学校法人「森友学園」(大阪市)の前理事長、籠池泰典被告(66)と妻の諄子被告(62)に対する補助金詐欺事件の初公判が3月6日、大阪地裁である。
籠池夫妻は国や大阪府、大阪市の補助金をだまし取ったなどとされる詐欺や詐欺未遂罪に問われている。
裁判に先立ち、籠池夫妻は単独取材に応じ、「安倍首相の関与を隠すための国策捜査だ。勝たないかん」と全面的に争う姿勢を鮮明にした。
インタビューの中で、泰典被告は一連の問題が発覚する前、小学校で使う副読本を安倍晋三首相側に渡していたことや、昭恵夫人から100万円を寄付された際、昭恵夫人から「内緒に」するよう口止めされたことも明らかにした。
かつては信奉していた安倍首相を「エセ保守だ」と指摘。その上で、「保身のために我々を切り捨てた。国民もだまされている。退陣するまで闘う」と「宣戦布告」した。
インタビューの全文は次の通り(以下、敬称略)。
聞き手=大阪日日新聞論説委員・記者(元NHK記者)相沢冬樹
国策捜査には負けない
──一緒に街を歩いていると、いろいろな方から声をかけられますね。
泰典 そうですね。ありがたいことやと思います。昨日も梅田のまちで建物に入るところを7、8人くらいの学生さんがパッと見て、長いこと待っているんです。で、僕が出たら「籠池さん頑張ってくださいね」って言うわけですよ。
ほかにもおばあちゃま方がこの人(=諄子夫人)の方を見て「頑張ってくださいね~」とか。握手を求めてきたりしますよ。
──何を頑張ってほしいと言っているんでしょう。
泰典 やはり、とんでもない権力に対し、1人で立ち向かっているということについて、共感してくださるんじゃないでしょうか。大変な目にあっているからエールを送っておかなあかんと。
──その話ですけど、補助金詐欺容疑での逮捕から1年半あまり。いよいよ3月6日にお二人の刑事裁判が始まります。初公判を前に今の心境はいかがですか。
泰典 淡々としていますよ。平常心です。
──裁判でどのように訴えていきますか。
泰典 これは大きな事件からの論点のはぐらかしだと。国策捜査であって、国策逮捕だったんだということを懸命に訴えていきます。国策捜査に負けるわけにはいかない。
──国策捜査だという意味は。
泰典 もともと私たちが開校を目指した小学校というのは、安倍首相も昭恵夫人も関わっていました。安倍夫妻と一緒にこの学校をつくっていこうということで話が進んでいたんです。
ところが途中で国有地の問題が取り上げられると、風向きが急に変わって、安倍首相は私のことを「非常にしつこい」と言ったり、私たちを切り捨てるような動きを見せた。
そして大阪府の松井(一郎)知事が「森友学園の補助金がおかしい」と言い出した。でも、この幼稚園に対する補助金というものはずっと以前から申請していました。
そして大阪府は毎年監査していましたけど、問題だと指摘されたことはなかったんです。それが突然、国有地の値引きが問題になった直後に、大阪府が急におかしいと言ってきた。
おかしいなら修正するし、詐欺罪に問われるような話ではなかったはずなのに、逮捕されてしまったわけです。
そして300日間も勾留された。行政の指示通りに対応していた分もあるのに立件されるなんて、釈然としませんよ。
これは、国有地の問題が安倍首相まで行かないようにするための国策捜査だったと受けとめています。安倍首相と松井大阪府知事は仲良しですから、私の口封じをするための「ナイスアシスト」でしょう。
──この事件では諄子夫人も逮捕・起訴されています。
泰典 この人(=諄子夫人)は補助金のことにまったく関わっていませんから、完全な無実ですよ。
それなのに逮捕されたのは、昭恵夫人と親しいからでしょう。私1人を逮捕しただけでは、この人が社会でしゃべり続けるから、これは2人一緒に(拘置所に)入れておいた方がいいと思ったんでしょう。
──罪に問われた補助金の中には、小学校の建設にあたり、国から受け取った補助金もあります。
泰典 あれは設計業者が扱っていたことで、主導権は私たちではなく、業者にあったんです。
安倍首相に副読本渡す
──籠池さんは大阪府豊中市の国有地に小学校を建てるということを最大の目標にしていたわけですが、そこに安倍首相や昭恵夫人はどのように関わっていたんでしょうか。
泰典 義務教育期間は大切です。人間育成の基本になりますから。私は義務教育課程の中で、日本国、日本国民のために役立つ素晴らしい人材を育成したいと考え、それが今の公立学校では足りないと思ったからこそ、金銭的には得にならないとわかっていても小学校の開校をめざしたわけです。
