「表現の自由」は “当たり前” じゃない。ニューヨークからあいちへ2度飛んで考えたこと。

電凸と呼ばれる抗議活動や脅迫という方法で自分の気に入らない作品の提示をねじ伏せようとした人たちは、自由に物が言えなかった軍国主義の時代に戻りたいのだろうか。

作品を「見せない」と決断をすることが簡単なはずはない

あいちトリエンナーレに、2度行った。最初は9月上旬、「表現の不自由展・その後」(以下、表現の不自由展と省略する)が中止されていた時期、そして2度目は表現の不自由展が再開された最後の週末。

ニューヨークを拠点に東京と行ったり来たりをしている自分にとって、名古屋で行われている芸術祭に足を運ぶことは、時間的にも金銭的にも簡単なことではない。それでも自分が足を運んで自分の目で見ることを決めたのは、表現の自由という概念が変容しつつある状況に、日本に生まれ、日本語を書くという生業に就いた一人の人間として、直視し、何を思うか、何ができるかを考える必要があるという思いに突き動かされたからだ。

周知の通り、表現の不自由展が、特にキム・ソギョン/ウンソン夫妻による少女像、「天皇の写真を燃やした」という部分だけが独り歩きした大浦信行さんの「遠近を抱えて パート2」の2作品を「反日」と考える人たちによる抗議と脅迫を受けて、わずか3日の展示期間のあとに、一時中止に追い込まれた。これを受けて、国内外の作家・団体14組が、これを芸術に対する検閲として、抗議のために展示中止ないしは変更をした。

私が、9月に名古屋に訪れた際にやりくりしてできたわずか3時間という時間を利用してあいトリを訪れたときは、展示を継続した作家たちの力強い作品に心動かされる瞬間が多々ある一方で、本来は展示されているはずだったけれど、扉の向こうに置かれている作品のことが常に頭を離れなかった。

「平和の少女像」
「平和の少女像」
時事通信社

作家たちが多大なるエネルギーと時間をかけて作った作品を「見せない」という決断をすることが簡単なはずはない。けれど、そんな決断をするに至ったのは、芸術や表現が暴力の脅しに屈してしまったら、間接的には世論や国家への介入を許すことで、日本では憲法で守られているはずの表現の自由が保証されない状況を受け入れてしまうことになるからだ。

特に、その状況の重みが、胸に深く響いた瞬間があった。田中功起さんの展示会場のドアに到着したときのことだ。

会場への扉は開いている。けれどそこには机が立ちふさがっていて、私たちは中に入ることはできない。中からは、田中さんの映像作品『抽象・家族』の音声がぼんやりと聞こえるが、内容がわかるほどではない。扉の向こうには、自分が観ることのできるはずだった作品が、手の届かないものとして存在していた。そして客と作品の間に立ちふさがる机の上には、田中さんの表現の自由についての抗議文が置いてあった。

自分たちが気に入らない作品の展示を、暴力の脅しを以ってしても阻止しようとした人たちによって、この作品を観る機会を奪われたのだ、ということを体で感じた瞬間だった。

「表現の不自由展・その後」の展示中止を受けて、作品の内容を変更した田中功起さんの展示会場
「表現の不自由展・その後」の展示中止を受けて、作品の内容を変更した田中功起さんの展示会場
ハフポスト日本版

そのときに、もしも表現の不自由展が再開されたら、自分はもう一度、ニューヨークから名古屋にやってこようと決めた。ニューヨークから名古屋に向けて再び出発する日、台風のせいで、名古屋便も関空便もキャンセルになったが、どうしてもあいトリにたどり着かなければならないという執念で、福岡から入国するという裏技を使い、なんとかあいトリの最後の2日間に滑り込むことができた。表現の不自由展も、奇跡的に鑑賞することができた。

表現の自由は、様々な形で侵食されていく

少女像も、「遠近を抱えて パート2」も、作者たちの意図を読めば、単に反日的な意図で制作されたものでないことはすぐにわかる。そして、実物を見て、さらにその思いを強くした。そして、こうした作品を通じて、私たちは今、過去の戦争という遺産について、自分たちがどういう心持ちで向き合っていけば良いのかを問いかけられているのだと感じた。

過去の戦争という遺産、と書いてはっとなったのは、あの戦争のことを「負の遺産」だと考えることを「反日的」とか「自虐的」と主張する人たちが今の世の中には少なからずいる、ということから目をそむけてはいけないと思うからだ。

けれど少なくとも自分は、学校教育や書籍を通じて、昭和の軍国主義の時代から終戦までは、国や軍が決めることに批判的な言動が許されなかった、つまり言論の自由というものは、当時の日本では存在しなかったのだ、ということを知っている。自分が生まれる前にあった、個が尊重されず、自由に物が言えなかった時代に、戻りたくはない。だからこそ、表現の自由というものは、当たり前の物ではないし、尊いものとして死守しなければならないと思っている。

