高校生の頃の僕にとって、コーヒーは戦友だった。
小学6年生の時に、「飲めたらちょっとかっこいい」と言う理由で飲み始め、高校の頃には眠気覚ましに毎日飲むようになった。最初の頃は苦いだけだったけれど、その苦味が少しだけ大人になった自分への勲章のようで、いつしかコーヒーにはまっていった。
特にたくさんコーヒーを飲んだのが、受験勉強中だ。
周りの友達が毎日のように飲んでいたエナジードリンクは、健康にも悪そうだし、味も好みではなかった。僕は“コーヒー派”で、放課後友達とドトールやマクドナルドに行っては、コーヒーを飲みながら勉強をしていた。
時は流れ、志望していた大学に無事合格して勉強から解放されたと同時に、コーヒーを飲む回数も少なくなった。
戦友であったコーヒーの苦味を忘れていた僕であったが、入学式の直後に、その後の大学生活を決定づけるコーヒーとの出会いをすることになる。
コーヒーの裏切り。コーヒーは苦いものじゃなかったの…?
僕の通う早稲田大学は、入学式直後に4日間のサークル新歓期間がある。
この期間は大学内がお祭りのように賑わい、600を超えるサークルが一年生に声をかけ、ビラを配り、必死に勧誘をするのだ。
昔から食べることが好きだった僕は何かグルメ系のサークルに入ろうと思い、早稲田のサークル一覧が載った雑誌で見つけて話を聞きに行ったのが、「早稲田大学珈琲研究会」であった。
100人以上いる大きめのサークルとのことだったが、コーヒーを研究するとはどういうことなのか?
ただ遊んでいるだけのサークルなのではないか?
気になった僕は、敵情視察のような気持ちで珈琲研究会のブースに足を運んだ。
ブースのある教室の前まで行くと、香ばしいコーヒーの匂いが漂ってくる。珈琲研究会の机は教室の奥にあったので少し入るのがためらわれたが、勇気を出して入ると優しそうな先輩が笑顔で迎え入れてくれた。
活動内容の説明が始まると同時に、後ろではこれまた優しそうな先輩が細口のケトルを使ってコーヒーを淹れ始める。「テレビで見たことがあるやつだ!」と少し嬉しくなった。説明が終わり、先輩の質問に答えたりしているとカップに入った二杯のコーヒーが差し出された。
珈琲研究会のコーヒー、果たして美味しいのだろうか。
片方のカップを手にとり恐る恐る飲むと、口に広がるまろやかな苦み。
今まで飲んでいたコーヒーより、数倍美味しい。
「珈琲研究会すごい…!」と感じながらもう一つのカップのコーヒーを啜った瞬間、舌先に酸味が走る。
そう、酸味が走ったのだ。
コーヒーは苦いもの。そう思っていた。苦いコーヒーを飲めることが、小学生の僕にとっては少し大人になれた証だった。
でも、酸味があるコーヒーは素直に美味しかった。
ずっと飲んできたコーヒーにこんな美味しさがあったなんて…!
親友の知らなかった一面を見せつけられたようで、裏切られた気分になった。
だけど、コーヒーを嫌いになることはできなかった。むしろ、コーヒーの新たな魅力に惹きつけられたのであった。
たった一杯のコーヒーによって自分の中での常識だった「コーヒーは苦い」という前提が裏切られた瞬間、入会費の3000円は財布から消え、再びコーヒーとともに生きる運命が決定したのである。
コーヒーの奥深さ。同じ豆、同じレシピ、なのに…
早稲田大学珈琲研究会、縮めて「こひけん」。
創立は1971年、今年で48年目を迎えた最も歴史ある珈琲サークルで、会員の数は毎年100人を超える。
主な活動として、ハンドドリップの練習やブレンドづくり、カフェ巡りなどを行なっている。
10月~11月には文化祭を含めて3回くらい大学のお祭りで出店をしていて、この日のためにサークル員は研究を毎週行なっている。
普段も、大学構内にあるCafe Clioというカフェでメニュー開発と、店舗でのドリップを行うという形で経営協力をさせてもらっていて、元の僕の予想とは違って、コーヒーに真剣なサークルなのである。
入会してすぐに、ハンドドリップを実際にやってみる機会が訪れた。
使うのは先輩と同じ豆、同じレシピ。
先にお手本で淹れてくれた先輩のコーヒーは華やかな香りとコクのある味わいでとても美味しく、チェーン店とは大きく味が違うことに改めて驚いた。
豆にお湯を通す、ただそれだけの工程。
渡された細口ケトルを先輩の見よう見まねで回しながら、ゆっくりとお湯を薄茶色のコーヒー粉に注ぐ。
先輩と同じ湯量を注ぎ終わる。割と上手く注げた自信があったが、飲んだ瞬間口の中に広がる鋭い酸味とえぐみは今まで飲んだどんなコーヒーよりも不味いものだった。
同じ条件にもかかわらず、お湯の投入だけで味が大きく変わる。
本来ならば豆の種類や挽き方なども違う。
コーヒーは様々な要素が複雑に絡み合い、淹れる人によっても味が大きく変わる繊細な飲み物である。
僕は、コーヒーの奥深さにより魅入られていくのであった。
コーヒーの楽しみ方。ドリッパータワーのお味は…?