それまで私どもの幼稚園では素晴らしい教育を行っているということで、保守系の方々、日本会議の方々を中心に一定の評価を頂いていました。政治家も含め、こうした方々が小学校の計画に賛同してくださった。
安倍首相は「美しい国、日本」を唱えていましたから、私たちの教育がそれに合うと思われたから支援して頂いたと思うんですよ。
──具体的にはどのような関わりがあったんですか。
泰典 小学校で使う副読本を作ったとき、昭恵夫人を通じて安倍首相にお渡ししました。それに対し「素晴らしい内容だ」というお答えを、昭恵夫人を通して頂きました。私たちは安倍夫妻と一体になって小学校の準備を進めていたんですよ。
──安倍首相と直接やりとりしたことはあるんですか。
泰典 第2次(安倍)政権が誕生する前、安倍首相がまだ一衆議院議員だった時に、昭恵夫人や安倍事務所を通して安倍さんに学園での講演をお願いし、了承を得ていました。
ところが講演直前の4日前になって、安倍さん本人から電話がかかってきたんですよ。僕の携帯にね。「あの、安倍晋三ですが」って。「ドタキャンで申し訳ありませんが、今度自民党の総裁選挙に出馬することになりまして、申し訳ありませんが今回の講演はできません」と。「申し訳ありません」と2回くらい言われましたね。
──ドタキャンという言葉は安倍さんが使ったんですか。
泰典 そうです。
──その時に籠池さんはどうおっしゃったんですか。
泰典 「そうですか。残念ですね。でも総裁選も頑張ってください。次に必ずお越しくださいね」と。すると「必ず行きます」ということでした。
そのことをPTAの方々にお伝えするために、文書で頂ければありがたいですとお願いしたわけです。そしたら後で文書を送ってこられました。
「申し訳ありません。総裁選挙に出馬しますので講演会はできません。必ず次回はさせていただきます」と、署名が入ったものを頂きました。それを幼稚園の保護者会の会報の「おかあさん新聞」にも掲載しています。
──その文書はどこにあるんですか。
泰典 学園の僕の机の中に、安倍さん関係の分はまとめて置いていました。けれど、検察庁の捜索で全部持っていかれた。返してくれへん。私の刑事事件(補助金詐欺)とは関係のない話なのにね。
幻の校名
──安倍首相や昭恵夫人とはどのようにつながりができたんですか。
泰典 最初は我々の幼稚園のPTAの役員さんですね。この方が、教育理念が一緒だということで、昭恵夫人に保護者会の「おかあさん新聞」を送ったんです。
それを昭恵夫人が見て「いい幼稚園ですね」と。安倍首相にも渡して、すばらしい学園だと認識して頂いたそうです。
この保護者の方を通して昭恵夫人と直接連絡を取るようになりました。このやり取りの中で、安倍晋三さんの名前を小学校の冠として使いたいとお願いしたんです。
──「安倍晋三記念小學院」という校名ですね。
泰典 安倍首相や昭恵夫人と一緒にこの学校を作っていくという思いがあったからこの名前を付けようとしたんです。
で、昭恵夫人とやりとりがたくさんあって、安倍さんは首相になる前は「ああ、もういいですよ」とおっしゃって頂いたと夫人からお聞きしました。
それが総裁になって首相になって「それについてはちょっとと言ってます」と変わってきた。
私は何度もプッシュしてね、何とか安倍晋三さんの名前を使いたい、とお話をしていました。
平成26年(2014年)の3月に安倍首相とお会いする機会ができたんです。昭恵夫人が「主人(=安倍首相)も連れていきます」ということだったので、ホテルの料亭でね、4席を用意しまして、お会いすることになったんです。
ところが安倍首相は公務で来られなくて、秘書の運転する車で昭恵夫人だけが来られました。そこで話をしているうちに、「ちょっと首相ですので」ということで、安倍晋三さんの名前を校名に使う件を正式にご辞退されたわけです。
財務局が一変。昭恵夫人との写真
──その後、昭恵夫人は実際に学園で講演していますよね。
泰典 夫人とは密接に連絡を取り合っていましたから。あるとき「大阪の住吉大社に参ります」というので、「それなら私どもの学園に寄ってPTAの方々と幼稚園の先生方を対象に講演をして頂けますか?」とお願いして実現したんです。
住吉大社で私たち夫婦も一緒に昇殿参拝させて頂いたあと、学園の方にお越し頂きました。
──それが初めての講演?