と同時に、私たちが憲法によって保証されているはずの表現の自由は、実際のところ、様々な形で侵食されているのだ、ということも理解している。

そもそも表現の不自由展は、何らかの理由で展示できなかった作品の集積なのだ。そして会場には、2001年以降、政府や自治体からの介入や、企業による自主規制などによって、芸術や表現の内容が改ざんされたり、変更を余儀なくされたり、展示ができなくなったりといったおびただしい数の事件が、年表として展示されていた。

表現の自由が、実は、完全な形で保証されていないことを、露呈してしまった、という皮肉に、電凸と呼ばれる抗議活動や脅迫という方法で自分の気に入らない作品の提示をねじ伏せようとした人たちは、気づいているのだろうか。そして、自由に物が言えなかった軍国主義の時代に戻りたいのだろうか。

一連の騒動や抗議活動、そして多くの人たちの無関心に、戦後70年以上が経った今、表現の自由というものが当たり前になりすぎて、その大切さすら忘れられつつあるのではないかと危機感を抱いた。

けれど、私たちには当たり前の自由でも、世界には、いまだに自由な言論が許されない圧政が敷かれている国が少なからずあるのだ。あいトリの作家の中には、出身国に帰ったら逮捕されたり、迫害されたりするだろうという人たちがいる。しかし、愛国的な歴史観に反する表現をした人たちが、ガソリンを撒くという脅しにさらされることも、程度の差はあれど、本質的には同じことだ。

表現の不自由展再開とともに作品の展示を再開した作家たちは、こうした危険を理解している。だから大切な作品を「見せない」という苦渋の決断をしたのだろう。

「あいちトリエンナーレ2019」企画展「表現の不自由展・その後」の入場抽選券をもらうため、列を作る人たち
「あいちトリエンナーレ2019」企画展「表現の不自由展・その後」の入場抽選券をもらうため、列を作る人たち
時事通信社

今回、私の心を動かした作品は、多数あったけれど、表現の自由という観点から特に心を動かされたのは、藤井光さんとホー・ツェーニンさんの作品だった。どちらも戦争中の軍国主義時代の日本がテーマになっている。そこには、国の繁栄が最優先事項として存在し、個の幸福追求や感情といったものが後回しにされていた時代の日本の姿があった。

少女像や大浦信行さんの映像作品を「アートではない」と冷笑する人たちの意見も耳にした。私が、アートとはなにか、と考えるときに、いつも思い出す、有名ギャラリストの言葉がある。

「アーティストたちの仕事は、一般の人々が目を背けてしまうブラックホールを見つめて、感じたことを作品にすることだ」。

その言葉を聞いて以来、私にとってのアートの存在意義は、人々を不安にしたり、不快にするような不都合なテーマに向き合い、そうした事象について、我々に考えさせ、問いかける表現行動になった。

今、戦時中の日本をテーマにする作家たちがいて、彼らの作品に自分が心を動かされるのは、表現や芸術の分野に国家が介入したり、狂信的な群集心理がそれを推し進めている姿を目の当たりにして、またそういう時代が来てしまうのではないかと危惧するからである。

そして、今回のあいトリを受けて、表現の不自由展再開とともに、会場に足を運んだおびただしい数の人たち、そしてそれをネットなどを通じて知った人たちが、表現の自由という権利を享受する当事者として、この危機感を共有してくれていることを祈るばかりである。

今、私たちは分断の時代を生きている。極端に反対側の意見が、交わることができないまま、ぶつかりあっている。SNS上で、自分と意見を異にする人たちを冷笑したり、罵ったり、粘着したり、ということが当たり前に起きている。

今回の表現の不自由展再開にあたり、画期的なポイントといえば、ReFreeedom_Aichiというプロジェクトのもと、アーティストたちがコールセンターを設置し、電話を受ける場を設け、抗議の声に耳を傾ける役割を自ら買って出たということだ。分断の時代に生きている私たちは、もっと、自分と意見を異にする人たちと耳を傾け合わなければならないのだと、教えられた。

結局のところ、今、大切にされるべき多様性という概念は、個々の意見が違うことが当たり前だということなのだ。

表現の不自由展に、抗議の電話をかけ続けたり、脅迫のFAXを送った人たちのことを、理解することは難しい。けれどもしかしたら、彼らだって声を発する場所がないのだと感じているかもしれない。

同じ日に参加した「高山 明 (Port B)『パブリックスピーチ・プロジェクト』」というイベントで、電話を受けていたスタッフの女性が、「耳を傾けるということを、バカのように大切にしていきたい」という言葉を発するのを聞いて、今の分断の時代に必要なのはそういう精神かもしれないと思った。

(編集:榊原すずみ @_suzumi_s

◇「 #表現のこれから 」を考えます◇

「伝える」が、バズるに負けている。ネットが広まって20年。丁寧な意見より、大量に拡散される「バズ」が力を持ちすぎている。 

あいちトリエンナーレ2019の「電凸」も、文化庁の補助金のとりやめも、気軽なリツイートのように、あっけなく行われた。

「伝える」は誰かを傷つけ、「ヘイト」にもなり得る。どうすれば表現はより自由になるのか。

ハフポスト日本版では、「#表現のこれから」で読者の方と考えていきたいです。

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