日本の最南端にある離島や異国のコワーキングスペース... なまけりーさんは世界各地を仕事場とし、情報発信をしているトラベルライターです。もともと外資系の銀行で正社員として働いていましたが、現在はワークスタイルを180度変えて、場所にも人にも縛られない働き方を選んでいます。
波照間島から福岡のご自宅に帰ってきたばかりだと言うなまけりーさんに、スカイプでお仕事の話を伺うことができました。
なまけりー(namakerie)
1990年生まれ。福岡県在住。大学卒業後、東京の外資系銀行に約3年間勤務した後、激務によるうつ病を発症して退職。現在は海外・国内問わず旅をしながら情報発信をするトラベルライターとして活躍中。名前の由来は、大昔から変わらず、ありのままの姿で他の生物と共存している動物「なまけもの」と本名の「えり」との掛け合わせ。
Twitter:https://twitter.com/nashiko55555
保守的な銀行での激務。うつ病になって見えた"自分らしい新たな働き方"
ー日本の最南端・波照間島の様子について、つい先日のブログに書かれていましたが、なまけりーさんは現在どのようなお仕事をされているのですか?
なまけりーさん(以下敬称略):旅行関係のキュレーションメディアを運営する複数の会社と契約して寄稿しています。現地のローカルな情報、例えば地元民おすすめのお店や製品、イベントなど、現地を訪れる人々にとって役立つ情報を記事にしています。好きな場所へ旅行に行き、自分が魅力的だと感じた場所や人を中心に紹介しています。直近では波照間島、それから2カ月ほど前にはタイのチェンマイへ行って仕事をしてきました。
―以前は外資系の銀行に勤務していたそうですが、トラベルライターとはかなり違った職種ですね。
なまけりー:銀行に勤めていた時は、法人営業と経営企画の2部署で勤務しました。法人営業は、顧客から案件の依頼を受け、社内外の調整役として駆け回る仕事でした。経営企画は、行内のコンプライアンスを保守するために随時社内規定を変更したり... 社内向けの仕事でしたね。
もともとは、ベンチャー企業への積極的な融資などチャレンジングなことをしたくて外資系の銀行を志望したのですが、実際に入ってみると銀行は想像以上に保守的な組織でした。特に銀行の規模が大きくなるほど、上層部に自分の声は届きませんし、スピード感もなくなります。「若手の未熟なアイデアや行動では、成熟した組織を変えられないのは当然だ」と思いながらも、自分が銀行に就職した意味を見失っていました。
時代はどんどん変わっていくのに、組織は全然変わりません。「私は何のために働いているんだろう」と悩みながら仕事をしているうちに、心労が溜まっていきました。
―なるほど。それが銀行を辞めるきっかけになったのでしょうか。
なまけりー:ある日突然、玄関から外に出られなくなってしまったんです。わーっと涙が溢れてきて、その日は仕事を休んで病院に行きました。そこで、重度の抑うつ状態と診断されたんです。受診した日からすぐに1カ月間ほど休職したのですが、「職場の人たちはみんな仕事をしているのに、私だけ休んでいるのは申し訳ない」とか「早く復職しなければ、同期に置いていかれる」という思いが強く、症状はどんどん悪化していきました。
主治医には「もっと自由に生きていいんじゃないの?」と言われましたね。「将来、楽しく働いている自分の姿が想像できない」という不安が自分を追い込んだのだと思います。忙しそうな職場の先輩方に遠慮して、悩みを相談できなかったことも抑うつ状態になった一因です。1年半ほど休職した後、退職を決意しました。
―休職している期間、新たなワークスタイルに転向することを考えていましたか?
なまけりー:休職期間中、陶芸を始めたんです。そして、北海道から沖縄まで全国の窯元巡りをしました。岐阜や石川には有名な窯元が多いので、2週間くらい滞在しましたね。まだ今の仕事を始める前でしたが、各地に足を運ぶ中で、現地の人たちとの出会いが刺激になりました。
その時、このまま陶芸家を目指そうかな、とも思いましたが、私は陶芸家や現地の人びとから教えてもらったことを、自分の言葉に直して誰かに伝えることの方が好きだなと感じたのです。旅を仕事にしたいと思ったのは、この時ですね。
トラベルライターになって得たものは、お金に変えられない自由
―いざトラベルライターになって旅をしながら仕事をしようと決めた時、身近なところにモデルとなるワーカーの方がいたのですか?
