまでだが、公明党が支援してくれた選挙では自民党が勝利し、支援してくれない選挙では自民党は敗北しているのである。
告示前の一部の世論調査によると、そもそも普天間問題で、辺野古の埋め立て承認に賛成している県民は3割弱にとどまり、移設先を「県外」や「国外」としている人が7割を超えている。こうした県内世論を受けて、当然、辺野古移設反対の翁長氏に追い風が吹いている。
各党の知事選事前情勢調査でも翁長氏が仲井真氏に「ダブルスコアどころかトリプルスコアに近い差をつけているという結果が出ている」(自民党関係者)と言われている。選挙戦に入って、自民党は反転攻勢を仕掛けているが、投票日までに差を詰められるかどうか。結果はまさに「ふたを開けるまで分からない」が......。
菅義偉官房長官は10月28日の記者会見で、翁長氏ら辺野古移設反対派の候補者が当選した場合の影響を尋ねられ、こんなふうに答えた。
「仲井真知事によって昨年12月に(埋め立ての)承認をいただきましたから、そこは日本はやはり法治国家ですから、法的手続きを着々と進めていく」
要するに、すでに知事から埋め立ての承認を得ているのだから、今後反対派の人物が知事になっても工事の進行に何ら問題はない、と菅氏は言っているわけである。法律的にはその通りである。だが、現実は違う。
反対派知事が誕生すれば、抗議運動は勢いづくだろう。現場周辺で繰り返される有形無形の妨害も当然予想される。そうした中で、安倍内閣は強引に建設工事を進められるのだろうか。かなりの困難を伴うだろうことは想像にかたくない。
さらに、防衛省が9月に県に提出した埋め立て工事の設計変更申請について、県が可否を判断する時期が知事選投票後にずれ込む可能性が濃厚になってきた。県が承認しなければ埋め立て用の土砂の運搬などに支障が出る。菅氏は誰が知事になろうとも、何の影響も受けずに「法的手続きを着々と進める」つもりのようだが、実際にはそれが容易に遂行できる状況にはない。安倍内閣は、安倍首相がもっとも得意としている外交・安全保障の分野でつまずきかけているのである。
素早かった検察の動き
中央政界に目を転じると、安倍政権の危機の兆候を如実に示すのが閣僚らの相次ぐ不祥事の発覚である。小渕優子前経済産業相と松島みどり前法相の問題を皮切りに不祥事発覚が後を絶たない。大きい問題から小さいものまで、すでに新聞や週刊誌で不祥事を報じられた安倍内閣の閣僚、副大臣、政務官の数は20人近くにのぼっている。
もし弱い内閣だったら、国会が大混乱に陥り、内閣支持率は急落、さらに事態は進展して首相の進退問題が浮上することになってもおかしくない。だが、安倍内閣は国会混乱や支持率低下に悩みながらも、首相退陣論が飛び出すほどのひどい状態になっていない。もともと内閣に勢いがあり、支持率も高めで安定していたからである。
10月20日に小渕、松島両大臣が辞任すると、30日に東京地検特捜部は政治資金規正法違反などの疑いで、政治団体の収支報告書を作成したとされる小渕氏の元秘書で群馬県中之条町の折田謙一郎前町長の自宅などを家宅捜索した。市民団体が小渕氏を告発してから10日、折田前町長を告発してからわずか7日後の強制捜査は異例である。この7日の間にすでに折田前町長の事情聴取も終えていたというのだから、ずいぶん手回しが良い。というよりも良すぎる。
こうした検察の動きについて、「早期の幕引きを狙った首相官邸の意向を受けたものだ」(野党議員)と、野党は疑いの目を向ける。だが、なぜ早期に幕を引かなければならないのか。そこで政界内で出所不明の情報として再び浮上してきたのが、年内解散説である。年内の解散総選挙に備えて、安倍政権が不祥事の処理を急いでいるという観測だ。
解散総選挙のタイミング
この説に対して、安倍首相に近い閣僚のひとりは、「閣僚の不祥事が続き、拉致問題も進展なし。ついでに12月には消費税増税を決断。こんな時期に解散するバカはいない」と一笑に付す。たしかに消費税増税を決断した直後の衆院選は政府・与党にとって逆風の中の戦いになりかねない。
だが、年内に解散できる環境を整えられないわけではない。たとえば、12月に消費税増税の先送りを発表したとしたらどうか。あるいは、増税時期については言及せずに、単に増税するかどうかの結論を出す時期を先送りしたとしたらどうか。
10月22日、自民党内の消費税増税慎重派の「アベノミクスを成功させる会」が党本部で会合を開いた。そのころ、首相官邸で記者団に取り囲まれていた菅官房長官の携帯にメールの着信があった。画面を見ながら菅氏はつぶやいた。
