今回の記事は、首都大学東京大学院、博士後期課程に所属する田村賢哉さんによる「ヒロシマ・アーカイブ」ワークショップの報告です。お楽しみください!(渡邉英徳)
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首都大学東京大学院博士後期課程1年の田村賢哉です。この4月から渡邉英徳研究室のメンバーになりました。私は首都大学東京に所属しながら、特定非営利活動法人 伊能社中の理事長としてデジタル地図を扱った地理歴史教育の活動をしております。
8月の初旬、文部科学省の次期指導要領骨格案が発表されました。その中で、近現代史を中心とした新設科目の「歴史総合」案が示されました。日本史と世界史を統合し新しい科目として作られる「歴史総合」です。今回「ヒロシマ・アーカイブ」を使った広島の高校生たちによる被曝体験の継承活動に参加して、今後の歴史学習のあるべき姿に触れたように思い、記事を投稿します。
私は広島生れ、広島育ちです。広島で生れ育った人間として小さい頃から多くの被爆体験を聞き、戦争について学んできました。広島において、被爆者はとても身近な存在でした。しかし、戦後70年が経過し、徐々に話を聞く機会が減ってきています。これまで、私にとって被爆体験は「聞く」ものでしたが、「ヒロシマ・アーカイブ」の活動に携わったことにより、多くのことを学び、見方が変わってきました。今回、広島女学院高等学校で開催したワークショップでは、被爆体験を他の人へ「つなげる」にはどうしたらいいか、広島女学院高等学校の高校生と一緒に考えてきました。
「ヒロシマ・アーカイブ」で被爆体験を継承してきた地元の高校生
「ヒロシマ・アーカイブ」は証言や写真などの被爆資料をデジタル地球儀上にまとめたデジタルアーカイブです。このアーカイブはWebコンテンツとして公開されており、誰でも閲覧できます。収蔵されている資料は、被爆者と資料提供者、地元の中高生などで構成される、世代を超えた「記憶のコミュニティ」によって集められてきました。
広島女学院高等学校の高校生は、この「記憶のコミュニティ」において、記憶を「継承する世代」として位置づけられます。彼女たちは2010年より多数の被爆者にインタビューし、世界に発信してきました。昨年からはワークショップを通して、より深いレベルでの協働をスタートしています。昨年のワークショップでは、資料を高校生たち自身がマッピングする試みを実施しました。4年間「聞き手」に徹してきた高校生たちは、さらに一歩踏み込んだ「つくり手」として、「ヒロシマ・アーカイブ」に関わりはじめました。
そして今年のワークショップでは「つくり手」の枠を超えた「つかい手」となるべく、ヒロシマ・アーカイブを活かした「次世代への継承活動」をテーマに据えました。日程は2015年6月及び7月の計3日間です。広島女学院高等学校の生徒約20名、中国新聞ジュニアライターの中高生2名、首都大渡邉研の学生が約10名がメンターとして参加しました。私は学生リーダーとして企画を取りまとめ、当日は進行役を務めました。
「ヒロシマ・アーカイブ」を活かした「次世代への継承活動」を考える
さて、今回のワークショップでは「次世代への継承活動」をテーマにしました。この背景には、「私たちは「ヒロシマ・アーカイブ」をつくっています」という立場を超えて、「人々にさまざまな活用法を提案していきたい」という思いがあります。
Webは誰でも簡単に扱える、情報発信に適したメディアです。「ヒロシマ・アーカイブ」も、被爆資料をアーカイブし、情報発信するプラットフォームとして一定の評価を得ています。これまでの累計アクセス数は、120カ国・30万ページビューを超えています。しかしこうしたアクセスログからは、「ヒロシマ・アーカイブ」が「どのように」活用されているのかをみることはできません。
地元・広島で署名活動を展開しながら、たくさんの人々と直に接してきた広島女学院高の生徒たちは、被爆者の記憶を次世代へ継承したいという思いを強く抱いています。そして、広島から遠く離れた東京で過ごす私たちは、現地における平和活動のありようを実感しづらい状況にあります。「ヒロシマ・アーカイブ」のWebコンテンツだけでは実現できない「次世代への継承活動」をいかにデザインするか。それが、今回のワークショップのミッションとなりました。
高校生が考えるヒロシマ・アーカイブの弱点
まず、現状の「ヒロシマ・アーカイブ」にみられる弱点について、アイデアダンプを行ないました。その結果、必ずしもすべてのユーザが使えるコンテンツではないのでは、という意見が数多く集まりました。