なまけりー:うつ病で悩んでいた時に、パソコン1台だけ持って世界中を旅しながら働いている阪口祐樹さんの著書『うつ病で半年間寝たきりだった僕が、PC一台で世界を自由に飛び回るようになった話』に出会ったんです。旅をしながら仕事をする"パワートラベラー"という生き方が存在することを知り、驚きました。
トラベルライターを仕事にしようと決意するきっかけをくれたのは、Twitterで知り合ったkumiさんというフリーランスでお仕事をされている方でした。東南アジアを中心に月5万円以下で生活されていると聞き、勇気が出ました。
―外資系銀行勤務から、大きな方向転換でしたね。葛藤することはありませんでしたか?
なまけりー:銀行を退職する時は「貯金もないのに、基本給も0円になって生きていけるの?」と両親や同期から心配されました。でも、自分の中では、「どんな働き方が一番生きやすいのか」が分かり始めていたんです。組織の中で自分のやりたいことができずに苦しむよりも、責任は全部自分に掛かっても、やりたいことを思う存分やれる自由な人生を選ぼうと思いました。
それに、海外にも視野を広げてみたら生活費が安い国ってたくさんあるんです。そういう場所で暮らしている日本のノマドワーカーやリモートワーカーはたくさんいます。
―現在のワークスタイルになって、変わったと思うことは何ですか?
なまけりー:価値観が広がったことです。各地で人々と出会い、自分が知らなかった価値観や働き方が存在することを知りました。銀行で働いていた頃は、年収や身なり、こなした案件の規模で人間性を評価されることが当たり前だったのです。でも、自分がトラベルライターとして生きるようになってからは、そういった偏見なしに人と向き合えるようになりました。
収入は前職の3分の1ほどに減りました。でも、自分のお金の使い方を見直すきっかけにもなりました。今までは、いい服を着て、いい食べ物を食べて、たくさんお金を使っていたけれど、いつも心のどこかが寂しくて空っぽでした。「私はこんなにお金を使えるくらい、社会的地位が高いんだ」と、周りの人に見栄を張るために仕事をしていました。現在は、見栄を張る生活から解放され、ありのままでいられることに満足しています。
海外への持ち物は、パソコン、SIMフリーの携帯... そして虫対策グッズ!
―旅先で仕事をするためには、仕事道具も持っていく必要がありますよね。どんなものを持っていくんですか?
なまけりー:仕事道具はパソコンと携帯、国内ならモバイルWi-Fiを持っていきます。海外に行く時は、SIMフリーの携帯を持参し、現地で格安のSIMカードを購入して使っています。
あとは南京虫対策グッズ! 南国に多い手強い虫です。100円ショップで売っているピクニックシートと蚊帳は、東南アジアへの旅行では必ず持参しますね。それ以外の持ち物は、普通の旅行者と同じです。
―日本にいればモバイルWi-Fiは使えますか? 最南端の波照間島はどうでしたか?
なまけりー:波照間島は使えませんでした... 沖縄本島から遠ざかっていくにつれて、電波が弱くなって「あ、切れた」って。小さな離島なのでフリーWi-Fiが飛んでいる場所もありません。まさにデジタル・デトックス状態でした(笑)。
携帯のテザリングを使い何とかパソコンをネットに繋ぎましたが、「不便な環境で仕事をしても非効率だ。思いきり島時間を楽しまないと損!」と考え、波照間島をめいっぱい満喫しました。滞在中には南十字星を見ることができて、最高でしたよ!
―その他、なまけりーさんが使っている便利なツールなどありましたら教えてください。
なまけりー:フリーランスとして一人で仕事をするなら、「自己管理できるか」が最も重要なポイントです。会社だと上司や先輩が注意してくれますが、フリーランスは一人で仕事をするので、自分で自分を律して仕事をする必要があります。
最近は、短期的な目標設定には、大学生向けのアプリ「きせかえ時間割」を使い、毎日90分単位でスケジュールを組んでいます。長期的な目標設定には「simplemind+」というマインドマップアプリを使っています。こちらは長いスパンでの自分の目標を画面中央に記入し、そこから派生する「やるべきこと」を中央の目標から枝を伸ばすように記入していくスタイルの計画表です。
―目に見える形で計画を管理すると、意識も変わりますね。海外にも一人で行くとのことですが、不安はありませんか?
