園田さんが20歳の頃に書いた「50カ年計画」。1カ月単位で目標を定めていた
「簿記の入門」「300万円貯金」「起業」。50年先の未来まで手帳に書き込んでいた――。元祖・早稲田大学発ベンチャー起業家と言われる園田智也さんの半生は、まったくもってストイックだ。
起業資金を稼ぐために、昼間の学業と並行しつつ、夜は週7日のアルバイト生活。「ああ、よくある話だよね」と思うかもしれない。しかし、彼にとってはそれも壮大な「50カ年計画」の一部にすぎない。
早大在学中の2001年1月、歌声で曲を検索するベンチャー「ウタゴエ」を設立。起業後は研究室に泊まりこんで睡眠時間以外はプログラミングに集中し、小指が腱鞘炎になるほどにEmacsでCtrlキーを叩き続けた。
そのストイックさは不惑の年齢を迎えても変わらない。毎朝4時に起床し、「1日を2回生きる」という独自のワークスタイルを実践。社長業をこなしながらプログラミングの時間を確保している。
現在はAKB48の柏木由紀さんや「進撃の巨人」リヴァイ兵長の声優を務める神谷浩史さんが愛用することでも知られ、ユニークユーザー数が世界で500万人を超える日記アプリ「瞬間日記」を開発する園田さんの働き方に迫る。
20歳で70歳までの計画を立案
----学生時代から起業意識があったのですか?
ちょっと中2病っぽいかもしれませんが、20歳の頃に行きつけのドトールコーヒーで、手帳に70歳までの人生計画を書いていました(笑)。25歳で起業しようと考えていたので、それより数カ月早く実現したことになります。
----就職する気はなかったのですか?
修士1年の時に、いったん就職した方がいいかなとソフトバンクに行ってみたこともあります。Yahoo!と良い関係で、検索の技術が活かせるかもしれないと思ったためです。結局、進学を選びましたが。
----学生時代に特許を取得するだけの技術を持っていたのがすごいですね。
学生だったので自由にプログラミングに集中できたからですが、今は社長業があるので、ままならなくなってしまいました。
「1日を2回生きるワークスタイルが一番幸せ」と語る園田さん
----起業前は自らプログラミングをしていても、社長になるとマネージメント業に集中しなければならないケースは多いですよね。
どうしてもプログラミングの時間を確保したいので、1日を前半と後半に分けて過ごすようにしています。6時から12時までを1日分、13時から19時までを2日分と考えて過ごすと、これがとてもいいんですよ。1日の前半はプログラミング、後半は社長業に専念するんです。
自分の集中力が続く時間って、せいぜい7時間ぐらいなんです。そこで、少し頑張ったら1日を2日分の濃度で過ごせるんじゃないかと思いまして。
毎朝4時に起きて始発に乗り、新宿駅からオフィスまで45分かけて歩きます。始発は誰もいませんし、大きな公園の緑の爽やかな中を歩いて行くのでストレスもない。オフィスに着くのはだいたい6時半頃です。
6時半から7時半まではプログラミングして、終わったら早稲田の学食で朝食を食べる。ひととおりメールに返信して、何もかも終わってもまだ9時なので、もうひとプログラミングすると、ちょうどお昼になります。ここまでで6時間働くわけなんですが、午前中はプログラミングに集中できるので幸せな時間です(笑)。
午後の6時間は社長業がメインで、社内外のミーティングもこの時間帯にこなします。19時になると歩いて帰宅し、食事や入浴をして10時に寝る毎日を送っています。
これまでも出社時間を変えたり、働き方を試行錯誤してきたんですが、幸せを感じられなかったんです。今は、幸せ度でいくと一番幸せな生き方をしていると思いますね。
朝9時に出社してたらモノづくりができない
----かなり濃密な働き方ですが、なぜ45分かけて徒歩通勤するのでしょうか。
実は理にかなっているんです。例えば、運動をしようと週末にスイミングやランニングをすると2時間はつぶれてしまいます。交通機関を使うと往復70分なのですが、徒歩通勤で往復90分だと毎日余分に20分を運動に割り当てることになります。つまり、平日5日で合計100分の運動ができるわけです。
それに歩いているとアイデアも湧いてくる。プログラムをどう組むかを考えながら歩くとオフィスに着いたらすぐに手を動かせますし、週末の時間は丸々プログラミングに費やせるじゃないですか。
----年末年始や週末もプログラミングなんですよね? ストイックすぎるというか、侍みたいです......。
やっぱり、プログラミングをしていないと鈍ってきてしまうので。ビル・ゲイツは1975年生まれの僕より上の年齢になっても現役でプログラミングを組んでいました。米国では技術者が若くないので、いわゆる「プログラマー35歳定年説」は違うと思うんですよね。
とは言うものの、目も悪くなってきましたし、体力的に長い時間はプログラムを組めなくなってきました。でも残りの人生を考えたら、まだまだ納得できる成功のレベルには至ってません。もし朝9時や10時に出社していたら、メールをチェックし終える頃にはお昼で、ものが作れないまま平日が終わってしまいます。経営者の前に技術者でありたいんですよね。
----ところでなぜ「歌声検索」だったのでしょうか。
学生時代、「千里眼」という日本初の検索エンジンを生んだ、コンピュータ・ネットワーク学の権威である村岡洋一先生の研究室にいました。最初は僕もテキスト検索エンジンを作っていたのですが、先生に「研究にならないものはダメだ」と言われてしまって。当時は画像検索が流行っていたのですが、画像を検索するよりは音声の方が早くできるかなと。
----もともと音楽をやっていたとか?
