“自意識過剰な中二病ナルシスト”
自らをこう公言するのは「ワイド!スクランブル」等のコメンテーターとしても知られる若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)さんだ。
慶應義塾大学の特任准教授でありながら、社員全員がニートで取締役という「NEET株式会社」や、地元の女子高校生たちがまちづくりに参加する「鯖江市役所JK課」などユニークな企画で、社会や組織の新しいテーマに取り組んできた若新さん。実は、学生時代には障がい者など就職困難者の就労を支援するLITALICO(創業時社名:イデアルキャリア)を共同創業したりと、”自虐的な”自己紹介とは裏腹に、輝かしい経歴の持ち主だ。
社会をあっと驚かす斬新なアイデアの源泉はどこにあるのだろうか。というか、そもそも「若新雄純」って一体何者…?
マザーハウスの代表取締役副社長・山崎大祐さんが9月上旬、本人にインタビュー。返ってきた答えとは。
インタビューは、マザーハウス代表取締役兼チーフデザイナーの山口絵理子さんの『ThirdWay 第3の道のつくり方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン刊)を記念して行われました
僕は「何者」でもない。
――テレビをはじめ、多方面でご活躍の若新さん。今日は、尽きることのないアイデアの泉に迫るためにやってきました。まず最初に聞きたいのが、若新さんって一体、周りから「何者」だと認識されるんですか?(笑)
若新:よくぞ聞いてくれました。最近ようやく、雑誌の特集などでも僕のことを「何者かわからない存在」として取り上げてくれるところが出てきたんです。長い旅でした(笑)。
でも、メディアに出たり、名前を売っていこうと思ったりすると、何者かわかりにくいと使ってもらえないという壁があるように感じます。
テレビに出るのって普通は、弁護士・医者・学者・編集長なんですよ。そうなると、僕は一応大学の先生もしているから学者なのかという話になるんですが、学者には「本物の学者」がいるじゃないですか(笑)それでいうと、僕は会社の上場も経験しているし、いくつか会社も経営しているので、起業家なのかもしれないけど、それも幅が狭まるなと感じていて…。
「何者です」と分かりやすく説明した方がいいんだろうけど、そうするとそれ以上は興味を持ってもらえないし、自分らしい自由な働き方もできないと思ったんです。
だからめっちゃ不安だったんですけど、何者かよく分からないままやっていこうと決めました。戦略というか覚悟みたいな…。
――すごい勇気ですね。肩書きやレッテルはときに窮屈だけど、安心感につながるものでもあります。「何者でもない」自由な状態でいる不安をどう乗り越えていったんでしょうか。
若新:僕は小さい頃からとにかく新しいものが好きだったんです。決定的だったのは、ビジュアル系バンドX JAPANとの出会いです。
X JAPANが登場したときって、「あれって、ロックなの、パンクなの、クラシックなの、一体なに」って説明が難しい存在だったんですよ。彼らの存在によって、ビジュアル系という新しいカテゴリーができましたけど。YOSHIKIが、ドラム叩いて壊して、ピアノを弾き始めたとき、みんな「なんだこれは」って思った(笑)。
多くの人は新しいものが出てきたときに、分かりやすさを求めて、既にあるものの「分かりやすさ」に当てはめる。でもそれって古くなるってことじゃないですか。
思春期にX JAPANを見たときに、「新しいものを更新するっていうのはこういうことだ」って衝撃を受けたんです。その衝撃が、今も自分のベースになっています。
そうはいっても、目先の安心感に安住しかけたこともありますけどね。先輩と一緒にLITALICOを起業した当初は「学生起業家」や「起業家の時代」などという夜明け感も手伝って、「これで安心できるな」って思ったりもしました。
