緊張高まる「米欧関係」80年の軌跡--渡邊啓貴

自国の利益だけを考える議論は、実は正しいリアリズムではありません。

 本書『アメリカとヨーロッパ―揺れる同盟の80年』(中公新書)は、今から10 年以上前にイラク戦争をめぐる米欧対立に関して『ポスト帝国―二つの普遍主義の衝突』(駿河台出版社/2006年)、『米欧同盟の協調と対立―二十一世紀国際社会の構造』(有斐閣/2008年)を出版したとき、思いついた企画です。テーマは米欧関係の通史。NATO(北大西洋条約機構)史ではありませんので、和書では類書がないと思います。その意味では、本書が米欧関係史のスタンダードになればと思っています。

 わたしはもともとフランス外交史研究を出発点にヨーロッパ政治を長年見てきましたが、日本で議論される米欧関係が必ずしも客観的な理解に基づくものではないことも、日ごろ感じていました。遠い国なので、憧れや想像からフランスやヨーロッパをイメージしているだけならよいのですが、いざというときに都合のよいようにしか彼の国を見ようとしない。

 そうならないようにするには、アメリカにとってより重要な対大西洋側諸国外交=米欧関係の軸となるアメリカの外交政策を、冷静に定点観測する見方が必要だと思っていました。

きっかけとなったイラク戦争

 本書を執筆する直接的なきっかけとなったのは、イラク戦争が始まった2003年3月の前後1年、ジョージ・ワシントン大学シグール研究センターの客員研究員としてワシントンD.C.に滞在した経験です。国務省やホワイトハウスにも出入りし、ブルッキングス研究所をはじめとするシンクタンクで開催される会合に毎日のように出席していました。そうして集積した情報や見方は、メディアで伝え聞く日本国内の論争と発想の観点から、大きくずれているように思われました。

 1つ例を挙げてみましょう。イラク戦争の開始間際、アメリカの軍事行動にいち早く支持を表明したのが日本でした。その翌日、当時のコリン・パウエル米国務長官は国務省玄関前で行ったブリーフィングの冒頭、「日本に感謝する」と述べました。

 このことは日本において、早々に支持を出したことに対するアメリカの感謝という表面上の意味でしか捉えられていませんでした。しかし、このタイミングでの日本の支持表明は、アメリカにとって単なる感謝以上の意味を持っていました。

 当時、独仏を中心とする欧州諸国の多くはアメリカのイラク攻撃に反対で、イギリスとポーランドだけがアメリカを支持しているにすぎませんでした。他方、中国とロシアは国連常任理事国としてアメリカ不支持で、東アジアでも韓国、インドネシアなどほとんどの国が反対だった。つまり、アメリカは大西洋と太平洋諸国との間で孤立しかけていたのです。

 そうした中で日本がアメリカを支持したところ、韓国を筆頭に他の国々がアメリカ支持を打ち出し始めたのです。韓国は日本よりも早く派兵を決め、日本の自衛隊はその後塵を拝する形となりました。結果的に日本は、アジア諸国のアメリカ支持の口火を切り、まとめ役となったのです。ただ、そのことは今でもよく理解されていません。

 わが国では、米欧間の摩擦について、その歴史的文脈からきちんとした議論が為されていない。そう痛感したことが、本書執筆の大きな原動力となりました。

ズレていた日本の論点

 当時の日本国内の論点は、「湾岸トラウマ」といわれた湾岸戦争時の失態(アメリカ主導のイラク攻撃へ金銭的な援助しかせず、国際社会から批判された)をいかにしてカバーするのか、という日米同盟の中だけの消極的な議論に焦点が集まっていました。アメリカから再び批判されないためには、どのタイミンクでイラク攻撃を支持するのがよいか、ということばかり論じられていたのです。いかにイラクを救うのかということを議論していた国際社会に対し、日本国内の議論は焦点がずれていたように思います。

 米欧関係を見ていると、その時々のアメリカの相対的立場が分かります。いつもアメリカが強い立場にいるわけではない、ということです。だとすれば、彼らに頼るだけではなく、アメリカが苦しい立場に置かれているときには助けてあげる。そうした発想も、日本には必要なはずです。

 1985年のプラザ合意は、日本円が為替をめぐってアメリカをはじめとする他国に攻撃された事件でしたが、日本がその前にアメリカに対する援助の姿勢をもっと示してあげていたら、状況は違ったかもしれません。また、その後の日本が国内バブルに向かうのではなく、本当の意味で苦境にあった米欧諸国と協調し、国際協調的な内需拡大を実行していたら、日本経済の在り方も違っていたと思います。

 自国の利益だけを考える議論は、実は正しいリアリズムではありません。冷戦が終結し、グローバリゼーションが広がる今日、国際社会での日本の格付けは、1960年代当時のものではないからです。世界を見渡す見識による裏付けが必要です。

連動する大西洋関係と太平洋関係

 アメリカの大西洋と太平洋関係は連動していることも結構あります。

 朝鮮戦争の勃発がサンフランシスコ講和条約締結を促したことはよく指摘されますが、それは同時にヨーロッパでの東西対立へのアメリカの危機感を増幅させ、結果的に西ドイツの主権回復と再軍備も促しました。