なまけりー:どんな国でも、大抵すでに日本人の先駆者がいます。ネットで検索すれば、事前に日本語の現地情報を集めることができます。先日訪れたタイのチェンマイは、リモートワークがしやすい環境が整えられていてので、仕事が捗りました。どんなに小さなカフェでも、店内は清潔で、無料のWi-Fiが飛んでいますし、コワーキングスペースもたくさんあります。
チェンマイでは2~3年前からリモートワーカー向けに町おこしを行っていて、インターネット環境が急速に整備されています。パソコン1台でどこでも仕事をしたい人には、おすすめの街です。
また、言語面は大学時代に2カ月間の留学経験があり、そこで「海外で暮らすとはどういうことなのか」を学びました。最初は単語しか話せず、「自分の英語が通じないかもしれない」と話すのが怖かったのですが、1カ月も経つと滑らかに話せるようになりました。
英語を話さないと生きていけないので、いやでも環境に慣れます。だから、どんな人でも言語の壁で悩む必要はないと思います。
この働き方は親不孝? 多様なワークスタイルが認められていない日本
―これまでトラベルライターのお仕事をされていて、印象に残っているエピソードがあれば教えてください。
なまけりー:福岡でラーメン屋さんを取材していた時のエピソードです。店主さんは80歳くらいのおばあちゃんだったのですが、「どんな仕事をしているの?」と聞かれ、自分の経歴や今の仕事についてお話ししました。すると店主さんに「親不孝だね」と言われてしまって... 寂しかったですね。
実は取材先で、こういうことはよく言われるんです。「なんで銀行を辞めてしまったの? もっと頑張りなさい」とか、「最近の若い人は我慢が足りない」とか。「トラベルライターなんて結婚までのお遊びでしょう?」と言われることもあります。
タイのチェンマイで仕事をしていた時は、こういった偏見に晒されることはありませんでした。コワーキングスペースで隣に座っていた方が「僕もデジタルノマドなんだ」と親しげに声を掛けてくれたこともあります。
働き方に関して、日本ではまだ、働き方の多様性が認められていません。窯元巡りをしていたときは気付かなかったけれど、日本を離れて気づくことは、たくさんありますね。
―リモートワークやフリーランスといったスタイルが、普通の働き方のひとつとして今よりも認められるようになると良いですね。今後の目標や、挑戦してみたいことはありますか?
なまけりー:銀行で働いていた時、出勤前に寄り道をするのが好きでした。行ったことがない公園やカフェを探検してから、いつもどおり通勤するんです。どんなに寒い冬の朝も「今日はここへ行こう」と、起きるのが楽しくなるんですね。そういった過去の経験を活かして、「朝旅」を提案するウェブメディアを作りたいなと思っています。
日常の中のちょっとした時間でも旅ができるよ、自分と向き合う機会を作ろう、と伝えていきたいです。
また、今年の12月から1年間ほどポーランドへワーキングホリデーに行く予定なのですが、現時点で参加者がとても少ないんです。さらに、日本語でポーランドのことを調べてもあまりヒットしないのが現状です。日本人開拓者の少ないポーランドで、どうやって仕事をしながら生きていくか、自分が率先して情報を発信していきたいです。
―なまけりーさんが先駆者となるのですね。働き方に悩んでいる人にとっても、なまけりーさんの発信する情報はヒントになりそうですね。
なまけりー:自分自身がうつ病で苦しんでいた時に、本を読んだり、他の人の生き方を見て「こういう生き方があるのか」と勇気をもらいました。自分も同じように悩んでいる人に対してきっかけを与える存在になりたいです。そのためにも、仕事の質と量を磨いて、文章力、発信力を高めていきます。
もしも、過去の私のように企業に勤めながら生きづらさを感じている方がいたら、目の前の世界や価値観だけが全てじゃない、と伝えたいです。私はありのままで生きている、幸せだ、と思えるような働き方や生き方が、必ずあります。
―貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。場所やお金、保守的な制約に囚われず「生きやすさ」を大切にしているなまけりーさんの働き方は、今後の働き方に悩むリモートワーカーたちに勇気を与えてくれますね。ポーランドのレポートも、今から楽しみにしています。
この記事の著者:佐藤愛美(Megumi Satou)
保育士とライターのダブルワークを5年間続けた後、フリーライターとしてワークスタイルを確立。女性の生き方、子育て、社会問題等のテーマを中心に執筆している。保育園で連絡帳を書くことも、ライターとして記事を書くことも根本は同じ。「人と向き合い、心に触れる文章」をモットーに事業を展開中。
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