日本統治下の朝鮮半島の出身者たちが戦時中、労働力として日本内地に動員された問題が日韓関係に影を落としている。
韓国の最高裁が2018年、日本企業に対し、元労働者の韓国人に賠償するよう命じたいわゆる元徴用工訴訟を機に両国の対立が深まり、収束の兆しは見えない。
この問題を長年研究してきた外村大(まさる)・東京大大学院教授が10月25日、日本記者クラブで記者会見し、「何があったのか」を改めて解説。誤解が広がる現状に警鐘を鳴らした。
日韓関係悪化の発端
この問題をめぐっては2018年10月30日、韓国の最高裁にあたる大法院が日本製鉄に対し、第二次世界大戦中に同社の前身企業で働いていた韓国人4人に賠償を命じる判決を言い渡したことで注目が高まった。
日本側は判決に対し、「請求権に関する問題は1965年の日韓請求権協定で解決済み」と反発、その後日韓関係は急速に悪化した。
外村氏はこの日、「朝鮮人強制連行の実態」と題し、朝鮮半島出身の労働者が内地に動員される経緯を改めて説明した。
「拉致同様の動員あった」
外村氏によると、日本政府は1939年、戦争の長期化による労働力不足を補うため、朝鮮半島から労働者を動員することを決めた。
その手法は、企業が行政の許可を得て内地で働きたい朝鮮半島出身者を募る「募集」(1939年9月以降)と、朝鮮の地方行政が総督府の要綱に基づいて対象者を集める「官斡旋」(1942年2月以降)、内地ではすでに実施されていた「国民徴用令」による動員(1944年以降)の3つがあった。
このうち、朝鮮半島出身者が法的に強制動員されたのは徴用のケースだけだったが、外村氏によると、募集や官斡旋でも強制的な集め方がされた事例があったという。
「行政の資料や関係者の証言から、1942年春ごろから、本人(朝鮮半島出身者)の意思に反した拉致同様の動員があったことがわかっています」
安倍首相も理解不足?
一方で外村氏は、動員の形態が複雑だったことから間違った認識が社会に広がっており、安倍晋三首相でさえ、国会答弁で募集と官斡旋が国民徴用に含まれるという誤った発言をしたと指摘した。
また、安倍首相は、日本製鉄が賠償を命じられた裁判が「元徴用工訴訟」と呼ばれていることについて、「原告が募集でやってきており、元徴用工ではなく、旧朝鮮半島出身労働者と言わせていただいている」と述べたが、これについても外村氏は誤りの可能性を指摘した。
「募集でやってきた労働者たちも、軍需会社法の規定で途中から『徴用』に切り替わっていた可能性がある。政府はもっと原告たちの声に耳を傾けるべきだ」
過酷な労働、暴力的な動員
同じ徴用でも朝鮮半島出身者は日本人と違い、炭鉱や鉱山、土木工事現場など過酷な労働現場に配置される差別を受けていたという。
職場でのリンチや食糧不足、賃金の未払いもあったとする証言が残っていると外村氏は述べ、次のように語った。
「公文書や統計などを見ると、広範に強制的、暴力的な動員があったことは否定できない。濃淡はあるものの、深刻な被害があったといえる」
外村氏は質疑の中で、韓国人研究者のベストセラー本「反日種族主義」について触れた。
この本は、戦時中の問題をめぐる韓国人の反日的な見方を否定する内容になっているが、外村氏は次のように疑問を呈した。
「本では、『朝鮮半島出身の労働者たちは戦時中、内地で働いて金を稼ぎ、自由だった』という趣旨のことが書かれているが、日本は当時、統制経済であり、矛盾する。資料などに基づいてすでに出ている説を否定するならわかるが、この本はそうなっていないのが残念だ」
賠償は「悩ましい」
ただ、大法院が命じた損害賠償について、外村氏は「朝鮮半島出身労働者は字が読めない人もいて、働いた場所などが特定できず、現実的に補償は難しいと思う。動員計画でなくても内地にやってきて最終的に過酷な『タコ部屋労働』を強いられた人もいるだろうし、そういう人も含めると金額が莫大になって、お金を払うのが得策なのか、悩ましい」と述べた。
その上で、1つの解決策として次のように提案した。
「金銭的にではなく、精神的に和らげることはできる。被害者のご遺族を招いて慰霊祭をやるとか記念施設を作るとか。やれることからやって誠意を見せれば、韓国は独自で補償の措置をやりますということになるのではないか」