「日本で居場所が見つかった」。外国籍トランスジェンダー女性に在留特別許可が付与される

「(故郷では)LGBTであることを受け入れてもらえず、言葉の暴力などを受けていました。でも日本は扱われ方が全然違いました」

東南アジア出身でトランスジェンダー女性のAさん(58歳)に、国が在留特別許可を付与した。 

Aさんは性自認は女性だが、法律上は男性。2001年に知り合ったパートナーのBさん(日本人男性)と、17年間婚姻同然の生活をしてきた。

法律上は同性同士のAさんとBさん。Aさんの弁護士は、国は許可の理由を明らかにしていないとしつつ「二人が婚姻同然の生活を送って来たことを強く訴えてきた」「二人の生活実態や交際の経緯、そして現在置かれている状況などを個別具体的に評価をして、在留特別許可を出したのではないか」と話す。

AさんとBさん(左から)
AさんとBさん(左から)
JUN TSUBOIKE/HUFFPOST JAPAN

■自分の居場所が見つかった

9月2日に開かれた記者会見で、Aさんは喜びと感謝の言葉を並べた。

「『ありがとう』と言う言葉だけでは足りないくらい、日本に本当に感謝しています」

在留特別許可」とは,不法滞在やオーバーステイなど、本来であれば退去強制される立場の外国人に,様々な要素を考慮した上で在留を許可するものだ。

Aさんは1961年に東南アジアの国で生まれた。友人の誘いで1981年に初来日し、エンターテイナーとしてオーディションを受けたところ合格。興行ビザで日本で働いた。

Aさんの生まれた国では、LGBTQの人たちに対する偏見や差別が残っており、トランスジェンダー女性であるAさんは幼い頃から、親戚や家族から精神的・肉体的な暴力を受けてきた。

「男らしく鍛える」と言って山の中に置き去りにされたこともあるという。

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しかし1981年にやって来た日本は、ちょうどゲイボーイのブームだったこともあり「受け入れてもらえた」とAさんは話す。日本に来て半年で「自分の居場所が見つかった」と思ったという。

「(故郷では)LGBTであることを受け入れてもらえず、言葉の暴力などを受けていました。でも日本は扱われ方が全然違いました」

1993年に日本に残ることを決意。ビザが切れてオーバーステイの状態になった。

2001年、Aさんは9歳年上のBさんと出会う。翌年には同居を開始し、2012年には二人で住むための家を購入。お互い助け合いながら家族として生活してきたと語る。

2013年にAさんに肺がんがみつかって入院・手術をした時には、保険に入っていないAさんの医療費をBさんが全額自費で払った。

一方、2015年にBさんがくも膜下出血で自宅で倒れた時には、Aさんが救急車を呼んで病院に運んだ。Aさんと一緒にいなければ、命はなかったかもしれないとBさんは振り返る。

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■Bさんと一緒にいたい。入管に出頭を決意

2015年、Bさんが入院している時に、Aさんは日本で始めて東京渋谷区と世田谷区で同性パートナーシップ制度がスタートしたというニュースを目にする。

お互いに大きな病気にかかったこともあり、Aさんは自分たちもパートナーシップ制度を結べないかと思った。万が一のことがあった場合のためにも、ふたりの関係を証明できるものが欲しかった。

ふたりが住む自治体にはパートナーシップ制度はなかったが、弁護士に相談して、自分たちで「パートナーシップ合意契約公正証書」を作成。Bさんの財産をAさんが相続できるよう、遺言も作った。

2017年3月、不法滞在を続けてはいけないという気持ち、そして何よりきちんとした形でBさんと一緒にいたいという気持ちから、Aさんは弁護士に相談して入国管理局に出頭、オーバーステイであることを告げた後、手続きを経て在留特別許可を申請した。

手続きの間も、強制退去させられるかもしれないという恐怖を持ち続けたAさん。2019年8月14日に、在留特別許可が付与されたとわかった瞬間は泣き崩れたという。

「部屋に入って許可が降りましたと言われて、フォルダーからカード(在留カード)を出された瞬間から、私は崩れました。泣いて何をいっているのかもう聞こえなかった。本当に嬉しいです」

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 ■在留特別許可の意義

中川重徳弁護士は「家族として日本で生活することを求めた法律上同性であるトランスジェンダー女性に、在留特別許可が認められたことには意義がある」と話す。

「自分の居場所が日本にあったというAさんの言葉は、重い。実際には日本でトランス女性の方は決して生きやすくありません。結婚もできません。このお二人は家族として認められたかもしれないけれど、結婚できない。日本もそういう問題をまだまだたくさん抱えています」

「それでも生まれた国からすれば、日本には居場所があった。そのことを日本の社会と法律が受け止め、もっといい所だと言える国になっていかなければいけないと思います」

中川重徳弁護士
中川重徳弁護士
JUN TSUBOIKE/HUFFPOST JAPAN

日本でも、2019年2月に同性婚を求める裁判が始まった。複数の同性カップルが、同性婚の法制化を求めて国を訴えている。

三輪晃義弁護士は、今回のAさんの在留特別許可はその同性婚裁判にも関係があると話す。

「国は、『憲法24条は同性同士の結婚を想定していない』という主張をしています。ただ今回明らかになったように、想定せざるを得ないような事態というのは、日本のあらゆるところで起きていると思います」

「今回、在留特別許可という形でそれが国が認めるという判断をしたということで、本当は国も想定しないといけないということはわかり始めているんじゃないでしょうか」

Aさんも、日本で同性婚が実現して欲しいと強く願っている。実現した時には、婚姻届を出すつもりだ。

「だって家族ですもん。心の中ではこの人は私のだんなです」

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