大統領選出から2年が経った時、世界初の女性ムスリムの首相ベナジル・ブットは、ある情報をつかんだ。オサマ・ビン・ラディンと呼ばれる男が彼女を殺害するよう命じたという情報である。時は1990年。国際テロ組織アルカイダは当時、まだ公式には組織されていなかったのだが、世界規模のジハード(聖戦)を企てる組織の幹部たちは既にこう判断していた。アフガニスタンとパキスタン、つまり彼らが最初に対ソ連の現代ジハードを行った国々は、ムスリム世界全体に中世の(カリフ制イスラム共同体の最高指導者である)カリフ制を再興する彼らの計画の邪魔になるだろうと。
ブットはビン・ラディンによる自身への脅迫について、自著『東の娘』の第2版の中で語っている。この本の第1版では、彼女が亡命先からパキスタンに帰国した1986年の時点で受けていた脅迫について語られている。当時はジハーディストの独裁将軍ジアウル・ハクがまだこの国を支配していたのである。ブットは、ハクについての懸念をアメリカに伝えた。4年後、ビンラディンへの懸念を伝えたのと同様にである。しかし、9・11(の同時多発テロ)までは、イスラム過激派に対する警戒は、真剣に受け取られることはなかったのだ。
ベナジル・ブットはジハーディストによって暗殺された。それは2007年12月27日、ある集会で演説した後の出来事だった。そこで彼女は反政府武装勢力タリバンや他の過激派グループに関して繰り返し警鐘を鳴らしたのである。ペシャワルの生徒が大量虐殺された近頃の出来事は、ブットが鳴らしていた警鐘をよく反映している。イスラム過激派のイデオロギーの信奉者たちは、彼女に対して反抗していた。西洋の教育を受けたムスリム女性として、彼女がジハーディストたちのあらゆる憎悪の象徴となっていたからである。
ブットは想像以上に勇敢な人物だった。彼女は堂々とした性格で、非常に賢く、よく本を読んでいた。彼女のカリスマ性は、貧しいパキスタンへの同情と相まって、保守的なムスリムが多数を占めるこの国の選挙で勝利を収めることにつながったのである。残忍な軍人独裁者のジアウル・ハクは、父親と一緒に彼女を始末しなかったことを後悔した。彼女の父ズルフィカル・アリ・ブットはパキスタンの大統領や首相を務めた人物で、軍のクーデターの後、ハクによって処刑された。
過激派や彼らを支持していたパキスタンの保守派体制は、ベナジル・ブットを非常に嫌い、彼女が大人になってからの人生を、あらゆる方法で妨害しようとしたのだ。テロリストの培養地とも呼ばれるパキスタンの評価は、この国の体制が何年もかけて培ってきた超国粋主義やイスラム的イデオロギーによるものである。ブットはこのイデオロギーを、パキスタンの離れ離れになった民族集団をつなぐ絆としてではなく、世俗的なパキスタンの建国者ムハンマド・アリー・ジンナーの理念からの逸脱としてとらえていたのである。
ベナジル・ブットはパキスタンやムスリム世界、9.11後の西洋について、今日のムスリムの指導者にはないような見解やはっきりとした見通しを持っていた。自著の『和解―イスラム、民主主義そして西洋』は暗殺直前に書かれ、直後に出版された本であるが、この中で彼女は、軍の独裁化のパキスタンは主に2つの目的を持った国際テロリスト運動の中心地となったと論じている。「1つは、過激派がカリフ制を再興しようと計画していることだ。つまり世界の人々を巨大なウンマ (ムスリムの共同体) で取り囲む政治体制を再建する計画のことだ」と彼女は記している。軍人たちの2つ目の目的は、「西洋と、多元的共存や現代性を否定するイスラムの解釈の間で、文明の衝突を引き起こすこと」である。
2007年、イスラム国(IS)やその著しくエスカレートした残虐行為が姿を現す前に、ブットは、彼女のイスラム的信条を踏みにじった暴力の意図について、世界に警鐘を鳴らしていた。「2001年9月11日の攻撃は、カリフ制に触発された血で血を洗う戦いの夢の前触れとなった。つまり、十字軍の逆のことが起きる発端となった」と、彼女は世界の聴衆に向かって説明していたのだが、彼らはまだ必ずしもダエシュ -- あるいは、過激派の殺人犯が好んで使っている名前で呼ぶならばイスラム国 -- などのグループの意図を理解しているとは言えなかったのだ。
ブットはこう説明している。ムスリム世界では、宗派主義が広まっており、イスラムの教義は西洋に対するジハードを正当化するプロパガンダの道具にされてしまったのだと。彼女は西洋のイスラム嫌いの増加についても論じており、イスラム教やムスリムは、西洋の新聞や映画によく描かれているような否定的で漫画のような風刺画とは違うと主張しているのである。
ブットはイスラム市民に関する別の視点を提供しており、預言者ムハンマドが女性を「社会やビジネス、また戦争時でさえ等しいパートナーとして」受け入れたことについて書いている。「イスラム教は女性の権利をはっきり規定している。この宗教は女性や市民、経済、政治などの権利を保障しているのだ」。彼女は「民主主義や人権は、西洋の価値観であり、イスラム教とは相容れないと主張して傷つけている人で、イスラムを代弁している人」を戒めている。「この人たちはまさに、女性の子供の基礎教育を否定し、あからさまに女性やマイノリティーを差別し、他の文化や宗教を嘲笑し、科学や技術を激しく罵り、野蛮な全体主義を自分たちの中世観を補強するために押しつける人たちなのだ」。
彼女によると、このような人々は、アメリカの女性の医療センターを爆破する人とキリスト教信仰との関係や、パレスチナにあるアブラハムの墓で無実のアラブ人の子供たちを大量虐殺する狂人とユダヤ主義との関係と同じくらい、イスラム教とは無関係というのだ。
ベナジル・ブットは、暗殺された命日に、彼女が埋葬されている南部シンド州ガリ・コダー・ バクシュにあるブット家の墓所やパキスタン全土で哀悼の意が捧げられる予定である。過激派によって、ムスリムのあらゆる土地に混乱や紛争、暴力が広がった2014年は、ジハードを掲げる過激派と戦うために、彼女の言葉や経験、忠告に耳を傾ける価値があるだろう。
(ファラナズ・イスパーニはパキスタン議会の元議員で、2013年から2014年まで、ワシントンにある研究者のためのウッドロウ・ウィルソン国際センターの公共政策研究員を務めた)
- このブログはハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。