それが、まったくできないんですよね(苦笑)。楽譜も読めないし、正直「ウタゴエ」という社名が重荷になっている面はあります。音楽関係者の学会で発表した時も、「十二平均律も分からないとはもぐりですね」と言われてしまったり。
ただ、自分は数値で音の波形が読み取れたので、むしろ音楽が分からないからこそ検索エンジンを作れたと思っています。たとえば、おじいさんと子供の歌い方では音声認識が違うんです。おじいさんは声がかすれるし、ぶれも大きいし、ビブラートがかかってどこが本当の音階かわからないなどの問題があります。その時に、余分な音をカットして、該当する曲を見つけ出す......ということをしています。
----開発までにどのくらいかかったのでしょうか。
当時、音声を取れる言語はC言語しかなかったのですが、約1カ月で開発しました。その間は研究室に泊まりこみで、丸椅子を5個並べて寝ていました。3つは身体を乗せるため、2つは左右に置いて両腕を乗せます。それこそ寝るとき以外はずっと作っている状態でしたね。この時、(エディタの)Emacsで左のCtrlキーを押しすぎたため、小指は腱鞘炎になってしまって。最後は小指を上げたまま、何とか作り上げました。
私が在籍していた研究室は何千万円もする機材も利用できるので、環境にも人材にも恵まれていたわけです。先輩も指導が厳しくて、学会の論文は金曜の5時なのですが、「月曜の朝10時までは大丈夫」と修正させられたり(笑)。その甲斐あって、当時、優秀な論文に与えられる「山下記念研究賞」を受賞しています。
論文発表のせいで特許が一部とれない!?
----学生時代に特許を取った時は反響がすごかったのでは?
1998年に特許を取ったのですが、ニューヨークタイムズに載りました。イスラエルやイギリスなどから様々な人がやってきて、「お前の技術を買いたい」「投資したい」と言ってくれて。これは会社にした方がいいかなと思ったんですよね。
それはよかったのですが、反省もあります。実は先に論文を発表していたのですが、特許申請した時に「これについては既に発表されている」と一部が却下されてしまったんですよ。
----えっ、発表したのは自分なのにですか?
