2020年の東京オリンピックを、日本人選手全員がボイコットする━━。そんな架空の映像作品を、社会問題を芸術で表現する丹羽良徳さん(36)=ウィーン在住=が完成させた。
作品はオリンピックの1年前にあたる7月24日から、東京都内のギャラリーで展示される。
世界的な祭典に向けてムードが盛り上がる中、挑発的な作品を生み出した狙いは何か。帰国した丹羽さんに聞いた。
作品のタイトルは「想像したはずの共同体」。
ナショナリズム(国民国家というまとまりを重視する考え方)の誕生をひも解きつつ、国民という概念が想像の産物でしかないことなどを述べた名著「想像の共同体」(ベネディクト・アンダーソン)にちなんで名付けた。
作品は約15分。ドキュメンタリー風の映像で、ストーリーは、東京オリンピックの開会式に日本人選手団が姿を現さず、大騒ぎになるところから始まる。
政府が必死に事態の収束を図ろうとする中、日本人選手たちが独自に記者会見を開き、オリンピックをボイコットすることを表明。世の中は大混乱におちいる。
ボイコット劇を外国人選手に語らせるシーンも盛り込むなど、視点の相対化を試みている。
丹羽さんによると、映像は自ら撮影した動画もあるが、ほとんどがYouTubeに投稿されているニュース動画などを利用して編集したという。
例えば、日本人選手が開会式を欠席した際、安倍晋三首相が記者会見で「事態は収束に向かっている」と発言する場面が登場する。
これは、実際に安倍首相が2013年の国際オリンピック委員会(IOC)の総会で演説したときの映像を使っているという。
1964年に開かれた前回の東京オリンピックの投稿動画も利用。現実と非現実とを混同させる手法をあえて採ることで、「フェイクニュースの広がりが問題になっている今の風潮をも表現する」(丹羽さん)という。
ただ、ニュース映像などを勝手に使うことは、日本では著作権の侵害を指摘される可能性があり、東京での展示(上映)では、該当部分については画面を真っ黒にし、字幕だけ表示するようにした。
黒塗りは全体の8割ほどに上るという。
丹羽さんは「欧米ではフェアユースという考え方があって、非営利目的などの条件が満たされれば著作権の侵害に当たりません。海外での展示は黒塗りにはせず、そのまま上映しますが、日本ではこの考え方が認められないと判断し、やむなく黒塗りにしました」と明かす。
作品の狙いは?
「当事者」不在のオリンピックという設定は、オリンピックに対する丹羽さん自身の根強い反発がある。2018年のハフポストのインタビューで丹羽さんは制作の動機をこう述べている。
今回の五輪に意義を感じません。莫大な税金をつぎ込んで、潤うのは建設業界などです。
結局、巨大な公共事業以上の意味はありません。前回の東京オリンピックの幻想が捨てられない世代がいるということです。「あの輝かしい栄光をもう一度」と思っている人たちが。
僕らはそうではない日本の将来を見つけないといけないのに、東京も政府もそれを国民に見せられなかった。悲しいことです。
施設の建設が着実に進み、オリンピックがリアルになっていくことに対して、どう対抗できるんだろうと思いました。
抗えない大きな力。「反対」「反対」と連呼していても何にもならない。少しでも抵抗するために、問題提起するために制作を決心しました。
開催することで、国民一人ひとりが莫大な借金を背負うことになるオリンピックとは結局、「資本主義の問題だ」と丹羽さんは言う。
資本主義はまるでモンスター。何かにつけて「もうかる」っていう一言でまかり通ってしまう。
そしてそれは、たいてい「罠」のようなもの。そもそも、もうかることを、そんなにやり続ける必要があるんでしょうか。
人々が資本主義の論理に組み込まれ、人生の価値さえもそれによって決まりすぎる社会。
僕らはもはや、このシステムの外に出ることができないんじゃないかと思う。
「日本や日本人という考えも想像」
そんな問題意識に加え、丹羽さんはもう1つ、考えたことがあった。それはオリンピックはナショナリズムを担保するための「装置」になっているのではないか、ということだ。
国別対抗で競うオリンピックはどうしてもナショナリズムを刺激しますよね。
で、そのナショナリズムですが、例えば日本とか日本人という同胞意識は、結局は想像の産物でしかなくて。
私たちが想像したはずの共同体がオリンピックによってどう暴かれるのか、それを表現しようと思いました。
完成間近、そんな考えが浮かんだことから、当初の作品名「東京オリンピックで日本人選手全員がボイコットする」から変更したという。
そんな思いをさらに表現しようと、オリンピックがらみの作品をもう1つ作った。
名前は「自分自身、意味を理解していないことを話してもらう」(2019年版)。
IOC総会で安倍首相の演説をローマ字で表記し、それを日本語を知らないオーストリア人の女性が読み続けるという映像作品だ。
女性はゆっくりではあるものの、「私ども日本人こそは、オリンピック運動を、真に信奉する者たちだということであります」などと日本語で語る。
丹羽さんは作品の狙いについてこう話す。
この作品をみていると、だんだんこの女性が日本語を知ってるんじゃないかって錯覚してくるんですね。
言語が同胞としての感覚を生み出すということだと思うんですが、でも外見からは、彼女は日本人らしく見えない。そこに「違和感」が生まれる。
日常生活でもよくあるじゃないですか、外見は日本人ぽいのに日本語が話せない人や、逆に外見は日本人に見えないのに日本語がめちゃくちゃうまい人に出会うと、「ふわっ」とする違和感。
彼らは自分たちの日本人観からはみ出ている存在であり、想像の共同体を脅かすんでしょうね。
そう考えると、やっぱり自分たちが考える日本人ていうのは想像であり、よく言われる「日本人らしさ」なんてのもまた、想像でしかないのではないか、と。
作品を通じて私たちが想像する日本や日本人の正体をあぶり出せればと思います。
作品はギャラリー「Satoko Oe Contemporary」(東京都江東区白河3-18-8 第二杉田ビル1階)で展示される。
期間は前期が7月24日~8月9日、後期が8月25日~9月6日。それぞれオリンピックとパラリンピックの開催期間に合わせた。
初日の7月24日は丹羽さん本人がギャラリーにいる予定。