■まちづくりの転換期、重要なタイミングと考え26歳で市議に
―政治に興味を持ったきっかけについて教えてください。
もともとは外交官になりたい、という思いがあって大学生のとき、イギリスのグラスゴーに留学し、安全保障などについて勉強していました。当時、グラスゴーは失業率が高く、貧困層も多かったのですが、そこで忘れられない出来事があって...。
体調を崩して病院に行ったときのこと。待合室には他に親子がいたんですが、母親は全く子どものことに構いもせず、挙句の果てにはびっくりする強さで子どもを突き飛ばしました。もう本当に唖然として。
親子の身なりは貧しく、苦労している様子でした。それを見て、目の前にいる人が、普通に、幸せに暮らせない世の中って何なんだろう。自分は国の安全保障について学んでいるけれど、いくら勉強しても市民一人一人を守るには程遠い。自分のやりたいことは、実は外交官になることではないのではないか、そのとき思ったのです。
それからは、市議会議員という形でまちづくりに関わる道を模索し始めました。実は母親も市議会議員だったので、子どもながらに議員は大変な仕事だ、政治は嫌な世界だ、という思いを持っていました。自宅に脅迫電話がかかってきたり、嫌がらせもありましたから、悪いイメージば先行していました。
でも、つくば市はつくばエクスプレスの開業を控え、まちづくりの転換期を迎えようとしていました。その2年後の2004年に市議会議員選挙が予定されていたので、このタイミングは重要だと考え、大学院の博士課程1年目だったときに出馬して当選しました。大学院では地方自治や公共政策について学んでいたので、昼間は市議をしながら夜に論文を書くような生活でした。
―つくば市議選は一期目、最年少でのトップ当選でした。市議会に飛び込んで、戸惑ったことはありませんでしたか。
多くの方が自分に投票してくれたのは大変ありがたいことでした。しかし、トップで当選したことは、議会に入ってしまえば何の関係もありません。私自身は「良いものは良い、悪いものは悪い」というスタンスを貫いていましたが、いくら声を上げても、当時の市議会でなかなか結果は変わらない。とにかく色々なことが、予定調和に進んでいくな、と思いました。最初から細かくシナリオが決まっていて、いくら一部の議員が市長に問題提起しても、変化を起こせなかったんです。発言内容を削除するよう求められ、懲罰動議を受けたこともありました。
―市議を二期務められたあと、市長選に挑戦されました。これはどうしてですか?
議員として相当多くの政策を提案してきました。どうしたらその提案が実現するか、さまざまな方法を駆使してやってきましたが、提案してから実現するまで3年も、5年も時間がかかりました。もし自分が市長であったら、もっと多くの政策をスピーディーに実現できたはず。街がどんどん住みにくい方向へ進んでいるのを見ていられなくて、もっと直接的に関与したいと思って市長選に立候補しました。
■じっくり街の課題を見つめた4年間
―残念ながら市長選は次点で落選となりましたが、その後の活動はどうでしたか?
市長選に負けてから今までは、とても意義のある時間でした。いま振り返ってみれば、若かった分、何でも臆せずにできたことはありましたが、周囲に反発を招くこともあったと思います。視野も狭くて、結局は市の一部分しか見ていなかったんですね。それまで選挙で負けたことはなかったので、調子に乗っていたところもあるでしょう。
前回の市長選からの4年間は、じっくりとつくば市について考え、取り組む時間を与えてもらったんだと思います。改めて市の全体を見てみると、街が疲弊している様子をより一層感じるようになりました。地域を歩き続け、困っている人たちからの声もたくさん聞く機会がありましたし、落選してもなお応援してくれる人がいるというありがたさが心にしみました。
今回、再度、市長選に挑戦します。出馬にあたって、4年前には顔も知らなかった人たちが後援会で力を貸してくれているなど、広がりが見えていることがうれしいですね。各地区の会合にも、たくさんお声掛けをいただけるようになりました。「一度会ってみたい」という方に少しでも顔を合わせて想いを伝え、お話を伺う時間を大事にしています。
―つくば市の抱えている課題はどのようなものでしょうか。
若い人が減っているのが一番大きいですね。特に農村部は深刻です。街の一部を見れば都会的なイメージを持たれる方もいるかもしれませんが、少し離れたところに行けば、極めてどこにでもある疲弊したシャッター商店街。仕事がないこと、子育てがしやすい環境にないことが若い人の流出に歯止めをかけられないでいます。
そのため私は政策に「子育てと教育インフラへの集中投資」を掲げ、教育や子育て環境の充実にあたっては、地元の業者さんへの発注を優先したいと考えています。そうやって仕事を生み出し、地域の中でお金が循環していくような仕組みを作って、地域の人が幸せになる流れを作っていきたいのです。
街の魅力というのは、色々な場所に、色々な活動があることだと思っています。目指しているのは"分厚い市民社会"。街のことは行政がやればいいとか、政治家に頼んでやってもらう、という時代ではないんです。むしろ政治ができる部分は限られていて、もっと普通に、色々な人が多様な活動をして、対話を積み重ねたり、試行錯誤をしたりすることを繰り返しながら、少しずつ社会が良くなっていくのが大事です。
身近なところでは、学校のPTAなども地域について知る機会としては良いですよね。私は障害のある方たちでもいきいきと働ける場所づくりと、農業の担い手不足を解消するため、NPO法人「つくばアグリチャレンジ」を立ち上げました。大げさではなく、お互いの関係性をちょっと変えるだけで問題が解決したり、良い方向に進んだりすることはたくさんあると思います。そのようなモデルを、これからもたくさん作っていくつもりです。
■一人一人の小さな意識変化が、街全体の大きな"気づき"に
―一市民でもできることはある、ということでしょうか?
