カレンダーを一枚めくるだけなのに、何とも言えない特別な想いがこみ上げてくるのが年末年始だ。
今年の納会の席では、いつもより少しだけ多くの卒業生を見送った。
ご主人の都合で関西に行く女性
夢を叶えたいとNYに留学する女性
事情はそれぞれ、でもみんな長年一緒に働いてくれた家族みたいな仲間。
卒業生の中には、来年からPR会社を起業する15年勤務の男性もいた。
私は昔のサニーサイドアップを"吹けば飛ぶような会社だった"と表現して、
「何もそんな言い方しなくても」とたびたび注意されるのだが
そんな実感で日々生きていたのだからしょうがない。
彼が入社した15年前のサニーサイドアップにしたって、今とは比べものならないほど小さな会社だったがただパワーだけは尋常ではないものを持っていた。
社員も超優秀な人財でこそなかったかもしれないが、
飛び抜けた個性を持った集団として、一人ひとりが輝きを放ち、
信じられないほど忙しかったけれど、毎日がとてつもなく楽しかった。
みんな若かった。
会社は家庭で、社員は家族。みんながそうだと思っていた。
そんな月日を共に過ごした、息子みたいな彼からの辞表を、私は嫌々受理した。
彼は数年前に社内結婚もして、子供も誕生した。
社内結婚で生まれた命は、私にとっては子供か孫のような存在。
会社がなければなかった命だと思うだけで感慨深い。
もともと起業の意思があったから、
ゆくゆくはグループの子会社として独立して、そばにいてほしいと思っていたが、
"ゼロから一人でやってみたい"という答えが辞表という形で目の前に置かれた。
仕事納めの日、彼は私の前には現れなかった。
引き継ぎとクライアントへの挨拶が忙しかったらしい。
気にしない素振りはしていたけれど、気にならないわけはない。
しだいに腹が立ってきた。
(ああ、家族だと思っていたのは私だけだったんだな)
(15年も一緒にいたのに何も言わずにいなくなるなんて...)
なんかバカらしくなってきた。
結局、経営者と社員なんてものは、何年一緒にいても立っている場所も、見ているものも、見えるものも違うのだ。
あの頃を思い出すのも、いなくなる社員を想うのも、もういい加減にやめにしよう。
切なくなるだけだ。
2008年、会社は上場した。
それまでの仲間との日々は最高に楽しかったけれど、気がつけば仲間にはそれぞれに家族ができ、
私もそれなりの年になっていて、長年のパートナーの中田英寿も現役生活を終え次のステージに歩き出していた。
"会社も次のフィールドに進まなければいけない"そう思っての選択だった。
上場して得たものは大きい。
以前とは比べものにならない社会的な信用力と、
見たことも、実感も全くないが、それなりの資産。
そして"吹けば飛ぶような時代"とは比べようもない盤石な経営基盤と、200名近くの社員。グループ会社も数えたらたぶんその倍以上いくのだろう。
でも失ったものも多い。
あの頃を一緒に過ごした仲間たち。
旦那。ww
自由。ww
通信簿は常に世の中にさらけ出され、株も持っていない人たちからもとやかく言われ、
めんどくさいことも格段と多くなった。
羨ましがられることがないわけではないが、
時々叫びたくなることも、泣きたくなることもある。
新しい年がもうすぐ来る。
これからは去るものは追わない。
いなくなる仲間より、本当に大切にしなくてはいけないのは目の前にいる仲間だ。
それが社長の仕事なんだ。
と決意して会社を後にした。
次の日、彼から長いメールが届いた。
会社と、仲間たちへの愛と感謝、過去の日々への思いが溢れるほど書かれていた。
私が思っていることがそのまま彼の言葉で書かれてた。
さよならも言わずに、顔さえ見せずにいなくなったのはシャイな彼らしい。
私が一番知っていたはず。
不覚にも涙がとまらなくなった。
家族と思っていたのは私だけじゃなかったんだな。
でも、去るものは追わない。
私は今の会社に人生をかけてくれているメンバーを絶対に幸せにする。
そしていつか旅立つ時がきたら、しっかり背中を押してあげる。
それも社長である私の仕事なんだ。
昔、誰かが言っていた言葉を思い出した。
「子育ては、強く抱きしめそっとおろして歩かせる。
歩きはじめたらその時は、しっかり背中を押してあげなさい。」
さてと、今年も終わり・・・。
気持ちを整理し、新しい年を迎える心の準備をする。
年末ってのは何かいいもんだ。