フランスのGilets Jaunes(黄色い蛍光ベスト)運動を考える

マクロン大統領の政策は間違いか【異端的論考34】
LUDOVIC MARIN via Getty Images

今回は、Gilets jaunes運動が非難するマクロン大統領の政策について論考したい。

結論から言えば、Gilets jaunes運動や極右や極左政党の思惑通りにマクロン大統領をすげ替えても、フランスにとって大きく効果の期待できる異なる他の経済政策の選択肢があるわけではないであろう。

そもそも新自由主義者と非難されるマクロン大統領の経済政策は、マクロン氏に特異なものではなく、構造的な問題を長いこと解決できていないフランス経済(低投資、高失業、公務員天国による非効率など)を前提に行われてきた、共和党のサルコジ、社会党のオランド両大統領の企業向けの労働規制緩和と減税よる民間投資を喚起する経済政策(この政策自体は、イギリスなどを見るに間違ってはいない。イギリスはその後の問題に直面しているのだが、当初の問題は解決したと言える)の延長線にある。

右派のサルコジ政権を否定した左派のオランド政権も、経済政策的には大きな相違はないのだが、左派であるので、公務員削減と国民の税負担の強化とバランスをとる為に、2013年に100万ユーロを超える年間所得のあるフランス人に75%の富裕税を課したが、個人や企業には国境を越えた移動の自由があるので、高所得者は当然フランスから逃避し、成果もあがらず、2015年に2年足らずで廃止されている。

この富裕税の税収は、財政赤字を埋める上では、まったく役に立たず(この制度によりフランス政府が徴収した税収は2013年2億6000万ユーロ、翌年は1億6000万ユーロであった。2014年の10月基準の財政赤字647億ユーロの0.2%でしかない)、政治的な意味での富裕層叩きであるので有権者受けはよいが、投資や新規ビジネスの立ち上げは後退するので、国にとって、ひいては国民にとっても不利益であるのだが、この話題を右派や左派の政治家はデータをもとにした議論とせず、有権者の感情をあおる議論に始終するのでいつも同じことが繰り返される。

マクロン大統領は、税収的な貢献がなく、かえって投資のマイナスをもたらす富裕層の国外逃避を止めるために、一歩踏み込んで、不動産以外への課税を廃止した富裕税(ISF)、事実上の不動産課税としたのは、合理的なのであるが、Gilets jaunes運動の参加者にとっては感情的に許しがたいのである。愛国心で、高税率下でも富裕層を引き留められるなら、そもそもこの問題はないはずである。

そもそも、イタリアで問題になったように、財政赤字はGDPの3%以内というEUの原則があり、日本と違い放漫財政は禁じられているので、フランス政府の行える経済政策の選択肢はほとんどない。加えて、EUのリーダーであるフランス自ら、この原則を無視するわけにはいかない。そもそも、平和を維持するうえで二度の大戦の元凶となったドイツを再び孤立させないようにEUを作り上げたのは、フランスである。フランスにEUを抜けると言う選択肢は、Gilets jaunes運動の支持者の間では知らないが、政策者の間ではありえない選択である。

実際、ル・ペン氏が大統領になり離脱しようとしても、経済的メリットは維持しながら主権強化を主張た結果、混乱を極めるBrexitの二の前になるのは明白であろう。そして、いくら移民排斥のナショナリズムと言っても経済が傾大きく傾けば、ル・ペン氏はその力を維持することはできないので、現実的な経済政策は、結果同じようになるであろう。Gilets jaunes運動の参加者(多くは、ル・ペン氏のRNの支持者である)は再び失望する結果となるであろうが、残念ながら彼らにはその結果を想像する余裕はない。

今回のGilets jaunes運動によって、恐らくフランス政府は、燃料税の撤回、最低賃金の引上げなどの譲歩で、この3%ルールを守ることはできない模様である。EU内におけるフランスの発言力は明らかに低下する。これは、マクロン大統領のおそれるところである。

ここで、非難されるマクロン大統領の経済背策は国民の家計に与える影響を見てみよう。フランスのInstitut des Politiques Publiquesの推計(https://www.bbc.com/japanese/46463588)をみると

ミドルクラスと言われる6割の世帯はプラス、相対的に裕福と言われる上位2割はかなりのマイナスである。マクロン大統領は、その公約で住民税の廃止を上げていたが、所得上位20%は除外されている。下位の2割は下位に行くほどマイナスになるが、これは社会保障でカバーすべき領域である。マクロン大統領がGilets jaunes運動の参加者に金持ちの大統領と非難されるのは、この上位1%のプラスの突出であろう。しかし、これは、前述したように、このプラスがフランス経済にもたらすプラスを考慮して議論をしないと意味がない。しかし、Gilets jaunes運動の参加者は、感情論を超えた議論はしないのが現状である。

 ある意味で、マクロン大統領は、国民を買いかぶりすぎたのかもしれない。Changon ensemble(皆で変わろう)といって、目先の現実(生活)以外を見る余裕などないといっているGilets jaunes運動の参加者に将来の現実を理解すること望むこと自体に無理があろう。老練な政党政治家がこの数十年、何も変えられず、地盤沈下したフランスをフランス国民が一丸になって建てなおすと言う彼の抜本的な改革は、Gilets jaunes運動の参加者には理解されないのである。これを、理想主義者とも青二才とも言うのは簡単だが、今のフランスは改革の為の時間的余裕はないのが現実である。

「国を強く≒良くする責任を全国民で担おう」と言う主張を当然ととらえるか、Gilets jaunes運動の参加者のように、傲慢といって余裕のない自分たちは嫌だと言うかの見解の相違である。しかし、歴史は、傲慢として、国民が一丸となって国を強くする責任を放棄することはフランスの抱える経済問題の解決には結びつかったことを示している。

マクロン氏は、経済力の強化だけではなく、世界でのリーダー国家としてのポジションの獲得も視野にいれた。その意味で、EUの雄として、EUの力を強めることに加えて、環境政策のリーダーシップを取ることは、マクロン大統領にとって重要な政策である。目指すは、偉大なるフランスの復活である。これで、愛国心の強いフランス国民は纏まると思ったのであろう。

この背景には、サルコジ政権からオランド政権に渡って顕著になったル・ペン氏に代表される極右(最近は極左のメランション氏も支持を上げている)の台頭に象徴されるフランス社会の分断への危機がある。ル・ペン氏という選択はトランプ大統領と同様に国家の分断しか生まないからである。格差とは言うが、Gilets jaunes運動の起こる気配が全くなく、分断とは無縁な日本は異次元の社会であるが、その議論は別稿で行いたい。

今回のマクロン大統領にとって、改革の政策を行う中で起こったGilets jaunes運動は、合成の誤謬(ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロの世界では、必ずしも、意図しない結果が生じることを指す経済学用語)とも言えるのかもしれない。

次回は、なぜそれが起こったのかを考察してみたい。

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