連載第4回 障害を持つ難民を置き去りにしないために
中東でパレスチナ難民が発生して今年で70年となります。彼らの多くは今も故郷に戻ることができず、ヨルダン、レバノン、シリア、ヨルダン川西岸地区、およびガザ地区で主にUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関、「ウンルワ」と呼ぶ)から最低限の支援を受けながら暮らしています。難民としてのこれほど長い歴史は、彼らの「人間としての尊厳」が脅かされてきた歴史でもあります。
イスラエルにとって今年は建国70周年。米国政府が聖都エルサレムをイスラエルの首都と認め、2018年5月14日、在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移しました。これが大きなきっかけとなり、パレスチナでの緊張が一挙に高まり、和平への道のりはさらに遠くなりつつあります。国連広報センターの妹尾靖子(せのお やすこ)広報官は、2018年4月16日からの約二週間、UNRWAの活動現場であるヨルダン、西岸地区およびガザ地区を訪問し、難民の暮らしと彼らを支えるUNRWAの活動をはじめ日本からの様々な支援を視察しました。
障害を越えて一歩を踏み出す子どもたち
難民というだけで、既に社会的に弱い立場に立たされる中、障害を持つ難民の子どもたちはどのような思いでいるのでしょうか。私は今回の視察の中で、障害を持つパレスチナ難民の子どもたちに直接会って話を聞く機会を得ました。
まず訪れたのは、ガザで唯一の視覚障害を持つ子どもたちの学校として1962年に設立された視覚障害者のためのリハビリセンター、RCVIです。ここには4歳から12歳までの全盲の子どもたちが通う学校と幼稚園があり、約130名が在籍しています。また、これらの全盲の子どもたちのための学校と幼稚園とは別にRCVIは視覚障害のレベルに合わせて様々な教育支援とリハビリテーション・プログラムを提供しており、受益者の数は360名に上ります。
先生が読み上げる文章を弾丸のごとく速くタイプしていたのは、全盲クラスの5年生のハーラさん(11歳)です。何事も諦めず、常に前向きな彼女はクラスでも人気者です。「帰宅後はまずは妹二人と遊びます。その後、点字で本を読んだり、点字タイプの練習をします。タイプはもっと上手くなりたいです」と、自宅でも熱心に勉強に取り組んでいる様子です。「私は人権に関心があるので、将来は弁護士になりたいです」と、ハーラさんは夢を語ってくれました。
「ハーラさんの目の病状はこのところ悪化して、医師からは義眼にするよう言われています」と、自らも弱視のファラハート校長が教えてくれました。この手術を受けるには、ガザ地区を出て設備の整った医療機関に行く必要があるそうです。少女は周囲の心配をよそに、近い将来に目の手術を受けることができると信じて、前を向いて生きています。
RCVIの幼稚園では視覚障害者の先生から点字タイピングの手ほどきを受ける女子児童がいました。残念ながらこの幼稚園は、昨今の UNRWA の財政の悪化により今年の8月で閉園してしまいます。幼稚園の運営は、そもそも初等教育を提供するというUNRWAに委任された権限に含まれていませんが、RCVIの幼稚園に関しては、これまでUNRWAの特別なプロジェクトとして特別予算で賄われてきました。幼稚園の閉園は、ガザのコミュニティー全体にショックを与えています。「ここで培った技能を生かしていかにスムーズに社会統合をしていくかが彼らの将来の鍵を握ります。視覚障害は早期介入が必要です。自分に自信を持つことは幼少期の教育で可能となることが多いので、その意味でも幼稚園の閉園はとても残念です」と、校長先生が教室を出る際にぽつりと呟きました。
障害を持つ難民が直面する厳しい現状
現在、世界人口の7人に1人にあたる約10億人が何らかの障害を持っていると言われています。UNRWAによると、パレスチナ難民の約15%が何かしらの障害を持っています。2006年に国連総会で障害者権利条約が採択されたことを受け、UNRWA においても2010年から障害者に関する政策を特別に設けることで、すべてのプログラムにおいて障害を持つ難民の尊厳と権利の保護・促進が強化されています。
しかし現状は厳しいものがあり、UNRWAによると占領地区(西岸地区とガザ地区)では、15歳以上の障害者の37.6%が学校に通った経験がなく、また全ての障害者の33.8%は学校を中退しており、53.1%は読み書きができません。特にガザ地区では、障害者が少なくとも1人いる家族は10%に上り、18歳以上の障害者で職に就いているのはわずか11%です。