そうなんですよ......。
実は論文で発表したために、技術を他の大企業に勝手に使われてしまったこともありました。某ゲーム会社が、僕が発表した技術を使ってゲームを出していたんです。発覚したのは2006、7年くらいと論文を出してずいぶん時間が経ってからだったのですが。というのも、既に歌声検索は当社の主力事業からはずし始めていたので、気付くのが遅れてしまったんですね。一応勧告文は出したものの、争い沙汰にならないまま終わってしまいました。
大企業絡みでは他にもあって、学生時代に某大手電機メーカーに技術を持って行ったら、「入社しない?」と言われて。後でしれっと「特許出しておいたから」と言われて、唖然としてしまいました。大企業、怖いなと(苦笑)。
歌声検索はキャッチーだったので、いい思いも悪い思いもしました。ただ、日常的に使われるものではなかった。着メロ検索に使ってもらったりはしたものの、カラオケしかなかった時代に、マーケットからの発想がまったくない時代に作るものではなかったのかもしれませんね。
----なるほど......。
その頃は起業するために資本金300万円が必要だったので、とにかくお金を貯めなきゃと、バイトを週7で入れていたこともあります。昼は研究し、夜の6時から10時まではバイトをするわけです。塾講師だったり、夜中のデパートでマネキンを運んだり、冷凍室で冷凍エビを運んだり、17種類のバイトをしました。割がいいのはプログラミング仕事でしたが、そのうち奨学金の方が割がいいことに気付いて、「勉強した方が儲かるな」と(笑)。
年末年始でこっそり作り上げた「瞬間日記」
現在の主力事業は日記アプリの「瞬間日記」で、2010年の年末年始で作ったのですが、ソーシャルの時代にあえてつながらず自由に日記が書けます。完全にプライベートな日記を投稿するためのアプリで、ソーシャルではつぶやけないことをテキストや写真、iOSでは音声や動画を記録できます。
アプリを出すまでは、社員に内緒で一人でやりました。というのは、シリコンバレーに行った時に、「クチコミだけで100万ユーザーを集めるサービスにならなければ成功しない」と言われたのが心に残っていたからです。誰にも言わず、どこまでできるかというのをテーマにしていました。
普段は「エンジニアより社長業に集中してください」と言われてしまうので、自由にプログラムが組める時間は年末年始かGWしかないんですよね。だから、うちは年末年始で大体一個のサービスを出しています。瞬間日記は作った瞬間に「いける」と思いました。30万ユーザーを超えてApp Storeの全体で2位、ライフスタイルカテゴリーで1位を取ったのですが、社員に見つかって、「これなんですか。映像配信の会社で何やってるんですか」と言われて(笑)。
当時僕らは、法人向けにライブストリーミング動画配信システムを提供していました。コンシューマー向けのライブストリーミング配信システムにも取り組みたかったんですが、既にニコニコ動画などが出ており、出遅れていたのです。ただ、一般人がライブ配信してアーカイブが見られる時代、むしろ動画にこだわらず、記録したいというニーズをすくいとる市場を狙った方がいいと思ったんですよね。その点「瞬間日記」なら、テキストも写真も記録できます。
完全にプライベートな日記を投稿するアプリ「瞬間日記」。ソーシャルではつぶやけないことをテキストや写真、iOSでは音声や動画を記録できるのが特徴
マクドナルドの藤田田さんの言葉で、「ユダヤ商法に商品は2つしかない。それは『女』と『口』である」というものがあります。つまり女性向けのサービスであり、口絡みのサービスということです。それともう1つ、「みんなが困っている点がある」というのが、僕がそのビジネスがいけるかどうかを判断するチェックポイント。これは、歌声検索ではクリアできていなかった点でした。瞬間日記はユーザーの8割が女性ですし、ソーシャルではつぶやけないことを記録することができます。
瞬間日記のアイデアは、歌舞伎町を歩いている時に思いつきました。水商売の女性は書けないことが多そうだと。そこで、「田舎に子供を預けているシングルマザー」というペルソナを作って、その女性が子供といるどんな瞬間も保存できるアプリにしようと考え、「瞬間日記」という名前になったんですよね。
現在のユニークユーザーは世界で約500万人以上で、日本以外にロシアやドイツ、ジンバブエ、サウジアラビアなど210カ国で利用していただいています。サービスの改善が大切なので、様々な国からクレームがいただけるのはありがたいですね。
「50カ年計画」の締めくくりに込めた思い
----20歳の頃に立てた「50カ年計画」はまもなく折り返し地点です。70歳になるまでの計画は?
手帳には「61〜70歳の間に(事業を)次代に渡し、見守る」と書きました。これは、次世代の若者に口出ししないようにしたいという気持ちの表れですね。
というのも私はずっと、年功序列や権力に対抗したい気持ちが強かったんです。だからこそ、インターネット黎明期にあらゆるものがフラットになっていくのをワクワクしながら楽しんでいた。逆に、自分が大人になった時は、「若い人に偉そうに口出ししないようにサポート側に回る」と決めていました。
今の時代、日本のトップクラスエンジニアは海外に行ってしまいがちです。高校時代に頭角を現した学生は、海外の大学が学費免除で呼び込むので、人材が流出しています。でも日本にいながらグローバルなサービスが作れる会社があれば、もっと一流の技術者が日本に集まってくるのではないかと。ウタゴエが作るサービスはグローバルです。もっとグローバルな製品を作り、最終的には日本に人材を集められるようにしたいですね。
(2015年8月10日掲載「HRナビ」より転載)
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