泰典 ええ、いい講演されましたよ。第1次(安倍)政権が退陣する時の心情、結婚のいきさつなど、いろいろ話して頂きました。面白い講演でしたよ。
──その後、小学校の予定地を見に行くわけですね。
諄子 講演の後、(大阪市にある超高層ビル)「あべのハルカス」でお友だちと飲み会があるとおっしゃっていて、それまでに時間があると。それでお父さん(=籠池氏)が「それなら小学校の予定地を見に行きませんか?」と。
──それに対して昭恵夫人は何と?
泰典 「ああ、行きましょう」と言いました。ということで、お供が運転する車から私が運転する私の車に乗られて現場に向かいました。お供の車は後からついてこられましたね。
──予定地をご覧になって昭恵夫人は何とおっしゃっていましたか。
泰典 昭恵夫人って、ほら、棚田を作ってらっしゃるでしょう。田んぼのことをすぐにイメージされるんですよね。「ああ、この場所はいいとこですね。いい棚田にできますね」と。
──棚田にできる?
泰典 できませんよね。「いい田んぼにできる」という意味でしょう。そう言いながらしばらく見ていらっしゃって、「いい土地ですね。もうぜひ話を進めてください」という言葉を頂きました。
さらに「何か相談したいことがあったらおっしゃってください」と向こうから聞かれて。
ちょうどその時に財務省と土地の貸借のことで色々あったんですけど、家内が「お父さん言ったらどうなの」って言ったんですが、私は「まあまあ」と。
それを察知された昭恵夫人がね、こう言われたんですよ。「あ、何でも言ってください。おっしゃってきてください。どうぞ遠慮しないで」ということでした。で、写真を撮られたの。
──昭恵夫人とお二人のスリーショット写真ですね。
泰典 昭恵夫人が「写真を撮りましょう」とおっしゃったんです。それで秘書の方が写真を撮りました。
──その写真を3日後に近畿財務局との交渉で見せていますよね。
泰典 それまでも僕たちは昭恵夫人のことや、小学校を「安倍晋三記念小學院」としてつくりたいということを、(土地取引の相手の)近畿財務局の担当者に話していたんですよ。
政治家の人も色々と話してくれているんだと言っても、いま一つ、彼ら(=近畿財務局)が信ぴょう性を感じていないように感じられました。
それでこの時に、「この前ね、ちょうど昭恵夫人が来られたんですよ」と話してね。「あの土地を見て『いい土地ですね。話を進めてください』とおっしゃった。写真もありますよ」と。
そしたら財務局の人が「えー、本当ですか。ぜひ写真を見たいです。見せてください」と言うので見せたら、「これコピーしていいですか?」と。「どうすんですか?」って聞いたら「いや、上司にも見せたいと思っているので」と。
──写真を見せて近畿財務局の態度は変わりましたか。
泰典 変わりました。それまではなかなか話が進まずに、依頼していた弁護士も怒っていたんですが、写真を見せた後は物事の対応が早くなった。柔軟になりました。
──どういう風に柔軟になったのですか。
泰典 それまで定期借地権の期間を10年とすることに「10年なんて」と言っていたのが、急に「10年でいきましょう」となった。
今まで「こんなん、できませんで」という態度だったのが、わりとほんわかと、スッといくようになった。書類の作成についてもあちらから「こうされたらどうですか?」「このようにする方がいいですよ」などと、提言のようなものがどんどん出てきました。
──その後も昭恵夫人について何か聞かれましたか。
泰典 「よく来られているんですか」「この前はいつ来られてどんなことがあったんでしょうか」というふうに、いろいろなことを聞かれました。
「神風」
──その後、国有地の売買交渉の中で、近畿財務局の方から、学園が出せる上限額を聞き出すということがありました。実際そこに収まる金額で売却されています。買い手の都合に合わせて売却額を決めたと思われる行為です。財務局の背任行為を強く伺わせる特ダネ情報としてNHKで放送しました。私の著書「安倍官邸vs.NHK」でも詳しく紹介しています。
泰典 確かにそういうことがありました。
──どういうやりとりだったんですか。
泰典 近畿財務局が学園の顧問弁護士に「売却はいくらまでなら出せるか」と聞いていると。
その後、近畿財務局から私の方にも連絡があって、私は「安ければ安い方がええ。ゼロ円に近い方がええね」と言ったんですけど、「そうするのは無理なんですよ」と。それで「1億6000万円くらいが上限です」と答えました。
──それに近畿財務局はなんと答えました?
