腫れ物と笑い者:トリックスターとしてのトランスジェンダー~三橋順子さんのお話を聞いて~

日本のメディアにおけるLGBTの取り上げ方にはいくつもの問題点がある。

駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部2017年度「実践メディアビジネス講座I」シリーズ講義「メディア・コンテンツとジェンダー」のゲスト講師による講義の3回目は、性社会・文化史研究者の三橋順子さんをお迎えした。

今回は都合によりゼミ生のレポートはなし。講義の概要は以下の通り。

-----------------------

講義の概要

日本のメディアにおけるLGBTの取り上げ方にはいくつもの問題点がある。

そもそも「LGBT」は性的少数者の連帯を指すことばであり、それぞれは本来別々のカテゴリに属する。したがって「LGBT女性」「LGBT男性」といった表現は誤用である。

日本のメディアではトランスジェンダー、特に性同一性障害(GID)の扱いが他の3つのカテゴリや非GIDと比べて大きい、ゲイは実態と異なり過剰に女性らしさを強調する、レズビアンやバイセクシャルはほとんど取り上げられないなど、取り上げられ方に偏りがみられる。

この背景にあるものの1つは、日本のメディア、特にテレビにおける、いわゆる「オネェ」タレントの人気である。

おかま、ニューハーフ、Mr.レディその他、次々と新たな呼び名が作られ拡張解釈が行われてきたこのカテゴリには、女性的なふるまいをする男性同性愛者や女装者、男性から女性への転換者などが含まれ、こうした属性を持つタレントたちは、男性優位の秩序が支配するメディア空間におけるある種の「トリックスター」として独自の立ち位置を占めてきた。

しかしその一方で、1990年代以降、性同一性障害がたびたびメディアで取り上げられるようになる。体の性と心の性が異なる人々を配慮すべき対象として「発見」したことは、同時にそれを治療すべき「病」と位置付けたことでもあった。

本来、男女は厳密に区分できるものではなく、多様なあり方があってしかるべきなのに、いずれか一方に属することのみを「正常」と決め、それに合わないものを「障害」とし、「治療」と称して体か心のいずれかを変えることを求めるという点では、望ましい状態とはいえない。

奇妙なことに、トランスジェンダーに対するこの2つの相矛盾する取り扱いは、日本のメディアにおいては何の問題意識もなく共存している。

報道番組やドキュメンタリー番組では、LGBTや「性同一性障害者」の人権擁護を主張する一方で、バラエティ番組では平然と「おかま」を笑い物にするダブルスタンダードが横行しているのである。

ここ数年やっと、トランスジェンダーであること自体に注目するのではなく、たまたまトランスジェンダーである人をその能力に応じて起用するメディアが出始めている。こうした動きがさらに広まっていくことが望ましい。

-----------------------

三橋さんが言及された1990年代における性同一性障害の「発見」は、個人的によく覚えている。

突然メディアに登場するようになったそのことばは、それに該当する人々に対する「腫れ物」に触るかのような、おそるおそるとでも形容すべき扱い、他の性的少数者に対するのとは明らかに異なる扱いを強く印象づけた。

当時はなぜ急にこの人たちだけ扱いが変化したのか、と思ったものだが、三橋さんのお話で、それ以前から欧米ではあったゲイなどの運動が日本ではあまりみられかったために、突然起きた現象のようにみえたことが理解できた。やはり、あれは「変」だったのだ。

一方で、女性的なふるまいをする男性同性愛者や女装者、男性から女性への転換者を「笑い者」扱いする風潮が現在に至るまで続いていることも、違和感に輪をかける。ダブルスタンダードであるとする三橋さんの指摘は正鵠を射ている。

ちなみに、朝日新聞の記事データベースで「性同一性障害」ということばの初出を調べたら、1997年のこの記事だった。上記の変化は医学界主導だったわけで、当然この裏にはそれよりずっと前から世界では進んでいた動きがある。

