世界で最も貧しい国の一つとして知られる、アフリカ南東部のマラウイは2001年、数千人規模の餓死者が出るほどの激しい干ばつに襲われた。
そのマラウイの小さな村で、一人の少年が一冊の本を手に取った。
「エネルギーの利用」というタイトルの本には、「風車は水をくみ上げて、発電できる」と書いてあった。
水を汲み上げられれば灌漑ができる。灌漑ができれば作物を安定して育てることができる。
そう思った少年は、十分に食べるのも難しい中で、本を頼りに、水を汲み上げて灌漑できる風車を作ろうとする――。
電気の通っていないマラウイの貧しい村で、わずか14歳で風車を作った少年、ウィリアム・カムクワンバさんを描いたベストセラー『風をつかまえた少年』が映画化された。
監督を務めたのは『それでも夜は明ける』でアカデミー主演男優賞にノミネートされた、イギリス出身の俳優キウェテル・イジョフォーだ。
カムクワンバさんが風車を作ろうとした当時、マラウイの電気の普及率は2%。ウィリアム少年が住んでいたウィンべ村も、電気が通っていなかった。
家にある家電といえば、乾電池を使って動かすラジオくらい。干ばつになす術もなく、雨乞いするしかなかった村で、14歳の人生を変えたのは、学ぶことへの飽くなき欲求だった。
14歳のウィリアム少年にとって「学ぶ」とはどんな意味を持つものだったのか。そして風車は少年の未来をどう変えたのか。
映画公開にあわせて来日した、カムクワンバさん本人に聞いた。
■ウィリアム少年にとっての、学ぶこととは?
カムクワンバさんは、「学ぶことは、人生の選択肢を増やすためのものだった」と振り返る。
実は「エネルギーの利用」を手にした時、ウィリアム少年は学校を中退させられていた。貧しさのあまり、両親が学費を払えなくなっていたのだ。
それでも、ウィリアム少年は、学ぶことを諦めなかった。
こっそり授業に忍び込み、さらに自分の姉と内緒で付き合っていた理科の先生と取引して、付き合っているのを秘密にすることと引き換えに、図書館に通えるようにしてもらう。
その図書館で出会ったのが「エネルギーの利用」だった。
学校から追い出されても学ぶことを諦めなかった理由を「教育は私にとって、選択肢を増やすものでした。教育を受ければ、自分のやりたいことがたくさんできると思っていました」と、カムクワンバさんは説明する。
カムクワンバさんの生まれ育ったウィンべ村では、ほとんどの子供たちは学校に通えず、大人になると親と同じ農家になっていたという。
さらに、農業技術が発達していないマラウイでの農業は、洪水や干ばつに収穫量が左右される過酷なものだった。カムクワンバさんが風車を作った当時は、干ばつで食事は1日1食しか取れなかった。
「私も農業は好きです。しかし、農業が好きだから農家になるのと、それしか選択肢がないから農家になるというのは違う、と感じました」
「私にとって、教育のゴールは仕事ではありません。教育とは、人生の選択肢を広げ、自分がやりたいことをするのに必要なもの。だからこそ、学校に通い続けたいと思ったのです」
■ 「火事が起きたら、誰かが火を消してくれるのを待つ?」
目の前に用意された道をただ受け入れるのではなく、自分の未来を自分の手で切り開くという精神をカムクワンバさんは祖母から学んだという。
「祖母は固定観念にとらわれずに、自分で物事を解決しようとする人でした。彼女は何かあった時に不満を言うのではなく、解決法を探そうとしました」
カムクワンバさんには、祖母の忘れられない一言がある。
家を建てるための人を雇うお金がなかった祖母は、自分でレンガを作って家を建てようとした。しかしマラウイでは、女性がレンガ造りをすることは考えられないことだったとカムクワンバさんは話す。
「マラウイでは、レンガを作るというのは、男性の仕事だと考えられています。祖母は多くの人たちから、『なぜ夫ではなく、あなたがやるんだ』と言われました」