泰典 「理事長の意向に添えるように努力します」と。それを聞いて「神風吹けり。これでうまくいった」と思いました。
──実際の売却額は1億3400万円。まさに意向通りになっています。それも10年の分割払いでした。
泰典 あれは財務局の方が「一括して払われますか。10年間で分割もできますよ」と言ってくれたから、「それなら分割にしよう」と。それはありがたいことですよ。
名誉校長にこだわった昭恵夫人
──昭恵夫人は小学校の名誉校長に就任していましたけれど、2年前の問題発覚後に辞任しますね。そのいきさつは?
泰典 おととしの2月23日だったと思いますけど、国有地のことが国会で問題になって、京都や奈良のホテルを転々としていた時です。
安倍首相の秘書から電話がかかってきまして「小学校のホームページから何から、すべてから昭恵夫人の名誉校長というのを取ってほしい。今からファックスを送るのでそれを見て対応してほしい」と。
送られてきた文書を見たら「名誉校長を辞任します」ということが書かれていました。
諄子 ところがその後、昭恵夫人から私に電話がかかってきて、「籠池さん、私は辞めてない」とおっしゃっていました。ファックスなんか送っていないと。
それで、辞任は安倍首相の事務所が独断でしたことなんだなとわかりました。それから何日かたっても「私は今でも名誉校長だという意思は変わっていません」とおっしゃっていました。
──昭恵夫人とはその後もやりとりがあったんですか。
諄子 何度も電話がかかってきました。例えば琵琶湖の竹生(ちくぶ)島から電話してきたことがあります。「ここに滝があってその下に竜がある。それを見て籠池さん(=前理事長)だと思った。大きな使命がおありなんだと思った」と話していました。
鴻池(祥肇)参院議員が(籠池氏から現金らしきものが入った封筒を渡されたことについて)会見した時も電話がかかってきて、「主人(=安倍首相)から電話があって、鴻池さんの記者会見はどういうことなのか聞かれている」という話でした。この時は色々と2時間も話していました。
100万円の寄付、昭恵夫人は口止めか
──最後に昭恵夫人とやりとりしたのは。
泰典 おととしの3月、参議院予算委員会の視察がある直前に昭恵夫人から電話がかかってきました。この時、私は安倍首相が私について言った「しつこい人」という発言は撤回してほしいとお願いしました。
ところが「今からではもう遅いですね。できないです」とおっしゃった。
そこで私は「それでは私も自分の身を守るために100万円のことを言わざるを得ません。もうこれは押さえられません」と。
「何のことですか」とおっしゃるので、「ご寄付で頂いた100万円のことですよ」と。安倍首相は私のことを「しつこい人」呼ばわりしましたけれど、あの寄付は首相が小学校設立を支援してくれていた証ですからね。
──それに昭恵夫人は何と言っていましたか。
泰典 ちょっと一瞬「うっ」という感じでしたが、「ああ、そうですか。わかりました。それならいいです」というふうにおっしゃって電話は切れました。
それが最後の電話です。この後、私は参議院予算委員会の視察団に100万円の寄付のことを話したわけです。
──100万円について安倍首相は渡していないと話していますが。
泰典 私たちとの関係を知らぬ存ぜぬにしたいからでしょうね。
あの100万円は平成27年9月5日、昭恵夫人が学園に3回目の講演に訪れた際に、午前の部が終わって午後の部が始まる前に頂いたので、僕はよく覚えているんです。これは昭恵夫人が小学校の名誉校長に就任してくださった日のことです。
夫人はわざわざ「安倍晋三からです」とおっしゃって手渡してくれました。ところが帰り際、学園を出て5分くらいしてからでしょうか、昭恵夫人から電話があって、「先ほどのお金は内緒でお願いします」と言われました。
──記録は残さなかったんですか。
泰典 学園の寄付金名簿に記録していました。ところが学園の公認会計士から「消した方がいい」と言われて、安倍首相の名前を削ったんです。
でも、私は国会の証人喚問でも100万円のことを証言しましたが、偽証罪には問われていません。正しいと思われているからでしょう。
特捜部、国有地問題に関心?
