政治状況を反映する路上の人々を写し撮る

フットワークの確かさは、1944年にノルマンディー上陸作戦からパリ解放に至る写真を撮影したときのロバート・キャパに匹敵すると思う。
Rody Shimazaki

島崎ろでぃーという写真家が、「Rody's Bullets」というウェブサイトに、同時代の蠢きを捕らえた素晴らしく臨場感のある写真を大量にアップしている。そのことに気がついたとき衝撃を受けた。

写真集『ひきがね』は、「Rody's Bullets」("Bullets"とは"銃弾"という意味だ)を再構成して作った写真集なので、見る前から傑作であろうと確信していたが、A5版144ページに凝縮された印刷物は想像以上のものだった。

ここに写っているのは、3.11以後の被災地、反原発デモ、ヘイトスピーチをまき散らすグループに対するカウンター、差別に反対する「東京大行進」、LGBTが前向きに生きていくことができる社会の実現を目指す「東京レインボープライド」、安保関連法に反対するデモ、辺野古のキャンプ・シュワブ前で闘っている人々などの写真である。

それは客観性を担保することが足かせになっている新聞社のカメラマンとは違い、自由な立場からぐんぐん踏み込んでいき、その場にいた人の想いがあふれ出した瞬間を捕らえた写真の数々だった。それでいて旧来のフリーランスの報道カメラマンにありがちな主張の先走りはなく、抵抗している人々の美しさをクールに表現していた。

表紙の写真は、2015年9月14日に国会正門前の道をお堀の方に少し降りたところで撮影したものだ。この日も安保関連法案に反対する人々が大勢来ていて、カメラマンの多くは国会正門前でスピーチしている政治家や文化人などを撮影していた。その頃、地下鉄桜田門駅と霞ヶ関駅のほうから続々と参加者がやって来て、警察は歩道に押しとどめようとしたが、規制の柵が押されて人々は雪崩を打つように車道を埋め尽くしていった。著名人のスピーチなどより、人の膨れあがりこそ民意が反映された光景であり、島崎ろでぃーは、まさにその瞬間を撮影していたのだ。現場を見る目、どのポイントに立つかという判断力、実際にシャッターを切るまでの反射神経と瞬発力が抜群である。

フットワークの確かさは、1944年にノルマンディー上陸作戦からパリ解放に至る写真を撮影したときのロバート・キャパに匹敵すると思う。

デモやカウンター・アクションの現場に実際に来ている人の間では、島崎ろでぃーはすでに有名だ。帯の裏側に〈アラブの春、クィアパレード、雨傘革命、そしてワシントン大行進と呼応しながら、日本中に「言うこと聞かせる番だ、俺たちが!」の声が響き渡った〉と書いてあるが、そういう現場を記録し続けてきたことを知られているからだ。しかし島崎ろでぃーを報道カメラマンとカテゴライズしては、写真の意味を矮小化してしまう。

島崎ろでぃーが好んで撮影するのは路上の人々だ。その点で、1950年代前半にパリのサンジェルマン・デ・プレのカフェにたむろしていた若者たちを撮影したエド・ヴァン・デル・エルスケンにも通じる。

キャパとかエルスケンを持ち出すのは決して大げさではない。キャパの写真に写っていたのは、ドイツ占領下にあったパリが連合軍によって解放されたときの人々の歓喜の表情であり、エルスケンが写していたのは、昨日まで共にナチスと戦っていた西側世界と共産圏の国々が互いに敵となって核兵器の開発を急ぐようになり、その狂気を意識してペシミズムに浸っていたちょっとアウトローな若者たちだった。

路上の人々は、常に政治的状況に翻弄されてきたのである。キャパやエルスケンの写真が優れているのは、当時の政治状況が色濃く反映されている路上の人々の素顔を正確に写し撮ったからであり、レイシストに立ち向かう人々を撮っている島崎ろでぃーの写真もまた、時空を越えてそのやり口を引き継いでいる。今の日本の政治状況を鑑みれば、アートと称する凡百の表現などより、路上の人々を撮り続けている島崎ろでぃーのドキュメンタリー写真に注目しないわけにいかない。

文章を担当したECDは、個人的には89年からずっと注目してきたラッパーで、03年のイラク反戦デモのときから路上での運動にも係わるようになった人だ。その経験を振り返りつつ、3.11以後の日本の状況を踏まえて、デモの現場で実践してきたことによって発見したことが語られている。そういうことだったのかと膝を打つくだりが何カ所もあった。

巻末に添えられたクロニクルと相対させたコンテンツのリストを見たとき、この写真集は時代の記録であり、歴史の評価に耐えて語り継がれるだろうと思った。

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