 冷戦が終わった直後、東アジアの在留米軍を30万人編成から10万人編成に縮小するという議論が話題になりました。なぜ10万人なのだろう、ということが注目を集めたのです。当時の軍事評論家たちは、沖縄・韓国・台湾などの在留米軍の必要数を個別に積算して、こんなところだろうという米軍削減予想を立てました。

 妥当なものであったとは思いますが、冷戦終結直後、NATO在欧米軍も30万人編成から10万人編成へ速やかに削減されました。欧州研究者は事前にそのことを知っていたわけですから、アメリカには東アジアと欧州とのシンメトリカルな関係という発想がある、と思いついた人は多かったと思います。

 他方で、米欧間の親和力はわたしたちアジア諸国のアメリカとの関係とは比較になりません。実際に言葉や人の交流での歴史が違います。共有する文化や意識の問題もあります。

 イラク戦争のときの経験に戻りますと、独仏とアメリカは激しく対立し、国連安保理で激しくやり合っていた。その折、ワシントンD.C.で米独閣僚会談が行われているのを知り、わたしも出かけていきました。彼らは細菌・化学兵器の駆除に関する閣僚会談を数日にわたって行っているのです。安保理で激しくやり合っている最中、ドイツから関連3閣僚が渡米してです。しかもドイツの閣僚は英語が流暢で、テレビカメラに向かって一所懸命に両国の協力を説いていました。

 その背景にドイツの技術力があるのは確かですが、それよりも対等の関係で共同行動をとる姿勢が、当然のことと認識されているのです。そうした認識が日米の間にはかならずしも共有されてはいない。太平洋と大西洋の関係を別なものと見ているからです。

日米同盟との比較も

 こうして出版社とお話しする中でこの企画が決まったのですが、存外に時間がかかりました。この20年ほど、欧州で外交関係の一次資料を渉猟し、さらにわたしの後の世代の研究者によって詳細な研究がたくさん出ているので、当初はそうした研究をまとめる作業を通して全貌が見えてくると思っていました。

 それらの研究は緻密で新しい発見も多く、研究成果としては素晴らしいものが多いのですが、それぞれの国の資料では重点の置き方や事件の解釈などが違い、通史を作成する際になかなか統一的なイメージがつかみにくいことが分かりました。

 それで主要国の政権とその対米政策の変遷を大きく把握し、アメリカのそれぞれの政権における対欧政策を、国際社会の大きな動きやアメリカの対ソ中政策などとの綾の中で考えていくことにしました。また欧州にはたくさん国がありますので、全部の外交を書くわけにはいかない。それでは通史として統合的なイメージがつかめない。

 そこで、本書の執筆は再び止まってしまいました。しばらくあれこれと考えていましたが、その時代時代のアメリカの中心的カウンターパートとなった国をメインにそれぞれの時代の米欧関係を考えてみることにしました。イギリス、フランス、ドイツ、やがてEC(欧州共同体)、その中心の独仏両国が入れ替わり立ち替わり、アメリカとの関係の矢面に立ってきたという筋立てにすることにしました。

 しかし、これらの国は合意してそうしたわけではない。各国の錯綜する利害対立、それぞれ異なったアメリカとの関係や指導者の対米観が入り混じった結果である。そうした綾なす糸模様を描いていくことに腐心しました。しかも日本では、アメリカから見た評価しか伝わっていない事実や実は全く知られていない歴史的事実も多い。

 こんなことを考えながら書いては消し、消しては書き加えという行為を繰り返していたら、本格的に書き始めてから5年以上の月日が経ってしまい、最初に出版社とお話しした時からは10年の時間が経ってしまっていました。

 最後に、本書のテーマは米欧関係の歴史ですが、背景には日米同盟との比較という視点が含まれています。同時代に大西洋と太平洋の関係の中でシンメトリカルな、あるいはリンクした動きが結構あったこと、それを理解することは日本外交の視野を大きく広げることになるのではないかという筆者の思いを理解していただければと思います。米欧関係の1人でも多くの方に読んでいただきたいと思います。(渡邊 啓貴)

渡邊啓貴 東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。1954年生れ。パリ第一大学大学院博士課程修了、パリ高等研究大学院・リヨン高等師範大学校客員教授、シグール研究センター(ジョージ・ワシントン大学)客員研究員、在仏日本大使館広報文化担当公使(2008-10)を経て現在に至る。著書に『ミッテラン時代のフランス』(芦書房)、『フランス現代史』(中公新書)、『ポスト帝国』(駿河台出版社)、『米欧同盟の協調と対立』『ヨーロッパ国際関係史』(ともに有斐閣)『シャルル・ドゴ-ル』(慶應義塾大学出版会)『フランス文化外交戦略に学ぶ』(大修館書店)『現代フランス 「栄光の時代」の終焉 欧州への活路』(岩波書店)など。

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(2018年9月28日
より転載)

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