──補助金詐欺事件で逮捕される前に一度、大阪地検特捜部の事情聴取を受けていますね。その時はどんなことを聞かれたんですか。
泰典 国有地のことを盛んに聴いてきましたね。安倍首相との関係、昭恵夫人との関係、ほかにも色々な政治家との関係。
例えば「昭恵夫人とはどういう関係で知り合ったのかな。いつごろどこで、どういう雰囲気で」という具合にね。そういうことが言われているけれど、本当にそれはあるのかどうか、それを聞きたいと。
──それは国有地の値引き販売の問題だから、補助金の問題とは関係ありませんけど。
泰典 補助金のことも少し聞かれたけれど、本当に短かったです。あとはずっと政治家のことや国有地関係の話ですね。
──それに何と答えました?
泰典 昭恵夫人については「仲良くしていましたよ」という程度には話しましたけど、あとは何も話すことはないと。それだけです。
──2017年7月31日に逮捕された後も、国有地に関することを聞かれたんですか。
泰典 補助金の事件で逮捕されましたけど、補助金についての取り調べの中にちょこちょこ、国有地の話が出てくるんですよ。
「ところでこれ(=補助金詐欺)とは全然関係ないんだけど」という感じで国有地の件を聞いてくる。
──一番聞きたがっていたのは?
泰典 それはやはり昭恵夫人のことですよ。それ以外にも、関わりのあった色々な政治家のことや、財務省の役人のこと。「政治家のこと、何か思い出したら言ってほしい」とか「財務省の役人はどんなだったんだろうねえ」とか。
最後に補助金事件の取り調べもこれで終わりという日に、「ところで籠池さん、もう明日からは私たちが事情聴取するということは強制的にはないんだけど、国有地の問題についてね、事情聴取させてもらうということで、協力してもらえるかな?」と言ってきました。
実際、その翌日に検事が拘置所に来たんですけど、「もう会う必要はない」と言って断りました。
──国有地や政治家のことを聴かれたことをどう感じていましたか。
泰典 大阪地検の中には財務省の背任(容疑の立件)を目指している人がいると感じました。
でも東京の方、最高検は違ったんでしょうね。安倍首相を守らないかん立場でしょうから。検事がぽろっと漏らしたんですよ。「板挟みになって苦労している」と。
録画切るとどう喝?
──逮捕容疑の補助金事件の取り調べはいかがでしたか。
泰典 「奥さんの方も何か色々話したそうな雰囲気なんだけど、あなたの方もそろそろ言った方がいいんじゃないか」とか。
諄子 私は言っていません。私も同じことを検事に言われました。
泰典 「学園の民事再生で娘さん(=現理事長)が大変だから早く外に出て助けてあげた方がいいんじゃないか。以前逮捕した、ある会社の社長は、『あなたが逮捕されたままだったら会社はつぶれるよ。取り調べにうんと言ったらすぐ出られる』と言ったら、認めてすぐに出ることができた。籠池さんも早く認めて出た方がいいよ」と言ってきたこともありました。
録画をしている時はまだいいんですけど、録画を切るとどう喝するようなことを言ってきます。「いま私は籠池さんと言っている。これは穏やかにしてるんや」というような言い方ですね。
諄子 お父さん、つらかったやろうな。
──諄子さんは取り調べではどうでしたか。
諄子 私も(どう喝的なことが)ありました。取り調べ中、私が何も話さずにずっと祈っていたら、検事がバーンバーンと机をたたいて。「今たたいたでしょう」と言ったら、「たたいてない」って言うんですよ。
ほかにも「去年から逮捕しているお坊さんがいるんだけど否認してるんだ。いつごろまで入るのかな」と。それは何の容疑か尋ねたら「詐欺」って。あとで弁護士が「そんなの脅迫やな」と。
泰典 尋問もきついけど、その後、拘置所の房に戻ってくると真っ暗なんですよ。これもきついですね。
午後9時をすぎてたらメモも書けないから、記録を残せない。いつ出られるかもわからない。何年かかるかわからない。
でも私はその時、国というか、安倍首相との「闘い」を開始しているという覚悟があったんで、保釈までの300日間を持ちこたえられたんです。
400通の手紙
──諄子さんは去年、本を出していますよね。「許せないを許してみる」。逮捕・起訴されて勾留されている時の「獄中記」です。
諄子 拘置所では私たち接見禁止だったので弁護士さんとしか会えない。でも弁護士さんに手紙は書けると聞きましたので、やはり一人でいると寂しいから、紙で会話するつもりでずっと弁護士さんに手紙を書いていました。
