障害者アート「頑張ってる姿に感動」でいいの? 1本の映画が映し出す作品の本質

「個性を障害と捉える野蛮な社会が着せたレッテルを脱がして ありのままの姿を……」

滋賀県の障害者施設・やまなみ工房――。障害者のアート活動界でユニークな試みが注目されている施設だ。現在、88人の通所者が作品をつくっている。小さな工房がいま障害者アートで世界的な注目を集めている。どこまでも自由で、豊かなアート活動を続けるやまなみ工房に迫ったドキュメンタリー映画「地蔵とリビドー」の上映がアップリンク渋谷で6月30日から始まる。

映画「地蔵とリビドー」より

監督を務めたのは、障害者アートの魅力を広めるクリエーターチーム「PR-y(プライ)」を主宰するクリエイティブディレクターの笠谷圭見さんだ。大阪市在住で、広告会社に所属している。本業もこなしつつ、やまなみ工房に通って彼らの活動を支えてきた。

この映画の主役は「やまなみ工房」から生まれた作品とアーティストたち。彼らは実名で登場し、その日常が包み隠さず描かれている。

映し出される「ありのまま」

ちょっと変わった地蔵を作り続ける山際正己さんの独り言であったり、吉川秀昭さんの「目、目、鼻、口」と呪文のように唱えながら土の塊に割り箸を使い、螺旋状に小さな穴をあける姿もすべて、ありのままを映す。

岡元俊雄さんは寝転びながら、墨汁をつけた割り箸で紙に絵を描く。幾重にも重なった線で描かれた人物画は岡元さんでしか描けない独特の迫力をもって、その姿をあらわす。

鎌江一美さんの粘土作品のタイトルにはすべて「まさと」さんという名前が入る。施設長の山下完和(まさと)さんのことだ。山下さんへの好意が独特の粘土作品に結実する。

Satoru Ishido

作品がいつ完成するのか。彼ら自身も含めて、それは誰にもわからない。どう評価されるかも彼らはあまり興味がない。好きなときに、好きなように描く。一つの事実として言えるのは、作品が彼らと他者との確かな結節点となっていることだ。

終盤にさっと挿入される「個性を障害と捉える野蛮な社会が着せたレッテルを脱がして ありのままの姿を写真に収めたい」という笠谷さんの言葉は、そのまま映画のキーワードになっている。

「やまなみ工房は一つのモデル」

彼らの作品に魅了された人たちも率直な意見を口にする。

川久保玲率いるコム・デ・ギャルソンとのコラボでも話題になったアメリカの障害者アート誌「RAW VISION」の編集局長エドワードM・ゴメズは、彼らの作品に賛辞を惜しまない。

「何にも強要されない自由な精神がある。ここにはアーティストの創作性が最大限発揮できる環境がある。一つのモデルである」

やまなみ工房の作品とコラボした商品をつくるファッションブランド「NUDE:MM」のデザイナー、丸山昌彦さんも「洋服は絵と違って、どこへでも着ていける。彼らの絵の魅力を知ってもらいたい」とパリ、東京などでの展示会の反応に自信を見せていた。

Satoru Ishido

「障害者が頑張って作った」は美しいストーリーなのか?

とりわけ印象に残ったのが、アートディーラー、小出由紀子さんの言葉だ。小出さんは「マーケット(需要)がある」と断言したうえで、こう述べる。

「日本では障害がある、という点に注目が集まるが、特にアメリカでは障害の有無や性別や人種を超えて、その作品に作り手の真実があるかどうかが注目される」

現代アートとしての作品そのもの評価よりも、「障害者が頑張って作った」という美しいストーリーが重視される。これはいかにも日本らしい評価だ。しかし、それは本当に「作り手の真実」なのだろうか。作品に込められているのは彼らの内なる衝動であり、彼らのコミュニケーションそのものであるように思えてならない。

注目のラストシーン

この映画のラストシーンで、やまなみ工房のアーティストたちのポートレートの撮影風景がある。スタイリストが、個々人にあわせたスタリングをする。颯爽と着こなし、ポーズを決める彼らをプロのフォトグラファーが撮影する。

「障害者を見世物にするのか」という批判も飛んできそうな撮影だが、撮影の風景はこう問いかけてくる。これはアーティストが普通にやっていることを、普通にやっているだけであり、「障害者」だからやってはいけないと考えるのはなぜか?、と。

ラストシーンに映されるのは、この社会への批評である。

この一本を見るだけで「障害者は生きていても仕方ない」といった声が、いかに現実をみていない言葉か。よく伝わるはずだ。

上映は6月30日にアップリンク渋谷を皮切りに、7月にも都内、9月から大阪で上映が予定されている。今後の細かい日程は公式ホームページで更新される。

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