でもやっぱりだんだんと、「起業家ってこうある“べき”」「ベンチャーってこうある“べき”」というイメージに窮屈さを感じるようになった。その取締役を2年足らずで辞めた理由はそこにあります。要するに未熟だったわけですが、あのとき株を一切手放さず、「べき」の経営者を続けていれば、あと十億円以上は手にしていたかもしれませんね(笑)
「これが“普通”への入り口だ」
――順調な会社の取締役をやめるという決断は、かなり迷ったのではないでしょうか。お金のこともそうですが、これからどんどん伸びることもわかっていただろうし、社会的価値もある会社ですし…。
若新:実は今でも忘れられないあるターニングポイントがありました。
当時、僕らも若い経営者だったから「なめられちゃいけない」っていうのがすごくあったんです。障がい者の就労支援をするサービスですし、誠実な印象は不可欠です。だから僕は、自分のこだわりとして「髪だけは絶対切らない」と決めていたけれど、スーツはちゃんと着ていました。髪は直せないけど スーツは脱げるから、という理由です。でも茶髪でスーツを着てネクタイしめるとめっちゃバランスが悪いんですね(笑)
お客さんを訪問するときに乗るエレベーターで、鏡に映る自分の姿を見ているうちに、だんだんそのちょっとおかしな格好が気になり始めたんです。「この髪型、やっぱりお客さんが見たら『コイツ何者?』って思われるのかな」とか…。
そんなある日、大手企業から転職してきた社員さんから言われた一言にショックを受けました。「若新さんの見た目はマイナスにしかならない」って…。
それ以来、「ネクタイも変えた方がいいかな」「スーツがそもそも派手かな、やっぱシャツも…」って自分の見た目全てが気になり始めた。ただし髪の毛だけは切らないと決めているから、少しずつ全体がアンバランスになっていくんですね(笑)
で、あるとき気付いたんです。「こうやって人は型にはまっていくんだ」と。
なぜみんなが「オーソドックスな形」にたどり着くのかというと、少しでも気になることに一度手を付けてしまうと、そのまま全部排除してしまうからなんだと思いました。
僕は自意識過剰な分、自分に起こっていることを客観的に認知するのに長けていたんですね。だから「これが“普通”への入り口だ」と気付いた。
その瞬間、それは僕にとって「破壊しなければならないもの」でした。X JAPANに憧れ続ける中二病の僕からしたら、“普通”の入口を壊す歌詞をやっぱり歌わなきゃいけないわけだから(笑)。
それで 「もうこれはこれ以上続けられないな」と思って、取締役を辞めました。
――自ら立ち上げた会社を辞めるというのは、大きな決意ですよね。「型」にはまって働くことに慣れてしまっている人たちからすれば、なかなか真似ができないなと感じます。
そうですね。ダイナミックに経済が成長していた時代は、大きな組織に入って、ローンを組んで、家を買って、安定した暮らしをするっていうのが良かったと思うんです。「俺にはこういう才能があるんじゃないか」「俺はこういう人間になれるんじゃないか」などといった思春期的なものを押し殺してでも組織人になったりとか、社会の常識を身につけた人のほうが、洗濯機も冷蔵庫もエアコンも買えるという時代だった。
でも、僕らは成熟した社会に生まれてきたわけだから、多分言われた通りやっていても、どこか満足できないと思うんです。
社会の「型」に従っていても幸せが保証されるわけではない今の時代、自分の価値観や哲学、好み、ありたい姿がどこにあるのかと言うと、それはやっぱりピークに達した思春期にあると、僕は思う。多くの人が、大人になるにつれて、周りから抑圧されて忘れてしまっているけれど…。
分かっていることしかやっちゃいけないの?