拘置所内のことだけではなくて、気になったことを以前のこともどんどん書いているうちに400通くらいになりました。
──勾留300日で400通……。
諄子 多いときは朝晩2通書きましたからね。その一部を使って本になりました。
──この本でも以前の昭恵夫人との交流が色々と出てきます。
諄子 それは(出版社の)編集の方が意識して選びはったと思います。私は他のところでもうちょっと選んでほしかったところがあったんですけどね。
──ご自身で印象深く覚えていることは。
諄子 それは看守さんとのやりとりです。私が手紙を書くことで看守さんの空気が変わっていったのは確かです。声が1回聞こえたんです。看守さんの「また、あんなん書いてるわ」という声が。拘置所の中のことがこの本で伝わるといいなと思います。
──私が印象的だったのは、朝日新聞が登場するところですね。
諄子 うーん、朝日新聞ばっかり読んでいました。他の新聞は一切読まなかったです。
──元々はどうだったんですか。
諄子 読売新聞か産経かです。
──それが朝日新聞に変わったのはなぜですか。
諄子 読売と産経は検察のリークばっかり、嘘ばっかりでした。朝日新聞はしっかり検証したことを書かれていたからです。
──大阪日日新聞もよろしくお願いしますね(笑)
命を絶った近畿財務局職員、「実直な方」
──この事件では、公文書の改ざんという前代未聞の不祥事も起きました。近畿財務局の職員だったAさんは、改ざんに反対したのに無理矢理やらされて、その後、命を絶っています。籠池さんはAさんをご存じですよね。
泰典 ええ。あの方が担当になってから3回お会いしていますね。
──どういう印象をお持ちですか。
泰典 仕事をきちんとこなして、きちっと対応する方で、国有財産はしっかり守っていかなければならないという考えの方です。
直接会話のやり取りがあるから、この方の実直性というのがわかるんです。打ち合わせでも私の話す内容にじっと耳を傾けて、最後まで筋を曲げないという感じですね。
──亡くなったことを知ってどう思いましたか。
泰典 あの時はまだ拘置所の中にいました。新聞で知ったんですが名前は書いていない。でも「これはAさんだ」と思いました。
曲がったことが嫌いということやから、そう思ったんです。この方は、国民みんなに不正を知ってもらいたいと、したくもない改ざんをさせられたということをみんなに知ってほしいという思いがあったんだろうと感じて、合掌しました。
「安倍首相はエセ保守」
──この事件では多くの人の人生、運命が変わりました。中でもAさんとご遺族は最大の犠牲者です。
泰典 そうですね。出世コースから外れた方も、会社を辞めざるをえなくなった方もいる。NHKを辞めた相沢さんもそうですね。
私たち夫婦もすべてを失いました。でも、ある意味、すっきりしている。すべては運命です。
「後悔することはありますか?」と聞かれますけど、ないんですよ、本当に。
私の役割は変わりました。国民の皆さんに警鐘を鳴らすことに。
私は安倍首相と松井大阪府知事にだまされて、手のひら返しにあいましたけど、国民の皆さんもだまされていますよと。
保守の人たちこそだまされていると警鐘を鳴らしていきます。
──どういう風にだまされていると。
泰典 人間、自分の保身を第一に考えるというのは世の常ではありますけど、安倍首相も昭恵夫人も松井知事も、その周りの取り巻きの政治家も、この学校を作り上げることに賛同していた人たちが態度を変えた。
自分が危ういとなったらバシャッと切ってしまった。これは私を切っただけではなくて、安倍首相が唱える「美しい国、日本」を担う人材を育成するはずの学校を自らつぶしてしまった。
安倍首相はエセ保守だったと認識せざるをえません。
──籠池さんは安倍首相を信奉していましたよね。
泰典 私もだまされていました。安倍首相に切られてようやく気がつきました。そして松井大阪府知事も、小学校の認可に協力していたのに、やはり手のひらを返した。人として許されないことです。
この国のために、安倍首相と松井知事には身を引いてもらわなければならない。
一句詠みました。
「福寿草 森友問題 雪割るる」
この問題で安倍政権が退陣して初めて春が来ます。安倍首相を支援する勢力を減らすために私は闘います。自分の知ることを世の中に訴えていきますよ。