日本では医学界がまっさきに(世界的には遅ればせながら)それを取り入れたということなのだろう。これとて三橋さん的には、「治療」を要する「病」であるというとらえ方自体がおかしいということになるのだろうが。

-----------------------

性転換手術を認める指針案 精神神経学会

朝日新聞1997年05月25日朝刊

日本精神神経学会は二十四日、都内で特別委員会(委員長、山内俊雄・埼玉医大教授)を開き、治療の最終的な手段として性転換手術を条件付きで認める診断と治療の指針案をまとめた。

-----------------------

「トランスジェンダー」の初出は1993年の新刊書籍紹介記事。次いで1997年に週刊誌「AERA」でトランスジェンダーの記事が出ている。

このあたりも含め、LGBTに対する「腫れ物」的扱いは、それが一種の「舶来」(そこには「より優れた、取り入れるべきもの」というニュアンスが込められている)文化として取り入れられていると解すれば、自然に理解できる。

-----------------------

男でもなく女でもなく 蔦森樹著(新刊抄録)

1993年11月21日 朝刊

「性別」の境界を越える 米国の「トランスジェンダー」最前線

1997年06月09日 週刊アエラ

-----------------------

「性転換」となるとぐっと古くなって、1921年のこの記事が初出だ。広島県で女性として育てられたインターセックスの方が女性となる手術を受けたというもの。

-----------------------

手術で女となる 男女両性の患者

1921年10月9日 東京/朝刊

-----------------------

「女装」の初出は1881年(明治14年)で朝日新聞創刊(1879年)の直後、それ以降も数多くの記事があってさして珍しくもない。そもそもこの時代は花見の際に変わった服装をすることがいわば定番となっていて、男性が女装したり女性が男装したりすることがよくあったようだ。

それで、以下の記事によると1890年(明治23年)に取り締まる方針が出たものの効果がなく、1898年(明治31年)に取り締まりが強化される方針が出された、ということらしい。

-----------------------

異形異風の取締

1898年(明治31年) 4月 19日

花見熱に浮され異行異風の扮装して見物人の目を驚かさんと種々なる催しに及ぶ卒八、出目助黨の多き由ハ別項にも見えたるが其の筋にてハ観花又たハ運動會を催すもの近来男子にして女装をなし女子にして男装をなし及び異形、異風の体を装ふハ去る二十三年發布の警視令に依り相當処分に及ぶべき筈の所取締り稍や寛やかになりし為め續々此の異行異風を装ふもの増加し來たりたる傾向き有るに就きこの際十分取締りを為すべき旨今度警視

廳より府下各警察署へ訓令ありしと我れ面白の人騒がせ興に乗じて異な事を遣過さバ忽ち意外だ辛き目を見るに至るべし

-----------------------

その他の記事も、女装した男性(変性男子と呼ばれていたようだ)が不審なので連行したら泥棒だったという類のものが多く、総じてあまりいい扱いではないが、頻繁に記事が出ているということは、さほど珍しいものではなく、多くの人々が見聞きはしている状態であったともいえるだろう。

性的少数者を異常とみる(当時の)外来の考え方は、それ以前の考え方を完全には上書きできなかったようだ。

「オネェ」タレントの人気も、こうした歴史的な背景がある。

三橋さんの著書『女装と日本人』(講談社現代新書、2008年)」にも出てくるが、もともと女装に関しては、ヤマトタケルにまで遡る寛容な文化的土壌や、稚児や陰間などの風習があった。それが明治以降の西洋文化流入で弾圧されながらも姿を変えて生き残り、戦後も主に夜の世界で一定の支持を得てきたのだ。

テレビの普及で発展した芸能界がそれを取り込んだ(芸能界ということであれば、能や文楽、歌舞伎などではもともと男性が女性を演じることが当たり前に受け入れられてきた)わけだが、もともと社会の側にも受け入れる土壌があったということだろう。