例えば、視覚障がい者です。主に視覚情報で構成されている「ヒロシマ・アーカイブ」は、視覚障がい者には使えないかも知れません。また、学校の授業で活用したい教員も、ICT環境に制約がある場合は、使うことができません。このような「(「ヒロシマ・アーカイブ」を)使いたいけど・使えない」であろうケースを4つに絞り、それぞれ具体的なユーザ像を設定しました。
1.地元の学校の先生
「自分が子どものころは、戦争体験者や被爆者は身近にいて、話を聞く機会があった。しかし戦後70年が経ち、そうした機会は減っている。子どもたちに戦争・原爆について実感とともに学んでもらうための教材が欲しい」
2.修学旅行で広島を訪れた高校生
「修学旅行の事前学習のために、ネットや図書館で原爆について調べることはできる。しかし、過去のできごとに対して、実感を持つことは難しい。とはいえ、過去の悲惨なできごとについて、無関心でいることについての不安は感じている」
3.視覚障がい者
「原爆資料館などの展示はユニバーサルデザインに基いて設計されており、障がい者も見学を通して一定の知識を得ることができる。しかし「ヒロシマ・アーカイブ」のようなデジタルコンテンツや、平和公園の史跡などのように、実地でないと得られないものは、やはりハードルが高い」
4.広島観光に来た大学生
「中学の修学旅行で広島平和記念資料館を訪れた。しかし、広島に土地鑑がないため、資料や写真を見ても実感がわかなかった。過去のできごとをもっと身近に感じたい。いつまでもはっきりと覚えていられるような、記憶に残る体験をしたい」
このように具体的なユーザー像を設定してみると、それぞれに適した「ヒロシマ・アーカイブ」の活用法がみえてきます。
「ヒロシマ・アーカイブ」の活用法をデザイン思考で考える
前述したようなユーザ像を設定したのち、ユーザからの目線で「ヒロシマ・アーカイブ」の活用法を考えていきます。主役は高校生たち。既にこうしたワークショップの場数を踏んでいる大学生・大学院生はメンター役を務めます。
あるチームは、視覚障がい者に向けたデザインの検討をはじめました。視覚では「ヒロシマ・アーカイブ」の内容を伝えられないため、それ以外の感覚を使った表現法を考えます。例えば資料を読み上げる機能を付加したり、位置情報・コンパスを使ったナビゲーションを加えるといった機能面から、既に収蔵されている資料をもとに「戦前の食事」を再現し、提供するサービスまで、幅広いアイデアがでてきます。
他のチームからも多くのアイデアが生まれました。しかし、すべてを実装することはできません。中・高校生が本当に伝えたいことと、それぞれのユーザーが真に「使いたい」と感じる局面はどんな状況なのかについて検討していきます。その結果、以下の4つの活用法がまとまりました。
1.地元の学校の先生
「授業で使える探索型の平和学習教材」
2.修学旅行で広島を訪れた高校生
「調べ学習成果をまとめる「私たちの」ヒロシマ・アーカイブ」
3.視覚障がい者
「視覚障がい者の「碑巡り」を補助する音声案内アプリ」
4.広島観光に来た大学生
「思い出づくり×平和学習を一度にできる観光プラン」
ご覧になるとわかるように、いずれのアイデアにも「歩いて学ぶ」という視点が取り入れられています。ワークショップ二日目は、実際に広島の街を歩きながら、各々のアイデアを検証していきました。
広島の街を歩きながらアイデアを検証する
広島女学院高の生徒たちはこれまでに、県外の方々とともに平和の碑を巡る「碑巡り」の活動を続けてきました。生徒たちが収録した碑巡り説明動画は「ヒロシマ・アーカイブ」に掲載されています。「視覚障がい者の「碑巡り」を補助する音声案内アプリ」というアイデアは、こうした経緯に基づくものです。私はこのチームのフィールドワークに同行し、アイデアの検証に参加しました。
いつもと違った目線に従って歩くことによって、いつもとは違う街のありようが見えてきます。視覚障がい者向けのアプリについて検討したチームは、目をつぶって障がい者の世界を疑似体験しつつ、平和公園を歩きながら学ぶための方法について議論しました。視覚障がい者の目線に立って平和公園を観察すると、点字ブロックが十分に行き渡っていないことや、全体を網羅した触地図が用意されていないことがわかってきました。現状の平和記念公園の仕様は、視覚障がい者にやさしいとは言えません。こうした欠点をカバーするためには、どんなアプリが望ましいのか。より具体的な検討がなされました。