「国会議員だけでも40人集まっているそうだ」
アベノミクスを成功させる会の現場から、誰かが菅氏にメールで状況を報告したのだ。
記者団は菅氏に「会合にスパイを送り込んだのか」と尋ねたが、菅氏は笑って答えなかった。
誰からのメールだったのかは結局分からない。ただ、安倍首相や菅氏ら政権中枢部が消費税をめぐる自民党内世論の動向を探ろうとして懸命になっていることだけはよく分かる。
10月31日午前、公明党が開いた経済政策を議論するための「経済再生調査会」でも増税に異論が続出した。
これまで公明党執行部は、一昨年6月の民主党政権時代の民主、自民、公明3党合意文書を順守する立場を崩していなかった。この文書は、消費税増税を含む社会保障と税の一体改革の実現を約束する内容である。だが、最近の公明党内の消費税に関する風向きは変化しているのだ。そこには、公明党独特の衆院選をめぐる政局観が見え隠れする。
選挙戦での自民党の重要なパートナーである公明党は衆参同日選挙や重要選挙の連続を嫌う傾向がある。大型選挙が重なると、支持母体であり選挙活動の実働部隊でもある創価学会員を疲弊させてしまいかねない上に、重点選挙区に人的資源を集中しにくくなるからだ。
その理屈で考えると、衆院選時期はいつがいいのか。来年春には統一地方選がある。さらにその翌年の夏には参院選がある。その両選挙の前後半年間の衆院選を避けようとすれば、解散総選挙の時期は今年の年末か来年の年末以降しかない。
だが、来年末まで選挙を待っていたら、日本経済がどうなっているか分からない。与党に強い逆風が吹いているかもしれない。これに対して、現在の状況も閣僚の不祥事で与党にとっては順風とは言えないが、それ以上に野党の選挙態勢が今は整っておらず、公明党だけでなく、自民党としても今なら選挙での得票の票読みがある程度可能だ。だからこそ、自公両党内で衆院選に悪影響を与えかねない消費税増税の決断を先送りする意見が盛り上がっているのだ。
首相は迷っている?
維新の党などが志向する野党再編は現在暗礁に乗り上げ、野党の盟主だった民主党には往時の勢いはない。
各種世論調査での民主党の政党支持率はおよそ3-7%にとどまっている。民主党政権末期の一昨年12月はじめでさえ、民主党の政党支持率は各種調査で10%台を維持していた。今の民主党の支持率は、先の衆院選で大敗した時よりも落ち込んでいるのだ。ちなみに、他の野党も惨憺たるもので、一昨年12月に、日本維新の会とみんなの党の政党支持率は合計して15%前後だったが、現在は分裂して同列に論じられないとしても維新の党とみんなの党、次世代の党3党の政党支持率を足しても10%に満たない。
一方、安倍首相の究極の政治目標は憲法改正だと言われる。現在の衆院の任期中の実現は到底考えられない。だとすれば、念願を果たすためには、次の衆院選と参院選でも安倍首相は勝たなければならないと考えているだろう。そのために、もっとも有利な時期はいつか。今こそ選挙のチャンスだと考えたとしても不思議ではない。
もちろん安倍政権が失速気味だとはいえ、最近の歴代内閣と比べれば強力かつ安定的な政権である。あえて危険な衆院解散・総選挙に踏み込むことは常識的にあり得ない。自公両党は衆参両院で過半数を押さえているのだからなおさらである。リスクの大きな賭けはするべきではないと考えるのが普通だ。
また、そもそも「年内解散には大義がない」(自民党幹部)。与党から野党まで消費税増税賛成派と反対派が入り乱れている中では、消費税を先送りしたとすれば、選挙の争点にはなりにくい。当然、国民からは何のための選挙なのかと問われるだろう。
政界内に流れる年内解散情報をうのみにするわけにもいかない。誰かが意図的に流しているかもしれないからだ。たとえば安倍首相周辺が選挙態勢の整っていない野党の国会での攻勢を抑え込むために水面下で情報発信している可能性もある。
ただ、衆院の任期は4年間。2016年12月までである。選挙に大義があろうとなかろうと、あるいは争点があろうとなかろうと、あと2年余りの間に必ず衆院選が実施されなければならない。
選挙情勢として有利な年内解散を選ぶのか。それとも、選挙の大義を大事にするのか。安倍首相は今、真剣に迷っているのではないか。
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(2014年11月6日フォーサイトより転載)