「オネェ」タレントが多くその逆――仮に「オニィ」とでも呼んでみる――のタレントが圧倒的に少ないのは、この経緯を踏まえればある程度納得できる。

夜の世界の「顧客」の多くが男性であり、「オニィ」、つまり男性的なふるまいをする女性同性愛者や男装者、女性から男性への転換者などが求められなかったために、有能なタレントを輩出するために必要な人材プールが成立しにくかったのではないか。

この点について三橋さんは、講義が終わった後の雑談で、社会の中に未だに根強く存在する男女差別意識を前提に、「男性から女性に『降りていった』方は許容されるが女性から男性に『上がってきた』方は許容されない」と指摘された。確かにそれもありそうだ。

そうだとすると、世界でも有数とされる、トランスジェンダーに「寛容」な社会であるという現状も、必ずしもよいことばかりとはいえない。

「オネェ」たちが主に夜の世界で活躍したのも「昼の世界」には居場所が得られなかった裏返しという側面があろうし、「夜の世界」に行きたくもなく、「オネェ」タレントたちのように自虐をネタにすることも望まないトランスジェンダーの方々がストレスを感じる状況がまだそこらじゅうに残っていることも否定できない。

そもそも性的少数者自体が多様な人々の集まりであり、「LGBT」はその代表的な一部を挙げたものにすぎない。

LGBTQ、LGBTTなど、4つのカテゴリ以外のものを加えたさまざまなバリエーションがあり、長いものになるとLGBTTQQIAAPのように、もはや覚えることが困難なものすらある。細かく分けていけばもっと長いものも考えられるだろう。

トランスジェンダーに限らず、多様な人々ができる限り自らを抑えつけることなく過ごしていける社会へ変えていくためには、政府や企業だけでなく、私たち自身が変わらなければならない部分も多々ある。

多くの日本人にとって身近なオネェタレントたちは、私たちにそのことを気づかせてくれるきっかけになるだろうか。

ただ笑い者にするのではなく、また腫れ物に触るように過剰な気遣いをするのでもなく、同じ社会を生きる者として自然にその存在を受け止めることができるようになるだろうか。

今はまだそこまで行っているようには思えないが、少しずつ変わりつつあるようにも感じている。

トリックスターは、神話や物語の中ではしばしば、「善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など、全く異なる二面性を併せ持つ」(Wikipedia)存在として描かれる。

既存の秩序に従わず、世界を引っ掻き回す厄介者でありつつ、ときに鋭い発言で物事の本質を突いてみせたりして、大きな変化や進歩をもたらす触媒的役割をも果たす。

メディアにおけるオネェタレントを含むトランスジェンダーの扱いは、腫れ物と笑い者、男と女、道化と賢者などの二面性を持つという意味で、まぎれもなくトリックスターであった。

しかしもしそれが、そうせざるを得なかった、それ以外に道がなかったということであれば、望ましい状況とはいえない。

こうした人々が、その外見や立ち居振る舞いの「異様さ」ではなく(自らそれを売り物にしたい場合を除いて)、その能力と意志によって適切な活躍の場を、メディアや芸能、あるいは夜の世界だけでない、社会の幅広い場において、得られる社会になるといい。

「物語」のエンディングは、トリックスターにとっても「めでたし、めでたし」であってほしいものだ。

本件の講義動画はこれ。

動画:シリーズ講義「メディア・コンテンツとジェンダー」第4回(講師:性社会・文化史研究者 三橋順子様)

駒澤大学GMS学部2017年度「実践メディアビジネス講座I」シリーズ講義「メディア・コンテンツとジェンダー」に関する記事は以下の通り。

メディア・コンテンツとジェンダー 駒澤大学GMS学部2017年度「実践メディアビジネス講座I」シリーズ講義の開講にあたって(2017年5月31日)

「男女の戦い」と「忘れられた人々」(2017年6月5日)

「多様性」は厳しい:サイボウズ㈱大槻様の講義を聞いて(2017年6月15日)

在京キー局 朝の情報番組出演者にみるジェンダー(2017年7月4日)

15万人のスティグマ:AVAN代表 川奈まり子さんの話を聞いて(2017年7月7日)

注目記事