2018年の大晦日。「いきものがかり」は、紅白歌合戦の舞台に立っていた。
「放牧」と銘打った1年10ヵ月の活動休止期間を経て、再結集した直後のNHKホール。3人の表情はとても晴れやかで、どこか吹っ切れたようにも見えた。
国民的人気グループはなぜ、人気絶頂のタイミングで「一旦停止」を決めたのか。「休む」ことで浮かび上がった「働く」意味とは。
リーダーでソングライターの水野良樹さんに振り返ってもらった。
放牧は「不安」だった。でも「本当に大事なのは、僕たち3人の人生だから」
デビューから10年、おかげさまで色々な曲を、世の中に出させていただきました。
「老若男女みんなに伝わる」とか「J-POPを代表する」などと褒めていただくのはとても光栄でしたし、何とか自分たちもそうありたいと思って頑張っていました。
でもどこかで、自分たちの本来の実力よりもイメージが膨らんでしまっているな、というモヤモヤがあったような気がします。
特に後半の5年ぐらいは、皆さんの期待に応えたいという思いから、3人の中に常に緊張感があり、これがずっと続けばいつか限界がくるだろうという予感はあった。
「いきものがかり」のチーム全体としても、走り続けることが目的になってしまっている空気はありました。
スタッフを責めるつもりは毛頭なく、誰しも成功体験ができると、保守的になったり、同じやり口を繰り返したりしてしまう。チームとしてのビジョンが見えづらくなってきている雰囲気はあったので、それを何とか断ち切りたいと思っていたかもしれません。
活動を休止することに、当然不安はありました。こんな世界ですから、新しいアーティストもいい曲もどんどん出てきます。皆さんに忘れ去られてしまう恐怖は大きかった。
スタッフや周囲の方たちにも大きな迷惑をかけますしね。
それでも、3人の話し合いの中で、(活動休止に)踏み切る価値があると判断しました。
わがままな言い方ですけど、やっぱりこのグループの核は3人なので、3人の人生が大事。僕たち3人が音楽とどう向き合うか、大事な30代をどう過ごすか、これからどう生きていくか。
休む人は休む、別のことに挑戦する人は挑戦する。いずれにせよ「いきものがかり」の歩みを一度止めることは、僕たちの人生にとって価値がある。そう判断しました。
ソングライターとして「一度止まって」成長したいと思った。
「放牧」という決断に至った僕個人の思いとしては、ずっと前から持っていた、「ソングライターとしての技術や能力をもっと高めないと」という危機感がありました。
「いきものがかり」の制作現場しか知らない、吉岡のボーカルレコーディングしか知らない、じゃあダメだ。もっと外に出て多くの景色を見て、「いきものがかり」をもっと俯瞰して見てみたいという気持ちは強くありました。
"多動力"的な能力を発揮して、同時に色々チャレンジすることで成長する人もいると思いますが、僕は不器用といいますか、ちゃんと止まらないと変われなくて...。
葛藤もありますが、結果として「放牧」期間中に多くの現場でアーティストの方々の十人十色の真剣勝負に立会わせていただいた経験が今後の「いきものがかり」に結びついてくると思うので、決断して良かったと思います。
"一旦停止、そして再開"。長いキャリアでこうした選択をすることは有効なのか
僕、あるいは僕たちが、活動を休んでまた戻ってくるという選択をしたことは、正しかったと思っています。
でもだからといって「みんなも一旦停止してみるといいよ」と言えるかというと、それはすごく難しい。
ただしひとつ言えるのは、個別の事情がたくさんあるということは、裏を返すと"正しさ"はいくつでもあるということ。例えば働き方にしても、家庭内での家事育児の分担にしても、解決策は無限にあるはず。
今はSNSなどで、色んな人が色んな意見を言い合える時代。それはすごく素敵だけど、議論がすぐに"みんな"に適用されうるたったひとつの正解を導き出そうという方向に進みがちなことには疑問を感じます。
誰だって生きていれば不安はあるだろうし、絶対的な正解があってくれた方がやっぱり楽なんだと思うんです。でも、"どっちが正しいんだ論争"の中で、正しくないと認定された人のことはいくら叩いてもOKなんだ、みたいな空気ができるのは僕は嫌ですね。
個別の状況に応じて「正しさ」は違うし、大事にするものも違う。僕たちの「放牧」がいい経験だったからといってそれを押し付けるのではなく、それぞれの正しさがあるという状況を社会全体で担保してあげることの方が大事だと思う。
家族との時間を大切にしたいという人もいるだろうし、今はがむしゃらにキャリアアップしたいという人もいるでしょう。
一人ひとりが人生のその時々で、自分が一番大切にしているものは何なのかを問い続ける姿勢がやっぱり求められるのだと思います。
立ち止まったからこそ浮かび上がった、水野良樹の「大切なもの」
かくいう僕、水野良樹は何を大事にしているのかと問われると、やっぱり曲を作ることが好きだし、これをずっと掘っていきたいです。
(この問いに答える上で)もちろん息子の顔はよぎります。彼が生まれてからすごく色々な気づきを与えられましたしね。でもやっぱり彼はやがて独り立ちし、1人の人間として生きていく。自分にできることはその手助けぐらいのものです。
もちろん彼に何かあれば親として身を賭けて守るけれど、彼のことを「僕の生きる意味です」と言ってしまうと、彼に対しても重いだろうし僕にとっても何だか違う気がするんです。
僕は彼に何かを与えているし、彼が僕に与えている影響も大きい。そしてそれは僕の場合にどこへ繋がっていくかというと、やっぱり曲作りでしかないんですよね。曲を作っていた父親の姿について、いつか彼が成長したときに何か思うこともあるでしょう。
この2年間、僕はすごくたくさんの曲を作りました。「いきものがかり」の頃に限界だと感じていた遥か上のスピードで作り続けて、それまでの自分の甘さも痛感しました。
自分で選んだ道とはいえ、体力的にも精神的にもめちゃくちゃきつかった。
「(自分自身のアーティスト活動を)休んでいる」という意識の中で戦わなきゃいけないというのは、状況と心境のギャップもコントロールしなくちゃいけなかったので、正直すごく大変でした。
そういう辛い時、僕が何を考えていたか?
