4月25日は世界マラリアデーということで、世界各地でマラリアについて知り、考え、行動を起こすためのイベントやキャンペーンが行われた。
「2分にひとり、マラリアによって子どもが命を落とす」
「世界でもっとも人間の命を奪うのは、蚊。マラリアやジカ熱など72万人以上が命をおとしている」
そんな言葉がここ数日メディアで紹介された。目にアされた方も多いのでは、と思う。
私が所属している認定NPO法人Malaria No More Japanでも、4月25日を記念したチャリティパーティの場で、「2030年までにアジアでのマラリア死者数をゼロにする」ことを目的とするゼロマラリア2030キャンペーンを開始した。マラリアについて知らない人に蚊が運ぶ病気の脅威を知り、行動するきっかけを提供できればと考えている。
世界人口の二人に一人がマラリアのリスクに
マラリア感染のリスクがある国は世界で91カ国以上。単純計算すると2人に一人がマラリア感染のリスクに晒されることになる。
ゴールデンウィークがはじまった今週、多くの方が海外へ渡航することが予想されるが、人気の訪問先にももちろんマラリアはある。以前検疫所の方と話した際に日本の人が海外旅行する際に予防接種への意識が非常に低いことを嘆かれた。感染症対策はまずは個人の意識が第一なのだが、感染症そのものへの意識が日本では極めて低い。
その一つの理由が感染症を「自分ゴト」、そして感染することで「拡大させる諜報人になるかもしれない」ことへの意識が低いのかもしれないと思う。とりわけMalaria No More Japanに関わっていて感じるのが、「遠い世界のこと」と考えられがちなこと。自分が遊びに行く先で、そんなリスクがあるという意識を持つ人に私は実はであったことはない。
かつての日本国内のマラリア対策
毎年世界マラリアデーにMalaria No More Japanではマラリア制圧に取り組む個人や団体を表彰する「ゼロマラリア賞」を発表している。第4回目となる今回は南山舎による南風原英育著『マラリア撲滅への挑戦者たち』出版活動を表彰させていただいた。
かつて日本でもマラリアは各地で見られた。平清盛の死因がマラリアだったといわれるのはよく聞かれる話。15世紀に造られたといわれる狂言「蚊大名」でもずばり蚊による症状がえがかれるし、江戸時代の病に関する記述の中にもマラリアに関する記述がみられる。明治期の北海道開拓時代、開拓民の命を奪ったのはマラリア、というと驚かれるだろうか。
そんなマラリアが最後まで残ったのが沖縄だ。所謂「戦争マラリア」およびその後のマラリア制圧の沖縄県での取り組みは何度聞いても考えさせられる。
甲戦備令がない軍命避難。波照間島では教員に身を隠した特務機関員1名、たった1名が軍刀で脅し島民をフーキ(マラリア)の島へ強制移動させた。八重山郡全体のマラリア死者は3825名、その内軍命避難で命を落としたのは実に3459名。
本書は戦争マラリアの悲劇ではなく、戦後いかに保健局の人間がマラリア制圧に取り組んだか、当時の状況が丹念に取材され、淡々と記載される。小説仕立てではないゆえに、現場の緊張感、そして職員の取り組みの大変さがひしひしと伝わる。
小さな歴史の積み重ねに現実がある
私が一番好きなエピソードがボウフラの発生を防ぐために発生源になりそうな水たまりや川などに大量に薬を散布する話だ。腹を向け浮かんでいる大量の魚の死体を前に、当時は一般ではなかったであろう自然に対して自分たちがしていることに気づき恐れおののくシーンだ。
感染症対策は必要。しかしそれが自然に影響を与えている。今なら当然議論でおきる話題だが、戦後の混乱の中、すでにその予兆があったこと。そしてその予兆は今の現実につながっていること。改めて現実は小さな歴史的事実の積み重ねなのだと実感させてくれる。
今の戦争マラリアを語り継ぐ関係者の多くが本土と沖縄の差別関係と、それにより奪われなくてもよかった多くの人命が戦争マラリアという悲劇によって奪われたことを繰り返し指摘している。1963年の石垣島でのマラリア終焉記念大会における文章は小気味よいほどだ。
(マラリア、フィラリア、腸内寄生虫症などを)沖縄県民は祖国の庇護の外にありながら、克服し、駆逐した。"沖縄県民かく戦えり。県民に対し、後世特別のご高配あらんことを!"と帝国海軍守備隊太田少将は玉砕寸前に大本営に打電して、県民の戦闘協力を讃えているが、私どもが讃えてほしく思っているのは、むしろ"内なる敵風土病"との戦いにしめした八重山、宮古、そして沖縄、各群島住民の粘り強さである。"でっち上げられた外敵"に対して、防波堤となってまで"国"を守ろうとする気持ちは、もう沖縄県民には、ここ当分出てこないだろう」(吉田朝啓氏論文『石垣市史・マラリア資料集成』)
世界情勢が不安定な中、様々に戦争や安全保障ということが語られますが、個人的には周辺のさらに周辺であるが故に差別された沖縄離島の悲劇、軍の命令という言葉が独り歩きした結果、1人の軍刀が数千もの命を戦闘でではなく奪ったという事実、戦後の島民への補償が補償となっていない現実、その歴史の重みを今の情勢と照らし考える事、そして今尚続くマラリアという世界規模の普遍的な感染症の脅威と重ねながら考える必要がある。
戦争が引き起こすのは、先頭による死者だけではない。異常事態の下で強制的に進められる政策によって、間接的に人命が奪われることがある。その後始末をしたのが、『マラリア撲滅への挑戦者たち』でえがかれた1960年代までの苦闘だ。様々に語られるであろう戦争の悲劇だが、改めて沖縄の離島であるが故の保健政策の悲劇を、同著を通じて考えられればと思う。