――今「思春期」という言葉がでました。若新さんとは「全国高校生 MY PROJECT AWARD」の審査員を一緒にやらせて頂いていますが、その中でもよく「高校生の思春期らしさを評価しなければいけない。それは大人が失っているものだ」とお話されているのが印象的です。
思春期って素晴らしいですよ(笑)。
自分の中にある思春期的なものの中で、今も僕がずっと持っていて良かったなと思うのは、「問い」や「疑問」みたいなものです。
僕は、思春期の頃から「問うこと」が好きだったんですね。田舎の山奥で学校の先生の家に生まれ育ったのですが、当時は校則から受験の仕組みまで色んなことがいちいち疑問でした。ネットもない時代だったので、疑問を共有するような場もなかった。親や先生に「そういうこと言う前に勉強しろ」と言われるほどに、ウジウジと問いを立てることにはまっていきました。
今も「問い」は大切にしています。適当に疑問を持っているだけじゃタダのうざい奴なので(笑)、「上手な疑問の持ち方」というのはかなり身につけてきたつもりですけど。
僕がこれまでやってきた事業も、答えより問いを重視するという自分の性格が反映されていて、モデル化して量産するというビジネスはほとんどありません。
実はNEET株式会社を始めた時に、周囲からかなり多くの批判を受けたんです。なぜかというと「答え」が見えないからなんですよ。「何のためにやるの?」「いっぱいニート集めて、責任取れるの?」みたいな。それに僕は「分かんないっす」って答えました(笑)だって分かるわけないでしょ(笑)
そうすると世の中は「分からないなら無責任にやるなよ」って言う。つまり、世の中のまともな価値観では「分かっていることしかやっちゃいけない」わけです。
でも、分からないということを追求していくことで、何か新しいものが見えたりもする。それが思春期のエネルギーだと思うんですよ。先生は確実に“答え”が分かってて僕たちに何かを勧めたり辞めさせたりするけど、それでも僕らには「行ってみたい、吸ってみたい、飲んでみたい」ってあったでしょ(笑)
「正しさを疑う存在」でいたい
――ただ、誰もがみんな若新さんのように「問い」を立てられるわけではないですよね。世の中の大部分の人は「問いに対して答えを出していくトレーニング」がされているので、そういう人たちの活躍の場も作っていかなきゃなりません。
若新:そこに対しては、評価基準を一個にしなければいい話じゃないかと思うんです。
日本では、ひとつの組織や集団があると、常に一つの傾向や方針に染めがちだと感じています。たとえば、「問いかける役割」の人と「答えを出す役割の人」を共存させることができれば組織は面白くなるのではないでしょうか。
今は企業にしても自治体にしても、評価基準が一つに寄り過ぎていて共存できていない。だから、その基準に合っていない人はそこにいれなくなってしまう。それではもったいない。
今の社会は、やる前に答えがわからないことが増えてきています。良い意味でも悪い意味でも、先進国になって「前例」がなくなってきましたから。
答えがわからない時代だからこそ、みんな答えが欲しくなっているという部分もあります。だから、池上彰さんや林修先生みたいな「なんでも答えてくれる人」がヒットする。
答えを出せる人は当然かっこいいし、需要がある。でも僕は「疑問状態でもいいんだ」みたいなことをもっと言いたいと思っています。まさに役割分担です。
だから、めちゃめちゃ不安だけど「はてな状態でテレビに出よう」と決めているんですね。「若新さん、どう思いますか」と意見を求められたときも、単に「わからない」だけでは進まないけど、答えを出すというよりは「こういう見方があると思ったけど、別の見方もあると気づいてしまって。どうですかね」というようにコメントするようにしています。
「単純ではないよね」とか「正しさって怪しいよね」と問いかけていくのが、僕に割り当てられた一つの役目だと思ってます。
こうして「違うものを共存させる」ことで社会や組織がもっと面白くなるといいですよね。思春期的な、やっぱりYOSHIKIのピアノとドラムですよ。
山口絵理子さんの著書名「Thirdway(第3の道)」というメッセージは、ハフポスト日本版が大切にしてきた理念と大変よく似ています。
これまで私たちは様々な人、企業、団体、世の中の出来事を取材してきました。多くの場合、そこには「対立」や「迷い」がありました。両方の立場や、いくつかの可能性を取材しつつ、どちらかに偏るわけでもなく、中途半端に妥協するわけでもなく、本気になって「新しい答え(道)」を探す。時には取材先の方と一緒に考えてきました。
ハフポストは「#私のThirdWay」という企画で、第3の道を歩もうとしている人や企業を取材します。ときどき本の抜粋を紹介したり、読者から寄せられた感想を掲載したりします。