「ああ、結局俺、曲作るの好きなんだな」ということだったんです。
もしこの先、僕がソングライターとして時代遅れになって商業的に成り立たなくなったとしても、あるいは何かのトラブルで職業としての音楽家を辞めなければいけなくなったとしても、なんか、別にいいやって思っちゃったんですよね。
もしそういうことがあったとしても、僕は曲を作っている気がする。
これまでは常に「誰かに聴いていただかなきゃ」と思っていたし、そこに価値が生まれなければ僕の存在なんて意味がないと思っていました。だから「ああ、意外と俺、本当に曲を作ることが好きなんだな」というところに辿り着けたのは大きかった。何かが吹っ切れた気がします。
極論、別にダメになってもいいやと思ったから、自分が何を守っていかなきゃいけないのかがわかったんです。
"みんな"に向けて曲を作ってきた。それは、無数の個人の物語と繋がっていくということなんだと思う
僕たちが世に出て行こうとした2000年代の初めの頃というのは、みんなが「俺は他の人より個性があるよ」という顔をしていた時代だったんです。ライブハウスでもみんな、自分がどれだけ人と違っているかを主張するのに躍起になっていた。
当時、僕たちはよく「真ん中が空いているじゃん」と言っていました。多くのライバルや音楽評論家の方たちに「ダサい」「つまんない」と言われた「みんなが聴くもの」。そのポジションを取りにいこうとしたんです。
Aメロ、Bメロ、サビ...。色んなルーツの音楽を背景にして独自の進化を遂げてきたJ-POPというジャンルを聴いて育った僕たちが、そのど真ん中でJ-POPを一層強化していこうと決めたんです。
そして、いま何が起きているか?
若い世代の作り手や聞き手は、国境も時空も超えて、全ての音楽シーンをフラットに見ています。60年代の洋楽を聞いたかと思えば、昨日配信された最新曲を楽しむ。
僕らは奇しくも「真ん中に行きたい」みたいなことを言っていましたが、今や「どこが中心でどこが周辺か」という考え方そのものが崩壊しています。
そうなった時、"みんな"に届けたいという思いは、必ずしも「真ん中を獲る」ということではなく、凄い数の個人にどう届けていくかという話になるのではないか。僕たちの歌は、無数の一人ひとりの物語に繋がっていかなきゃいけないんだろうなぁと思うんです。
僕のことが憎くても「ありがとう」は好き。そういう相手と、音楽でつながっていきたい。
例えば、僕を殺そうとしている人がいても、「ありがとう」を好きだという人はいるかもしれない。僕とその人は、政治的な考えも主義主張も全然違って、殺し合いたいぐらい憎み合っている。
でも、その人は「ありがとう」に描かれている世界観には共鳴できる部分があって、この歌を聞いて、自分の大切な人を思い浮かべるかもしれない。それが歌や音楽のもつ希望だと思うんです。僕という個人の限界を、音楽が超えていく瞬間です。
曲を聴いてくれた人のパーソナルな物語と繋がって、その人たちの考える優しさや、愛情のかたちに影響していくかもしれない。僕すら媒介しない、新たな人と人とのつながりもあるかもしれない。
僕という個人を超えた曲を書いていくことで、漠然とした"みんな"ではなく、"みんな"という言葉で形容されうるような凄い数の一人ひとりと繋がっていける可能性があるんだろうと、今は思っています。
ありがたいことに、「放牧」していた間に、僕たちの曲を卒業式や結婚式など、人生の大事な場面で使っていただいたという話を何度か耳にしました。
僕にできることは限られている。それでも僕たちは繋がれる可能性がある。ソングライター・水野良樹が追求しているのは、そういうことだと思っています。