社会の意識改革を通して、聴覚障害を持つ人々を支えるアトファルナ
ガザで「アトファルナ」のことを知らない人は珍しい、と聞くほど活動がコミュニティーに溶け込んでるアトファルナ(「 私たちの子どもたち」の意。ガザのNGO)という支援団体があります。「アトファルナは、ガザで聴覚障害者への支援を初めて手掛け、現在に至るまでこの分野でのリーダー的存在となっています。その資金は世界各地から集めています。1992年のアトファルナ創設以来、ずっと支援してくれている日本の市民団体があります」と、ナイーム・カバジャ所長はこの施設と特定非営利活動法人(認定NPO)パレスチナ子どものキャンペーン(CCP Japan)との長く密接な関係について語りました。
アトファルナでは、約300名の生徒が通うろう学校の運営の他に、聴力検査、補聴器の修理、言語療法、手話コース、職業訓練なども行われており、聴力障害を持つ子どもたちを支える包括的な社会づくりに貢献しています。「現在のような形で幼稚園から職業訓練まで、聴覚障害者に包括的な支援を提供するに至るまでには数々のハードルがあったんですよ」と、カバジャ所長は語りました。保守的な社会だと言われているガザにおいて、親が自分の子どもに視覚障害があると認めたがらない、子どもを学校に通わせず人にも会わせないという例も過去には多くあったそうです。当時は一般的に聴覚障害者に対する理解は少なく、差別やいじめも頻繁にあったそうです。アトファルナのスタッフは、聴力障害を持つ子どもたちのために家庭や社会全体の意識改革を地道に行ってきました。
私の訪問時にも、幼い子どもたちが家族に連れられて次々と面談や検査に来園し、アトファルナが家族に対してきめ細かな支援をしているのを実感しました。住民のほぼ7割が何かしらの支援を受けながら日々の生活を送っているというガザにおいて、もっとも弱い立場にある聴覚障害者たちにアトファルナは日本からの協力を得て明るい未来への一歩を提供しています。
社会的・経済的な自立を助ける職業訓練
聴覚障害を持つ人々に対して教育のみならず、幅広い職業訓練も行っているのがアトファルナの特徴です。ここで製作される作品は多様で、陶磁器、木工品、絨毯、木材塗装なども含まれます。その中でも印象的だったのは、パレスチナの伝統刺繍を行う女性たちの工房です。現代風に色やデザインがアレンジされて工夫が冴えます。高品質の作品を仕上げる女性たちには皆自信がみなぎっていました。「生まれつき聴覚に障害がある私に仕事があるなんて、とても幸運です。それも、パレスチナの伝統的な芸術に関わることができて、私は幸せよ」と刺繍の手を止めて初老の女性が手話で話しかけてくれました。
作品は、以下のサイトでご覧になれます↓
http://atfaluna.net/crafts/index.html (アトファルナ) または
http://ccp-ngo.jp/project/palestine-embroidery/ (CCP Japan)
SDGsのモットー「誰も置き去りにしない」― 期待される支援の輪の広がり
2015年に国連で採択された 持続可能な開発目標(SDGs)は、地球規模の課題を解決するための目標で、2030年を達成期限としています。あらゆる形態の貧困に終止符を打つ、不平等と闘う、気候変動に対処するなど17項目からなり、それぞれ具体的な行動目標や削減目標を設定しています。SDGsのめざす世界は「誰も置き去りにしない」世界であり、障害を持つ人々を含む包摂的な社会づくりなど障害分野における課題の解決は、SDGsの重要なテーマです。
多くのパレスチナ難民は深刻な貧困や政治的な障壁に向き合いながら暮らしており、皆、日々生きることで精一杯です。そのような状況にあって、「障害」と「難民」という二つの意味で取り残されがちな障害を持つ難民たちが自立し、社会に参加できるように支えるきめ細かいサポートが少なからず存在することに気づきました。より多くの障害を持つ難民たちが置き去りにされないようにするには、上述のUNRWAやアトファルナなどの地道な活動に対して、国際的な支援の輪がもっと広がることが求められていると痛感しました。
UNRWAはパレスチナ難民の尊厳と希望を守るため、皆さんの支援を求めています。
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