「その時に祖母は、『もし火事が起きたら、誰かが火を消してくれるのを待つ?』と言ったのです。私はハッとさせられました。彼女が言わんとしていたのは『何か問題がある時には、誰かが解決するのを待つな』ということでした」
■子供が親を超える時。父との衝突
祖母の精神を受け継いだ少年は、風車を作って村に安定的に水を供給するため、廃品置場を回って風車作りに必要な材料を集める。
しかしウィリアム少年の新しい挑戦は、周りの人からなかなか理解されなかった。
カムクワンバさんは後年、村人や家族から「頭がおかしくなったと言われた」と振り返っている。
その中でも、ウィリアム少年が乗り越えなければいけないのは、見たことのない技術を理解できない父だった。
風車を完成させるためには、父親の自転車を部品として使う必要があった。
そこでウィリアム少年は、風車のために自転車を譲って欲しいと父親にお願いするものの、父は拒否。さらに「僕は父さんの知らないことを知っている」と話すウィリアム少年に激怒し、風車作りをやめるように命じる。
「私は、風車があれば自分たちの直面していた問題を解決できると思っていました。そして自転車が手に入れば風車を作れるという確信がありました。だから、拒否されて悲しかったです」とカムクワンバさんは振り返る。
一方でカムクワンバさんは、未知の物体のために自転車を手放すのは難しかったはずだと父親を擁護する。
「マラウイでは、自転車は重要な移動手段です。父はそれまで見たことも聞いたこともないもののために、大切な自転車を失いたくなかったんだと思います」
そんな父親の心を動かしたのは、拒否されても諦めない息子の熱心な思い、そして息子を学校に通い続けさせてあげられなかったことへの申し訳なさだった。
「拒否されても、何度も何度もお願いし続けました。そして最終的に父は、自転車を譲ってくれました。学費を払えなかったことを申し訳ないと思っていたことも、大切な自転車を譲ってくれた理由の一つだと思います」
■ 風車が未来を切り開いた
2002年、カムクワンバさんは風車を完成させ、貧しい村に風力発電をもたらす。風車は家族や村の生活を変えた、とカムクワンバさんは話す。
「それまで、家には電気が通ってなかったので、灯油ランプを使っていました。でも風車で発電できるようになったので、灯油を買っていたお金を他のことに使えるようになりました」
「それに、発電した電気で携帯電話が充電できるようになったので、村の人たちが充電するためにやってくるようになりました」
風車は、カムクワンバさん自身の人生も大きく変えることになる。
ジャーナリストがカムクワンバさんの記事を書いたことで、カムクワンバさんはTEDカンファレンスに登壇。
さらに、奨学金で南アフリカのアフリカリーダーシップアカデミーに進学し、卒業後はアメリカ・ダートマス大学に進んで環境学を学んだ。2013年には、タイム誌の「世界を変える30人」にも選ばれた。
現在は、マラウイで若者が学べるイノベーションセンターを作っている。次世代のイノベーターを生みたい、とカムクワンバさんは話す。
『風をつかまえた少年』日本公開前の7月12日、カムクワンバさん東京都千代田区の麹町中学校を訪れた。
風車を作った14歳の自分と同年代の生徒たちを前に、カムクワンバさんはこう語りかけた。
「人生には色々ありますが、挑戦はつきものです。問題に直面しても、それを自分のゴールへの道を阻むものだと思わないでください。自分が成長するチャンスだと思ってください」
「私は、本当にやりたいことというのは、すべて可能だと思っています。成功者と呼ばれている人たちは、挑戦を障害だと思わず、夢を形にしてきた人たちばかりです」
「だからやりたいと思うことがあったら恥ずかしがらずに、先生や友人、あなたを応援してくれる人に相談してみてください」
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『風をつかまえた少年』は8月2日から公開。撮影はカムクワンバさんの故郷、マラウイ・ウィンべ村で行われ、マラウイの美しい自然も楽しめる。