社会や街について、何か問題に感じることがあるのなら、仲間に話してみることからでもいいんです。それで賛同者が多いようなら、署名を集めて行政に訴えかける、といったように、誰だって何かしら行動へ移していけると思います。
つくば市の総合運動公園計画の白紙撤回を求めた住民投票が実現したのは、今までならそのような活動に全く関心のなかった人たちが動いたからではないでしょうか。そうでなければ、1万を超える署名なんて集められなかったはずです。
例えば普通の母親たちが、「どうして保育園の建物が老朽化しているのに、総合運動公園に305億円も使っちゃうの?」と素朴な疑問を持ち、「そうか、私たちが黙っていたら、とんでもないことになってしまうんだ」と危機感を持ちました。そういう一人一人の小さな意識変化が、街全体の大きな"気づき"になっていったんだと思います。まさに、民主主義の大きな一歩を、つくばは踏み出せたと言えるでしょう。
―とはいっても、どう行動してよいか分からない方も多いと思います。
つくばの住民投票ほど大きな出来事でなくて、どの街にも、皆さんが普段思っている以上にまじめに取り組みを続けている議員はたくさんいます。そのような議員に相談したり、市役所に問い合わせたりして、形はいろいろあると思いますが、とにかくやってみることが大事です。それでやはり政治や行政が変わらない、と感じたら、自ら政治の世界に飛び込んで変えていく、という方向性になるかもしれませんし。
―五十嵐さんなら、どのようにそのような市民の方をサポートしますか?
何か想いを持っている人は、全力でサポートしたいと思っています。私が答えを持っているわけではなく、「一緒に考える」ことが基本的なスタンス。コーチングの考え方で言えば「問いの共有」です。
残念ながら、今の政治家の多くは問題が何かを見ないまま、解決策を示そうとしています。ちょっと視察しただけで、きちんと本質を見ないまま答えを出してしまう。だから市民は「そうじゃないんだよな...」という気持ちでいっぱいになってしまうんです。
僕はまず、できること、アプローチの方法を一緒に考えることから始め、なぜその問題が起きているのか、どうすれば解決できるのか、しっかり提案したいと思っています。
―最後にどのような人に政治の世界を目指してほしいか、お考えをお聞かせください。
社会の問題に気づいた人は、迷わず、どんどん政治家になってほしいですね。何か街や社会の問題を見たり、知ったりして、そのまま放置しておく、というのは悲しいし、もったいないことなので。できれば、自分の問題としてとらえて、実際に行動できるような人が一人でも多く、政治の世界に飛び込んでくれたら社会は確実に変わると思います。
著書『あなたのまちの政治は案外、あなたの力でも変えられる』でも書きましたが、行動して、仲間を増やしていった結果、いつか市議会議員に当選するようなことは誰にでもあるんです。「自分でやらなきゃ!」という志を持つ人が増えてくれたらうれしいですね。
■プロフィール
五十嵐 立青(いがらし・たつお)
1978年茨城県つくば市生まれ。筑波大学国際総合学類、ロンドン大学UCL公共政策研究所を経て筑波大学大学院人文社会科学研究科博士課程修了。2004年より2期続けてつくば市議会議員選挙にて最上位で当選。政策実現力が全国的に注目され、第一回マニフェスト大賞最優秀成果賞ノミネート、日米青年政治指導者交流プログラム訪米団や日独ヤングリーダーズフォーラム等に選出。2007年、いがらしコーチングオフィス設立、地域企業の黒字化やリーダー育成を推進。(株)コーチ・エィにおいても自治体・教育機関向けの新規プロジェクトを主導し、組織開発をサポート。2010年、障害者雇用と農業の問題を同時に解決するための農場「ごきげんファーム」を設立。博士(国際政治経済学)。4児の父。