「18歳選挙権」が導入され、2度目の全国規模の国政選挙となる衆院選が10月22日に投開票される。初回、2016年の参院選では、盛んな呼びかけにもかかわらず18歳と19歳の合計投票率は46.78%と低水準だった。
今回の選挙では、批評家の東浩紀氏が「積極的棄権」に賛同する人の署名を集めるなど、政治に対する厭世観がさらに広がっているようにも見える。
そこでハフポスト日本版は、投票行動について興味深い国際比較の研究をしている明治大学の鈴木賢志教授に話を聞いた。
スウェーデンの国政選挙(2014年)の30歳未満の若年層の投票率は81.3%。同じ年の日本の衆院選の若年層投票率は32.6%と大きな差がある。しかし、一方で、内閣府の意識調査で「政治に関心がある」と答えた若者の割合は、むしろ日本の方が高かったのだ。
「政治に関心が薄い、でも選挙に行く」とは、いったいどういうことなのだろうか?
鈴木教授はスウェーデンの若者の高い投票率を引き出している教育に着目。小学校高学年相当の社会科の教科書を紐解いた著書も出版している。日本とスウェーデンの若者の、何が違うのか?そしてその比較から鈴木教授が「日本の子供はバカにされている」と指摘する、その理由とは?
――スウェーデンの若者の投票率が日本より高い、一番の理由は何でしょうか?
「エフィカシー」です。つまり、政治に関心があるというより、「自分が投票したら社会が変わる」という意識です。
内閣府が2013年に実施した若者の意識に関する調査で、「あなたは、今の自国の政治にどのくらい関心がありますか」という質問がありましたが、「非常に関心がある」「どちらかといえば関心がある」を合わせて政治に「関心がある」という若者の割合を比べてみると、日本がスウェーデンを上回っているのです。
一方、「『私個人の力では政府の決定に影響を与えられない』と思いますか」という質問に対して、日本では「そう思う」「どちらかといえばそう思う」という若者が多いのですが、スウェーデンでは少数派でした。
例えば、スウェーデンには、学校選挙という制度があります。
――学校選挙、どんな制度ですか?
投票日の前の2週間、中学校と高校相当の学校で、実際の選挙と全く同じ政党、同じ投票用紙で、投票するんですよ。
――同じ政党、同じ投票用紙ですか。
しかもその結果は、全国的に集計されて、本当の投票結果が出たすぐあとに公表されます。
――日本でも学生が「模擬投票」をする取り組みはありますが、架空の政党・候補者ですよね。
それで、何になるというのでしょう。日本の子供だってバカじゃありません。架空の名前を書かされても何も面白くない。本当の選挙で問われるのは、自民党や公明党にこのまま政権を担ってもらいたいのか、それともその他の政党なのかって話じゃないですか。スウェーデンでは、それをきちんと子供たちにも問うています。
――そう考えると、日本の子供たちはある意味「バカ」にされている気がしました。
そうだと思いますね。「子供扱いされている」と言えるかもしれません。
――子供扱いされている。
子供扱いされた結果、どういう大人になるのでしょうか。
18歳で選挙権が付与されることになりましたが、私の教えている明治大の学生たち、日本でそれなりの大学だとは思うのですが、日本のそれぞれの政党のことをどのぐらい理解しているのか疑問です。
「安倍首相は憲法を変えようとしている、だから、革新、だから『左翼』なんですね」と理解している学生もいるぐらいです。
普通の大人の人々だって、「あの人かっこいいから」「かわいいから」と、投票しているんじゃないですか?
