「泥縄だったけど、結果オーライ」――。新型コロナウイルス対応で、安倍晋三前首相が胸を張った「日本モデル」の真相は、ある官邸スタッフが発した、この言葉に象徴されているのかもしれない。
船橋洋一氏(元朝日新聞主筆)が理事長をつとめるシンクタンク「アジア・パシフィック・イニシアティブ」がまとめた『新型コロナ対策民間臨時調査会 調査・検証報告書』が話題だ。
新型コロナの感染拡大の勢いは再び増し、「Go To トラベル」をめぐる混乱もおさらまらない。
安倍晋三、加藤勝信、尾身茂、西村康稔各氏といった対策のキーパーソン、そして匿名の官僚たちーー。いったい日本モデルとは何だったのか? 船橋氏が語った。(聞き手は石戸諭。インタビューは東京都内、11月5日に行った)
「日本モデル」の違和感。論理と戦略がない
――この先、再流行は確実視されています。そこで問題になるのは「日本モデル」とは何か、です。日本モデルとは、政治の意図でも、政策的な意図でもない。手持ちのカードの中から一枚、一枚切っていく中で、結果的にそうなってしまったものではないかと思いました。
船橋 安倍晋三前首相の会見で、「日本モデル」と聞いた時に違和感がありました。モデルというのは、論理と戦略がなければならない言葉です。いみじくもヒヤリングに応じた官邸スタッフが語ったように、結果オーライで、私たちからみれば「及第点」「辛勝」です。
第一波では、やはり国民がかなり頑張りましたし、政府だっていくつかの政策は良かったと思います。例えば、全国一斉休校にしても、多くの専門家はエビデンスがないと批判をしたけれど、直後の世論調査を見ても国民は支持し、フランスやイギリスでも後を追って休校措置をとりました。
何より、国民の行動変容を促したという意味では結果的に強いメッセージになったのです。
日本政府が最初に迎えた大きな危機であるダイヤモンド・プリンセス号に対応についても最初は世界中から批判されましたが、乗客を大きく言えば船内隔離、船内の個別の部屋に隔離するという政策は間違っていたとは言えません。
陽性率が非常に高かった3711人の乗客乗員を船内から下ろしてしまったら、日本のどこかで最大規模のクラスターが発生したかもしれません。
しかし、問うべきなのは、これはモデルなのか?ということです。我々の検証では、戦略も論理もない。モデルとは呼べないというのが現段階での総括になります。
10年前に指摘されていた「パンデミック」
――報告書ではこのように指摘されています。日本モデルとは「戦略的に設計された精緻な政策パッケージのそれではなく、様々な制約条件と限られたリソース」のなかで、「場当たり的な判断の積み重ねであった」と。
2010年6月に発表された新型インフルエンザ対応の総括報告の中で、すでに今回の問題は指摘されています。
そこで指摘されていることを要約すれば、これからもパンデミックは起こること、そして備えをしなければ日本は大変な危機に直面するということです。
現実は、その通りになりましたね。
この報告書を作ったのは、今も専門家を率いている尾身茂さんであり、岡部信彦さん(川崎市健康安全研究所所長)、押谷仁さん(東北大学教授)であり、正林督章さんら厚労省の医系技官です。
技官も含めて、すべて今回も主要な任務に当たっている人たちばかりです。彼らは言うなれば「戦友」で、新型インフルエンザパンデミックと戦ってきたのです。
公衆衛生に強い使命感を持っていた厚労省の医系技官
厚労省の取り組みは非常に遅いですし、いざという時にマスクを筆頭に物資を揃えるということもできない。
私も時に「解体的出直し」だと厳しい見方をしていましたが、厚労省の医系技官たちは、公衆衛生に対する強い使命感を持った人たちがたくさんいました。行政と専門家の距離はさほど遠くはなかった。
そして、今回も尾身さんの経験は大きかったですね。
国際機関というのは、それぞれの国のエゴのぶつかり合いという一面もありますから、そこで仕切ってきた経験というのは得難いものがありました。
菅直人元首相と班目春樹委員長の関係と比べると
――安倍首相が人と人との接触機会を「最低7割、極力8割削減」と言いました。専門家は「8割」を強く訴えていたけれども、政府は抵抗していた。そこで尾身さんが果たした役割は大きかったと総括しています。
そうです。最後まで「8割」という言葉を入れたのは、尾身さんの力です。尾身さんは専門家集団の期待を背負っている。
政治側から「8割削減」と言ってほしい、ということですね。ところが官邸側はそうではない。「8割削減」がもしできなかったどうするんだ、という懸念があった。
その中で、尾身さんの意見を尊重する価値で「最低7割、極力8割削減」という形でメッセージに帰着しました。ここで8割というメッセージをきちんと入れているのです。専門家からすればベストとは言えないかもしれませんが、政治側に押し切られることはなかったのです。
私たちは民間事故調として、福島第一原発事故も検証していますが、当時の菅直人首相(当時)と班目春樹(内閣府原子力安全委員会委員長、当時)さんの関係よりははるかにうまくいっていると評価します。
歴代政府には反省点も
今回は少なくとも、政治の側に科学のメッセージを真正面から受け止めようという意思はありました。
他方、歴代政府には反省点も多々あります。10年前の指摘を生かすこともなく、改善することをサボってきました。
尾身さんたちは脆弱な検査体制についても、保健所の人員が少なすぎて機能に限界があることも、医療崩壊の可能性についても2010年から進展がないことを知っていました。だからこそ、自分たちが取れる手段がわかっていた。
そうなると、PCR検査にしても優先順位をつけなければいけない。だから最初は、政府も専門家もあらゆる説明で検査のハードルを高くしました。「37・5度以上、4日間」という目安はその最たるです。
本当は検査して欲しい人たちを、検査能力がないという理由で断るなんてあってはいけない話なのです。それはみんな分かっているのですが、やらざるを得なかった。
「やはり現場の努力はものすごく大きかった」
――押谷さんは、私(石戸)のインタビューにこう答えています。《みんな心配だからと検査センターに集まってきて、そこで3密状態になる。だが、「心配だから」と来る人の大半は感染していないわけだ。(中略)医療機関や検査センターに集まるということは絶対に避けなければいけない》(ニューズウィーク日本版8月4日号)。この考えが間違っていたとは言えません。
その通りです。この決断はまったく間違っていたとは言えません。検査数は最初から増やさないといけないことはわかっていたが、しかし、やみくもに増やせばいいわけではなく、さらに望む人にすべて受けてもらうという方法には大きなリスクがあったということです。
さらにポイントは、介護施設や病院の感染を完全とは言えないまでも、欧米に比べてはるかに低い数で抑えることができていたことです。
介護の現場では相当早く動きだしており、インフルエンザの院内感染対策をさらに強化するという形でやっていたという話も聞いています。
私たちのチームには医療従事者もいますし、大きな介護施設を運営する人たちのヒアリングもやっています。やはり現場の努力はものすごく大きかった。ここで感染が止まらないとなれば、もう死者数を低いレベルで抑えるということはできません。
第一波は手持ちのカードを切っていくゲームだった
現場の中には政府も入ると思います。第一波は手持ちのカードを切っていくというゲームでしたが、間違ったタイミングで切ることも最小限だったと思います。
しかし、そのあとはまずかったですね。厚労省には検査についての戦略が欠けていました。
PCR検査を拡充することで、陰性なのに陽性と判定される偽陽性の問題があることはわかりますが、これが検査を増やさない論理として機能していました。資源が限られているのならば、どのような人々を優先して検査すべきなのかという方針をもっと早く示すべきだったのです。