帝京大学大学院公衆衛生学研究科の高橋謙造と申します。
米国に、ドナルド・トランプ大統領が誕生しました。
トランプ政権は、"America First(米国最優先)"、"Make great America again(米国を再び偉大に)"を強調しています。
トランプ大統領は、「偉大なる米国」を再生させるためには、国内経済の活性化が重要であるのに、国内の雇用は移民に奪われ、地球温暖化を予防するための世界的な規制枠組みに同調する事で国内産業の圧迫さえ生じているという認識のようです。
いわゆる、反グローバル化です。反グローバル化を米国が旗振りすることで、様々の分野に影響を及ぼす可能性が懸念されています。保健療分野においても、トランプ政権の政策が実行されていけば、特に、感染症分野において多くの問題が発生する事が予想されます[1]。
同様の懸念を有する仲間達と、Facebook上で連日議論して来ました。この議論の成果が、このMRIC誌への投稿です。
グローバル化という用語は現在の世界の状態を示す用語ですが、ヒト、モノ、カネの3つの観点から単純化して理解すると、入国審査の簡略化などでヒトの移動が活発になり、関税の引き下げなどによりモノの流通が活性化し、途上国への生産拠点移動や現地での安価な労働力確保や、途上国からの出稼ぎの受け入れ等を活用した、会社収益(カネ)の増加がポイントになるでしょう。
世界では、グローバル化によって国際人流(短期、長期に海外へと移動する人の流れのこと)が増加し、国際人流の増加によってグローバル化がますます進むといったスパイラル構造が生じています[2]。
途上国に人件費が移動してしまうため、国内の雇用は減少し、税収も下がります。トランプ政権は、米国も、このグローバル化から不利益を被っているという認識のようです。
この状況を改善するという公約で大統領に勝ち上がり、「米国民の雇用を奪っている」として安い給与でも働く移民の受け入れを厳格に制限したり、産業の生産拠点と雇用を米国内に限定させようとしたりしています。
ここで忘れてはいけないのは、現在の世界において、一国の経済構造は、すでにグローバル化という歯車の中に組み込まれてしまっているということです。米国の現政権のもと米国がグローバル化の歯車から抜けるとすれば、様々の分野に影響を及ぼす可能性があり、保健療分野も例外ではありません。
我々の論点は、トランプ大統領が発信し続けている「移民排斥主義」、「反ワクチン主義」、「反気候変動主義」の3点が、グローバル化している現在の世界の状況にそぐわず、結果として感染症流行のきっかけをつくるのではないか、という懸念にあります。
以下、大きく3つの論点から見てみましょう。
1. 移民排斥主義:トランプ氏は、大統領となる以前から、移民の入国制限を声高に主張し、不法入国(広義での移民です)を阻止するため、メキシコ国境に壁を築くなどと公言していました。もしこれが実際に機能してしまい、移民の排斥が生じたらどうなるでしょうか?
排斥された人々は、米国外に仕事先を求め、居住コミュニティをつくるでしょう。例えば、それまで米国に働きに出ていたフィリピンの人々が受け入れを拒否されたら、中国に仕事先を求め、中国の移民コミュニティの人口が膨れ上がるかもしれません。
これまでの調査研究から、移民の集団においては、一般的にワクチン接種率が低く、ワクチン予防可能感染症(VPD: Vaccine Preventable Diseases; 麻疹、風疹、百日咳など)に対する免疫が弱いことが明らかになっています。
もし、移民の入国制限が厳しく履行された場合には、その居住コミュニティがVPDの集積点になってしまう可能性を懸念しています。また、移民を受け入れ続けたとしても、移民人口へのワクチンサービスを停止してしまえば、VPDのリスクはより高まる可能性があります。グローバル化の現状からみると、移民排斥には負の要素が大きいのです。
2. 反ワクチン主義:2つ目は、一見グローバル化とは関係がないように思える、トランプ氏が主張し続けてきた反ワクチン主義です。
1998年に、MMR(麻疹-おたふくかぜ-風疹)ワクチンの接種が自閉症と関連するという研究論文が英国の権威ある医学雑誌Lancet誌に掲載され、この論文を信じた英国、カナダ、米国等の親たちなどが接種控えをしてしまうという事例がありました。
英国の医事委員会(General Medical Council)が論文を不正と認定し、論文は撤回されただけでなく、この論文の著者は医師免許もはく奪されました[3]。その後、さまざまの研究調査により自閉症とMMRワクチンの関連は否定されているにも関わらず[4]、トランプ氏はこの論文内容を信じ、反ワクチンを主張しているのです。
もし、トランプ政権が、ワクチンは危険という科学的に否定された知見を信じワクチン接種サービスを中止するような事になれば、米国内にVPDに対して脆弱な世代、VPD感染を拡げる世代を創ることになってしまうでしょう。つまり、ある世代から以降にワクチンが接種されなくなり、その世代の子どもはVPDへの免疫が低くなりVPDに感染しやすくなります。
そこに海外からのVPD持ち込み事例などが生ずれば、免疫を持たない世代の子どもたちは感染・発病し、周囲に感染を広げてしまう可能性がある訳です。こういった免疫の低い世代が一旦完成してしまえば、この世代に免疫を持たせることは容易ではありません。
この実例としては、日本の麻疹流行の事例が参考になります。麻疹は、VPDの代表的なもので、ヒト-ヒト感染によって感染が拡大します。麻疹感者では約3割に何らかの合併症が生じます。肺炎合併は15%程度、脳炎合併は0.1-0.2%(1,000人に1-2人)と報告されています。もし脳炎になってしまった場合、後遺症を残す確率は、20−40%あります。また、1万人に1人程度が致死的な転帰になると言われています[5]。麻疹ワクチンを接種していればほぼ感染は防げますが、ワクチン未接種の状態で感染者に接触すれば、ほぼ確実に感染・発病してしまいます。