底が見えないコーヒーの世界であるが、ドリップをするときに最も大切だと感じるのは、難しいことを気にせずにドリップを楽しむことである。
カフェで飲むコーヒーは美味しいが、自分で淹れたコーヒーはもっと特別感があるからだ。
こひけんの活動も、ドリップの練習ばかりをしているわけではない。
「珈琲と音楽」研究と題し、日本からアフリカまで世界各国の音楽を聴きながらコーヒーを飲むことで、味や気分に変化があるのか体験したり、「珈琲とチョコレート」研究として三種類のコーヒー豆と、同じ産地のカカオを使ったチョコレートを用意して味に親和性があるのかを調べたりもした。
また、ボウル大の特大コーヒーゼリーを作ったり、コーヒーを飲みながら哲学的な討論をする回もそれぞれサークル員の声により実現された。
これらの一風変わった研究でも、使うコーヒーは基本的な淹れ方をしたコーヒーであるが、年に一度、型にはまらずドリップをするイベントがある。
こひけんでは、3年生が幹部代を終える前の最後の研究の恒例行事として、ハンドドリップの技量を競うKHDC(Kohiken Hand Drip Championship)というお祭りが開催される。
もちろん真面目にコーヒーを入れる人もいるが、茶漉しでコーヒーを入れたり、竹でドリップしたり、入れたコーヒーを抹茶用の茶筅で点てる人もいる。
これらの淹れ方ではまずいコーヒーしかできなさそうであるが、なぜか意外と美味しかったりするのが面白いところでもある。
かくいう自分も、ドリッパーを三段に積み、下からライトを照らして光らせながらドリップするパフォーマンスで試合に挑んだ。
試合はトーナメント制で進むのだが(勝敗の基準は味)、後輩が先輩に勝ったり、茶漉しでドリップした人が普通にドリップした人に勝ったりとコーヒーの不確定さを感じられてとても面白い。
自分は今回負けてしまったが、周りは盛り上がったし、コーヒーを入れる一つの型として「アリ」なのだと思う。
既存のやり方から外れ、新しいコーヒーのあり方を模索するのも、こひけんの研究の一つなのだ。
僕も、来年は優勝を手にするため適切な豆の量と湯量をさらに研究していこうと思っている。
コーヒーが、再び相棒に。
こひけんに入ってよかったと感じることは色々とあるが、特に感じるのは、コーヒーをきっかけに色々な人と関わることができたことである。
文化祭などへの出店の際には、上の世代のコーヒー好きな方々が話しかけてくださることもあったし、他大学のコーヒーサークルとの交流をする機会も生まれた。
また、珈琲研究会という珍しいサークルであることから、バイト先でも先輩や社員さんがそのことを覚えていてくださり、話を振っていただくこともある。
コーヒーが好きで、こひけんに所属していることが、新たなアイデンティティーになったのだ。
そして2019年12月。僕は早稲田大学珈琲研究会の幹事長になった。
次は僕が新入生にコーヒーの素晴らしさを教える番だ。
小学生の頃出会い、大学受験を助けてくれたコーヒー
一度は裏切られたものの、僕のアイデンティティーとなったコーヒー
時が過ぎれど、形は変われど、僕はいつまでも、コーヒーと相棒でいるのだろう。