――なるほど...投票に行く、行かないの前にそもそも知らないという問題もありますね。
要するに、教育で教えていないんですよ。例えば「右」とか「左」って何?っていうことさえ。教育ではタブーですよとなっていますよね。現実ではなく、一般的な制度しか教えません。
――スウェーデンでは教えているのでしょうか。
高校に各政党の若者組織の関係者がやってくる授業があります。若者目線で「自分たちの政党はこういうことを言っている」というのを解説するんです。
ただ、中立性には気を配らなくてはいけないので、申し出があった、一定以上の規模の政党の来校は基本的に受け入れる決まりになっています。時間的な制約や先生の負担の大きさの点で問題になっていたりはするのですが、基本的に政党が学校に来ることを悪いことだとは考えていません。
日本だと、中立性を保つために、一切呼ばないとなるのが普通ですが。
――学校に、政党が来て話をするというのは、ちょっと考えられないですね。
僕は、8年前の選挙の前に、現場を見たことがあります。体育館で子供たちが座っていて、政党の人々も革ジャンみたいなのを着て、「お前ら、俺はこの政党から来たんだけど、どう思ってる?」みたいな問いかけをしていましたね。
生徒側からはヤジが飛んだりもしました。「ふざけんなーお前の政党は間違ってる」みたいな。モノを投げる生徒もいて、そういう中で、「でも、うちの政党はこういうことを考えてるんだ」と話していました。
――日本だったら、先生が青くなってしまいそうです...。
そもそも、中学生・高校生にもなると、政党の若者支部に入っている子も多いです。
ある中学校相当の社会の授業で、インタビューの課題を与えた学校も見ました。ある社会問題に対して各党ではどういう意見を持っているか、それぞれ調べましょうという内容でした。
そこからも、すごくて。「詳しく知らないけれど隣のクラスの子が党員だから聞いてみよう」とか。その子が支持している政党以外の党が割り振られて、渋々やってる子もいましたね。
日本では選挙権のない18歳未満は選挙運動が禁止されていますよね。でも、スウェーデンはそんなレベルじゃないですよ。ある政党の若者支部の党員の子が、ほかの学校に行ってチラシを配ったりもしているんです。
――日本は、子供をなるべく政治から遠ざけようとしていますね。
「悪い大人にだまされる」「洗脳される」から、危ないというような発想ですよね。子供が騙されちゃうんじゃないか?だから危険です、ということですよね。バカにしています。
でも、子供はそんなにバカじゃない。子供は子供の目線で考えて、正しいって思うことがあれば、それはそれでいい。
政治のことがわからないまま、大人が投票することのほうがよっぽど危険です。
――選挙運動だけでなく、日本は過去の学生運動の反動で、高校での政治活動も禁止するようになった(※18歳選挙権との関係で緩和されたが、制約は残っている)と聞きますが。
反動なんでしょうね。ただ、スウェーデンの学校選挙も、全国集計の結果を出すようになったのは、1998年なんです。そんなに昔でもないですよ。
――子供を「子供扱いしない」ことと関連して、スウェーデンの社会科の教科書にあった「ソーシャルメディア」のくだりにもとてもびっくりしました。小学校高学年相当の内容で「Twitterなどのソーシャルメディアは世界中の権力者に影響を与えられるツールです。あなたも意見を述べて他の人々に影響を与えることを考えてみましょう」という解説が出てきます。
教科書でしれっと出てくるところがすごいですよね。日本でのSNSやインターネットの使われ方は、情報収集のツールというイメージがすごく大きいですけど、「発信」が大事と言い切っています。
――それも、中学生が政党ビラを配ったりしているような土台があってのことなんですね。
そうですね。自分の考えを外に伝えるっていうことを、彼らはすごく大切に思っているんですよね。日本は全く逆で「相手の話を聞きなさい」とよく教育します。受け手としては、すごくうまいと思うんですけど、逆ですね。
法律についても、「自分で作る」という感覚がすごくあります。
例えば日本だと、学校に校則があって「守りなさい」だけれど、スウェーデンではその規則は、「自分がつくるものだ」と。おかしいなと思ったら、変えればいいんだという考え方です。
