日本対ギリシャ。0-0。攻撃の場面が多かったにもかかわらず、ギリシャを崩しきることができなかった。相手は退場者も出した。なぜ攻撃は機能しなかったのか。
■シュート数では大きく上回った日本
またも雨の試合となったギリシャ戦。日本は1点が遠く、引き分け。勝ち点1を得るにとどまった。グループ突破の可能性は残されたが、厳しい状況に追い込まれた。
コートジボワール戦からザッケローニ監督はメンバーをいじってきた。森重真人を今野泰幸に、香川真司を大久保嘉人に替えた。今野はラインを高くするため、ビルドアップを意識してのもの。大久保は前線の活性化と香川の状態を考えてのことだろう。
岡崎慎司をいつもの右ではなく左に置いたのは…【写真:Getty Images】
岡崎慎司をいつもの右ではなく左に置いたのはギリシャの右サイド、トロシディスとフェトファツィディスを抑えるためではないか。ギリシャの攻撃のストロングポイントは右だ。サルピンギディスが先発ではないことまで指揮官が予想していたかは定かでない。
守備に関しては、前半は少し危ない場面もあったが、十分に防げていた。カツラニスが退場になり、数的優位になると守備機会はぐっと減った。問題は攻撃だ。終始相手陣内でプレーしながら無得点(ギリシャのシュートが9本に対し、日本は16本放った)。
ザッケローニ監督は「自分たちのサッカーをある程度はできた」と試合後に語った。ここがミソで“ある程度”しかできなかったのである。前線に運ぶまではできた。しかし、そこからのイマジネーションはかなり乏しかった。
■単調なクロス。足りなかった中を崩し意識
長友佑都は両チーム最長の11.166kmを走った。何度も左サイドをえぐったが、そこからのクロスは単調で簡単に中で跳ね返された。彼自身、DFを一人かわした後でさらにドリブルで仕掛ける、あるいはマイナスのパスで攻め直すという意識が必要だった。アーリークロスでもない限り、上背で上回る相手には中で勝てない。
味方のサポートも少なかった。攻撃陣がペナルティエリア内に集中していたことが多く、クロスを上げるしか方策がないような場面も多々あった。FIFA公式サイトによると、日本は全体の44%が左からの攻撃(真ん中が24%、右が32%)。元々左はストロングポイントだったが、長友も任せっきりで、中央で複数の選手が同じ動きをしてしまった。
相手が引いてくる場合、素早く崩す展開はなかなか訪れない。そうなれば、何度も攻め直しをして守備陣が乱れるのを待つしかないのだが、そうした動きは少なく、淡白な攻撃は実を結ばなかった。
ペナルティエリアでボールを受けた回数はあまりにも少ない。香川が1回、吉田麻也が1回、大久保が2回、岡崎が1回、本田圭佑が1回、内田篤人が1回。大迫勇也は0回だった。
押し込んでいるように見えて、中を崩す意識は足りなかった。例えば、香川が裏へ飛び出した内田にパスを送り、大久保の決定機を迎えたシーン。あのようにDFラインを乱す攻撃をもっと仕掛ける必要があった。
加えて言えば、前述のデータを見れば、後半のパワープレーで吉田が競り勝てたのは1回だけということになる。コートジボワール戦で機能しなかったこの戦略をまたも指揮官が選択したのは迷走としか言いようがない。
■改めて問う「自分たちのサッカー」とは?
今重要なのは、目の前の試合を“いかに勝つか”だ【写真:Getty Images】
大会中多く聞かれた「自分たちのサッカー」という言葉。果たして「自分たちのサッカー」とは何なのか。未だ見えない。だが、それが何かを検証するのは大会後でもいいのではないか。今重要なのは、目の前の試合を“いかに勝つか”だ。
あれだけエリア内に人が密集していたのだ。中にもっと仕掛ければDFが腕を掴む、足を引っ掛ける、など主審に笛を吹かせる機会ができたかもしれない。拮抗した場面を勝ち抜くための“いやらしさ”がまだまだ足りない。
ザックジャパンは相手が嫌がることをできていただろうか。ギリシャの得意分野でばかり勝負していては、得点を奪うのは難しい。敵の弱点を突く――攻撃の本質を見失っては、本当の意味で攻撃していたとは言えない。どれだけ押し込もうと無意味だ。
前半で退いたキャプテンの長谷部誠は、エースFWのミトログルをベンチに追いやり、カツラニスのファウルを誘った(意図的かは不明だが)。賛否は分かれるだろうが、長谷部は勝利のために重要な仕事をした。
ギリシャから失点する可能性はずっと少なくなった。フェアではないかもしれない。だが、実力で上回る相手に勝つためにはそういった狡猾さも時には必要だ。次なる敵はコロンビア。自分たちのサッカーを発揮できたとして勝てる相手ではないのだ。
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(2014年6月20日「フットボールチャンネル」より転載)