森林文化協会の発行する森と人の文化誌『グリーン・パワー』(月刊)は、森林を基軸としながら自然や環境、生活、文化などの話題を幅広く届け、まだ問題提起しています。都市公園は最近、関連する法改正もあって、その利用や管理についての関心が高まっています。日本を代表する上野公園で起こっている問題について、ジャーナリストの清水弟さんから報告を受けました。
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東京都が管理する上野公園の樹木が伐られている。JR上野駅公園口前の道路にロータリーを建設するための伐採は、住民の反対運動で止まったが、公園を見渡せば、あちこちでたくさんの木が伐られてしまい、上野の森はすっかり痩せてしまった。
上野公園再生整備工事で作られた「樹木整理平面図」には、撤去する木、剪定して残す木、現状維持の木が図示されている。伐採された木を色付けすると、その多さと広がりに驚いてしまう。台東区谷中に暮らす酒井美和子さんが語る。「幹回り90cm以上の高木だけで244本が伐られました」
公園の樹木は管理されており、時に伐採が必要なことは分かる。それにしても伐り過ぎでないのか。例えば、噴水広場に面した喫茶店建設のためにかなり伐採され、上野動物園の前で真夏に日陰を作っていた大木3本も消えた。少し前には、博物館の建物が広場から見えにくいという理由で伐られたケヤキもあった。
反対署名に2万7000人
酒井さんは昨年12月、上野駅公園口の前、東京文化会館の広場の大木に「伐採予定」のマークを見つけた。驚いて工事関係者をはじめ、東京都の東部公園緑地事務所や建設局公園緑地部、台東区、JR東日本などに事情を聞いた。
その結果、上野駅の公園口を北へ50mほど移設して公園への横断歩道をなくす計画と分かった。①車は南北2カ所に作るロータリーで折り返す②仮設道路や作業場所の「支障」になる木は伐採する③移設は2020年の東京オリンピック・パラリンピックに間に合わせる、とのことだった。伐採は「上野公園再生基本計画」(2009年9月)の一環であると説明されたが、納得できるものではなかった。
そこで酒井さんは伐採阻止へ動いた。作家の森まゆみさんらと「上野公園の樹を守る会」を立ち上げた。インターネットで「オリンピックのためにこれ以上上野公園の木を切らないでください」と訴えると、3日間で2000人近い署名が集まった。小池百合子都知事に要望書を出した後も署名は増え続け、2万7000人に達した。
声が届いたのか、工事は止まった。広場の樹木11本のうち、空洞化したスダジイ1本は伐採されたが、上野公園制定100年で記念植樹されたヤマモモ2本を移植し、伐採予定の4本も移植に変え、4本は残ることになった。仮設道路の場所も移された。しかし、東京文化会館横に移植されたヤマモモのうち1本は枯れた。ロータリーの位置など詳しい計画も明らかにされていない。
残っていた自然植生が喪失
公園緑地事務所によると、ロータリー本体工事は「2018年に始まるはず」で、残った4本のうちイチョウとケヤキの2本は移植することになる。上野駅公園口は混雑がひどく公園への安全な動線の確保が懸案だったという。ロータリー建設は上野動物園正門エリアと並んで、上野公園再生基本計画に残された最後の工事だ。
樹木の伐採について、公園緑地事務所は「噴水の周辺はうっそうとしていた。中・低木のネズミモチなどが多く、ホームレスの住みやすい環境でもあったのが、疎林にして明るくなり、安全安心になった」という。伐り過ぎとの批判には、事業推進課が反論する。「それぞれの樹勢や樹形などで判断している。伐採は2010年から7年で計570本、もちろん植樹も進めてきました」
150年ほど前、上野の山は戦場だった。1868(慶応4)年の5月15日(旧暦)、彰義隊と東征軍とが戦い、半日で決着した。死者260人あまり。彰義隊の子孫として、上野公園で生まれ育った小川潔・東京学芸大学名誉教授(生態学)は、「しのばず自然観察会」を主宰するなどして、70年近く上野を見守ってきた。
小川さんによると、上野公園にはタブの大木が18本あった。東京湾が近くまで迫っていた頃の沿海林の名残だという。それが次々と伐採されて今は6本だけ。「昔は歩道を作るにも樹木を迂回したり、伐採前に『伐らせてほしい』と相談があったりした。最近は樹木や住民への心遣いが感じられません」
旧寛永寺境内だった上野の山は、1873(明治6)年に上野公園となった。日本で最初の公園である。博物館や大学、美術館、動物園など文化施設がそろい、近代文化の発信地として整備されたが、江戸時代を伝える自然植生も残っていた。それが大きく失われたのは1995年、東京国立博物館の平成館の建設だった。「区部では絶滅が危惧されるアマナをはじめ、100種以上の身近な草本類が消えたり激減したりした」と小川さんは語る。
上野公園は国の鳥獣保護区(1986年指定)でもある。大都会のど真ん中に残る貴重な緑地は、動物たちの生息地を守るためにも、樹木伐採には細心の注意を払うべきだが、再生基本計画の基になったグランドデザイン検討会報告書(進士五十八委員長)も、鳥獣保護区には全く触れていない。
景観保全への配慮は?
さらに、上野公園には別の整備プロジェクトがある。文化庁の音頭で、2020年を目指してまとめられた「上野『文化の杜』新構想」(2015年7月)。博物館や動物園など上野を訪れる人を、現在の年間2000万人から3000万人に増やすのが目標だ。
「自然環境を守りつつ」「景観保全に配慮しつつ」としながら、JR上野駅周辺の整備、モノレールの延伸や園内外を結ぶ巡回バスの運行、大型バスの駐車場整備、カフェやレストランの入る地下モール建設まで書かれている。折しも、都市公園法の改正で建蔽率が緩和され、民間業者の出店やイベント開催に便宜を図るなど、都会の安らぎ空間だった公園が、経済活動の拠点にされつつある。
上野の森は2016年7月、一段と重視され出した。国立西洋美術館が世界文化遺産に登録され、そのバッファゾーン(緩衝地帯)となったからだ。国立西洋美術館を設計したル・コルビュジエは、既存の樹木をできる限り残しながら建物を配置し、「緑の壁に柔らかく包まれ、樹木によって見え隠れする景観の豊かさ」を実現させたという。その美術館のすぐ前で樹木が伐られたり移植されたりしている。
明治の初め、上野公園の設置を提言したオランダの軍医ボードウィンは「良好な自然景観を保存する」ことを求めた。園内にある銅像のボードウィンは、スカスカになった上野の森をどう見ているのだろうか。