スウェーデン人の知り合いに、ある幼稚園に遊べる小屋をつくったという話を聞きました。日本だったら「屋根にのぼらないこと」とかルールを先に作ると思うんですよね。それをあえて子供たちに「どうしたらいい?」と考えさせて規則を作らせる。作らせることによって、守ってくれる。「自分が規則を作る」という経験をさせることが大事だと。なるほどなと思いましたね。
――幼稚園から既に「社会に物申す」教育が始まっているんですね。
それも、全て民主主義の練習であるという枠組みの中でやらせている。
ただ、小中学校相当の学校では今問題になっていることもあります。もともと子供が授業のカリキュラム、内容に関しても影響を与えられることになっているのですが、どうやるのか?ということです。
要するに、授業内容も自分が決められるのは、理想としてとってもいいんだけど、「こんなの難しいからやりたくない」って子供が判断した内容を、必要な場合に先生がどうやってやらせるように導くんだということです。
――OECDの生徒の学習到達度調査(PISA)で、スウェーデンの子の数学の成績が、周辺国に比べて低くて問題になっている、という話も著書にありましたね。
そうですね、非常にスウェーデンでは今問題視されています。そこは悩みどころですよね。
ただ彼らは今度何を言っているかというと、そもそもPISAの成績が悪いのは、そんなテストにみんなが興味を持たないからだ、意味がないからだみたいなことです。
――すごいですね。
さすがに開き直りもいいところだろとは思うんですけど。政治家たちは、頭を悩ませているけど、一般のジャーナリズムの中では、そういう意見も結構ありますよね。
学習のモチベーションをどう高めるのかという議論がされていますが、無理にやらせるのではなく、「もっと自治を充実させるべきだ」みたいな意見が主流です。
日本人的発想では、余計ダメになるんじゃないの?という気もするんですけど、彼らの発想は、「自発的にやらなければ、結局身につくものじゃない」。そして、モチベーションを高めるのは、大人の責任だと。
――発想がまるで違うと感じます。
でも、別にやらなくていいよって言ったら、やらないのも勉強なんですよね(笑)。
――数学なんかは、ある程度の忍耐も必要かもと思うのですが...。
と、思うんですよ。だから、日本人はたぶん数学はできるんでしょうね。
ただ、悲しいかな、今日本でやっている勉強やテストで測れる学力は、どのくらいこの先のAIの時代に役立つのかっていうと、それはかなり不安がありますよね。忍耐は、養われていると思いますけど。
――発想や教育がまるで違うのが、よくわかりました。日本が学べることは何でしょうか?
やっぱり、子供を子供扱いする時代では、もうないということだと思います。
子供だから、危ないから、政治にも近づけませんってやっていると、結局大人になっても学ぶ機会なんかない。だって、学ばなくたって、いい大学出て、いい会社に就職できますから。
そうすると、政治家が勝手にやるか、シングルイシューを持ち出した政治家に引きずられてポピュリズムに陥るかでしかない。あるいは、不満だけたまって、爆発するか。
これだけ進んだ日本という国のはずなのに、すごく原始的なんですね。今の状況は、やっぱり教育で変えていくしかないでしょう、と思います。その意味で、とても参考になる主権者教育をしているのがスウェーデンだと思います。
鈴木賢志教授・プロフィール
政治社会学者、明治大学国際日本学部教授、一般社団法人スウェーデン社会研究所代表理事・所長。1968年、東京都生まれ。主に、日本と北欧諸国を中心に先進諸国の社会システムと人々の社会心理を比較研究している。東京大学、英国ロンドン大学、ウォーリック大学を経て、1997年から2007年までスウェーデン、ストックホルム商科大学欧州日本研究所で研究・教育に従事。2007年から2008年まで英国オックスフォード大学客員研究員を経て帰国し現職。近著に『日本の若者はなぜ希望を持てないのか』(2015年、草思社)。編訳に『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む: 日本の大学生は何を感じたのか』(2016年、新評論)
関連記事