大学での講義で途上国の医療事情などを学生さんへと紹介しているためか、この時期になると、夏休みに向けたボランティアについての相談を受けるようになります。
「タイでボランティアしたいです。エイズ患者のホスピスはありますか?」
「ネパールに初めて行きます。ボランティアできるNGOを紹介してください」
「ボランティアできる難民キャンプはどこですか? ロヒンギャとかいいですね」
思えば、かれこれ20年以上、私はこうした問い合わせに答え続けてきました。しかも、それに対する私の回答は20年間、ほとんど変わっていません。
「まずは、あなたが関心をもった国について、楽しく旅行されたらどうですか? その国の悲しい部分を先に見ようとするのではなく、素敵なところを発見してみてください」
学生さんの「海外でボランティアしたい」という気持ちは立派なのですが、ある国をよく知りもせずに、いきなり援助したいというのは、その国に対して失礼だということに気がついてほしいのです。たとえば、「ネパールでボランティアをしたい」という前に、まず、「ネパールという国を知りたい」という動機があってしかるべきです。
知りもしない、行ったことすらない国の「貧困や無知」を勝手に想定し、そこで援助したいと希望する人には、きつい言い方ですが、その人の発想の「貧困と無知」がすでに見え隠れしています。現地の生活を無視した援助の暴走が、すでに大学生にして始まろうとしているかのようです。
国際協力に憧れがあるにしても、最初のうちは、ボランティアなど忘れて、まずその国を楽しく旅したらどうでしょう? 即戦力のある専門家でもないわけだし、急ぐことはありません。まず、アジアを、世界をよく知ることが先だと私は思います。
たとえば、東南アジアの寺院で、地域の人たちと一緒に手を合わせてみてください。南のビーチで、のんびりと夕日が沈むのを追ってみてください。北の山岳地域で、少数民族と出会いながら歴史と文化に思いをはせてみてください。美しい自然にふれ、歴史を知り、文化を味わうこと。これこそが学生ならでは旅であり、きっと東南アジアの人々も喜んでくれるはずです。
そして、2回、3回と訪問を重ねて、片言の現地語がつぶやけるようになる頃、自分自身の目で東南アジアが抱える問題もまた見えてくるようになります。ボランティアを始めるのは、それからでも遅くはないはずです。いえ、それからの方がもっと確かなことができるはずです。
ところで・・・、最近になって、海外でのボランティア活動を単位として認定している大学だとか、そのための活動資金を提供してくれる企業だとか、そんな学生さん向けプログラムが増えているようです。まあ、資金調達が上手な学生さんも増えてますね。ひと昔前だったらアルバイトでコツコツ貯めてたようなお金を上手に引っ張ってくるんですね。
ただ、見知らぬ国への導入について事前にレールを引いてしまうのは、やや残念なことだと私は感じています。こうした支援があると軌道修正が難しくなるからです。つまり、「ボランティアするつもりで来たんだけど、やっぱ違うと思う」が言えないんですよね。実のところ、弱者になりがちな学生さんにとって、支援者の存在はリスクなんです。支援者が現場を知らなければ、なおさらリスクになります。
ボランティア活動そのものが目的になっていて、そんな疑念を抱くことを自ら許さなくなっていることもあります。ボランティアに行ったはずの国で、ふと気がついて楽しむ旅へと方向転換するのも、実に学生らしくて悪くない経験なんですが・・・。
飢えた子どもたち、内戦で傷けられた家族、貧困から立ちあがれない人々・・・、たしかに世界にはそんな人たちがたくさんいます。でも、学生時代から、世界のそんな悲しい側面をクローズアップしすぎてはならないと私は思ってます。本当の意味でアジアの人たちを「隣人」と私たちが感じていくためには、こうした偏見というか、部分的な見方というのを乗り越えていく必要があるのではないでしょうか?
この夏、途上国でボランティア活動を予定している学生さん。あなたは、その国が好きですか? 好きと言えるだけ、その国を知っていますか? 口淀むことがあるのなら、ちょっと旅の計画を練り直してはどうでしょう。自分で自由になる時間と予算、そして能力以上のことを、いきなり始めるのはやめましょう。ボランティアとなる前に、あなた自身を見つめなおすような、そんな上手な旅人になってほしいと私は願っています。