音声案内アプリの機能としては、①広島平和記念公園内の道順の音声案内、②碑の音声案内、③ヒロシマ・アーカイブにある資料の音声案内です。それらを原爆ドーム近くの点字ブロック上でスマートフォンのアプリ立ち上げてもらい、点字ブロックに沿ったルートで音声案内をはじめるというものです。そのルートの所々で、道を案内するナビゲーションや、「碑」の紹介、ヒロシマ・アーカイブにある被爆体験の資料が読み上げられます。
また、私は同行しなかった「授業で使える探索型の平和学習教材」チームは、パソコン版の「ヒロシマ・アーカイブ」上でえらんだ被爆者の被災地点に向け、スマートフォン版の「ヒロシマ・アーカイブARアプリ」を使って歩きながら、さまざまな資料を探索・閲覧するという学習プログラムを検討しました。高校生いわく「被爆者のかたに会いに行く」ような感覚で学ぶ平和学習です。
例えば、被爆直後の凄惨な写真が遺されている「下村時計店」が、いまも本通り商店街で営業を続けていることを知りました。店員さんに聞いてみたところ、間違いなくこの場所だということがわかりました。原爆ドームや日本銀行広島支店のような著名な被爆遺構以外にも、さまざまな場所に原爆の名残は残っているのです。「ヒロシマ・アーカイブ」の活用によって、こうした気付きがもたらされることがわかりました。また、広島女学院の至近にある「縮景園」が、戦前も現在も、指定避難場所であることが明らかになりました。これもまた、これまでの平和学習では得られなかった知識かも知れません。
視覚障がい者と高校の教員が参加した二度目のワークショップ
ここまでに述べた初回のワークショップでは、ユーザ目線に立って「ヒロシマ・アーカイブ」の活用法について考えてきました。しかしユーザ目線とはいっても、あくまで想像であり、シミュレーションです。実際のユーザでなければ、真の感覚はわからないかもしれません。そこで約一ヶ月後の7月に、首都大学東京の学生であり視覚障がい者の簗島(やなしま)瞬さんと、広島文教女子大学付属高等学校の河合豊明先生にご参加いただき、二度目のワークショップを実施しました。
平和記念資料館を起点に、「視覚障がい者のためのアプリ」チームと「広島の高校の先生」チーム、ふた手に別れてフィールドワークを開始しました。視覚障がい者と歩くことじたい初体験の高校生たちでしたが、自ら音声アプリになりきって、懸命に説明していきます。また、別の高校とはいえ「先生」である河合先生に対して、「生徒」である彼女たちが「ヒロシマ・アーカイブ」の教材としてのポイントを説明していきます。さらに、簗島さん・河合先生からの意見や要望に対して、生徒たち自身が熱心に聞き取りをおこなっていきます。私は、双方向でヒロシマ・アーカイブの活用法について考えていくこの姿をみて「記憶のコミュニティ」がまた拡がったと感じました。
このワークショップの結果を踏まえ、参加した2チームでは、来年3月までの活動プランを策定しました。視覚障がい者に焦点を当てたチームでは、これから「ヒロシマ・アーカイブ」に具体的な改良を施していく予定です。生徒たちはさっそく、資料の音声録音をはじめたそうです。また、探索型平和学習のチームでは、さっそく他校の生徒たちに向けた提案をスタートしました。今後、より広く活用されていくものと期待しています。
今回のワークショップは私の博士研究の一環でもあります。今後、成果を論文等にまとめ、研究者コミュニティと読者のみなさまにお伝えしていく予定です。もうしばしお待ちいただければと思います。
おわりに
本稿の冒頭で、近代史を中心とした「新しい歴史科目」が設置されることについて述べました。現状の「歴史学習」には「暗記学習」のイメージがあります。しかし、歴史上のできごとを当事者として考えることによって想像力を育み「歴史から学ぶ」ことが、歴史学習の本来の姿だと私は考えます。「新しい歴史科目」には、子どもたちが夢中になって取り組む学習スタイルがふさわしいのでないでしょうか。
NHKの世論調査で、広島原爆の日の不正解率が約7割という結果が出ました。広島原爆については誰もが教科書で学びます。しかし7割の人が忘れてしまう原因の一端には、暗記型の学習スタイルがあるように思います。「ヒロシマ・アーカイブ」に携わる広島女学院高の生徒たちは、1945年の出来事を「身近なできごと」として学んでいました。こうした彼女たちの「体験」を介して、これまで語り継がれてきた被爆の記憶が、次の世代に繋がれていくように思います。
「ヒロシマ・アーカイブ」のような取り組みを全国の学校に広めていくのは簡単なことではありません。それでも私たちは、高校生たちが夢中になり、アクティブに学ぶこうした学習スタイルを、地理歴史教育の現場に拡めていきたいと思っています。(田村賢哉)