日本は、つい近年まで麻疹ワクチンサービスが不十分で、接種率も低い状態が続いていました。2000年前後には、麻疹の感染者数が20万人とも推計されていましたが、1)ワクチン二回接種の導入(2006年4月以降)、2)2008年からの高校生以下の世代へのワクチン追加接種戦略による集団免疫の強化(2008年4月以降:現在26歳以下の年齢の方々が該当します)、3)麻疹感染者の報告制度強化(2008年4月以降)などにより、2015年には麻疹排除(麻疹の持続的感染拡大が12カ月以上存在しない状態)の認定を受けました。
それにも関わらず、2016年には関西空港を介しての感染拡大が生じてしまいました。この際に感染拡大に関わってしまったのは、追加接種戦略の恩恵を受けておらず、麻疹への十分な免疫を持っていなかった20-30代の世代でした。麻疹免疫を持たない方々が、感染者と接触する事により、次々と感染・発症し、新たな感染源となってしまったのです。
これだけではなく、もう一つの重要なポイントとして、感染症は簡単に国境を越えてしまうという事実があります。感染者が飛行機移動する事で、ウイルスなどを他の土地に運んでしまう可能性は、航空網の発達により以前より高まっています。
実例として、日本からの麻疹感染者が米国、カナダ等に麻疹を輸出してしまった事例や、2002年に問題となったSARS(Severe Acute Respiratory Syndrome)において飛行機を通じての感染拡大が生じた事例があります。
今回の反ワクチンの動きが、具体的な政策として効力を持ってしまった場合には、この逆の現象、つまり米国にVPDへの免疫が弱い集団が発生し、この集団から海外へ麻疹等の感染症が輸出されてしまうことが懸念されます。グローバル化している現代世界では、この感染症輸出の懸念は常についてまわるのです。
3. 反気候変動主義:世界では、地球温暖化や大気汚染などを含めたいわゆる気候変動の対策に関心が集まっています。地球温暖化は、水資源不足や農業生産の低下をもたらしたり、洪水の危険性を高めたりして直接我々の生活に悪影響を及ぼします。また、大気汚染は、地球温暖化の原因の一つとしての関心が高まっていますが、肺・気管支を始めとした臓器に悪影響を及ぼすことも考えられます。気候変動対策は世界的急務とも言われています。
ところが、トランプ政権は、米国の産業界、重工業保護を目的として、この気候変動という現象自体を否定し、学術界、産業界などに圧力をかけています。もし、気候変動対策が取られなければ、地球温暖化が進行してしまいます。地球温暖化の進行をそのままにすれば、デング熱、Zika熱、黄熱等の感染症を媒介する蚊の生息域が拡大してしまう可能性があります。
実例として、フロリダ州、テキサス州等では、旅行による輸入感染症ではなく、現地に生息する蚊からの感染と考えられるZika熱症例が222例(2017/3/22時点)報告されています[6]。この温暖化の影響は、米国内だけにとどまらず他国にも影響を及ぼし得る可能性があります。
アジアでは、デング熱ウイルスを媒介する蚊の生息域拡大と感染機会の増加が懸念されています。デング熱ウイルスに感染すると、最悪の場合には、出血が止まらなくなったり、ショック状態に陥ったりして、致命的な事態になりえます。気候変動対策は、米国にとっても急務なのです。
このように、トランプ政権が推進しようとしている「移民排斥主義」、「反ワクチン主義」、「反気候変動主義」は、グローバル化した現在の世界では、他国に負の影響を及ぼす可能性が否定出来ません。
冷静かつ科学的な思考に立ち返り、国籍、民族性、人種によらず予防接種サービスをすべての子どもたちに提供すること、そして気候変動に真摯に取り組むことが、(メキシコ)国境に壁を築くよりも、より強力な(感染症への)壁を築くことになるでしょう。
トランプ政権の動きを、遠い国で起きていることと傍観せず、我々日本国民もPreparedness(万が一のための心構えと行動)を進めて行くべきでしょう。
引用文献
[1]Takahashi K, Motoki Y, Tanimoto T, Kusumi E, Kami M. Concerns About the Attitudes of President Trump Toward Isolationism, Vaccination and Climate Change. Clin Infect Dis 2016. [Epub ahead of print]
[2]岸本周平. グローバリズムは終わるのか?. BLOGOS (2017.4.1) http://blogos.com/article/216487/ (accessed 2017.4.4)
[3]"英医学誌、自閉症と新三種混合ワクチンの関係示した論文を撤回". AFPBB News. (2010.2.3) Available at: http://www.afpbb.com/articles/-/2690341?pid=5270873 (accessed 2017.4.4)
[4]本田秀雄、清水康夫、マイケルラター.MMRワクチンの中止は自閉症の発生率に影響を及ぼさず-横浜市港北区の全人口調査による-. Available at: http://www5d.biglobe.ne.jp/~yamabiko/dr_toukou1.htm (accessed 2017.4.4)
[5]高橋謙造. 麻疹(はしか)感染に注意!疑わしくても慌てないで、周囲に広げないで. MRIC 2016.9.5配信 http://medg.jp/mt/?p=6985 (accessed 2017.4.4)
[6] Center for Disease Control and Prevention (CDC). Zika Virus; Case Counts in the US. 2017. Available at: https://www.cdc.gov/zika/geo/united-states.html (accessed 2017.4.4)
(2017年4月14日「MRIC by 医療ガバナンス学会」より転載)