環太平洋パートナーシップ(TPP)協定が、日本の市民やメディア、政界の間で話題にならない日はない。今回の参院選における争点のひとつにもなっていた。医療の面においても、各主要政党の政治家、日本医師会やその他の関係者が、日本の患者の受ける医療にTPPが及ぼす影響について懸念を深めている。だが、TPPが開発途上国において安価な薬の流通を著しく妨げる可能性を認識している日本人は少ないのではないだろうか。
2000年に始まったTPP交渉の第18回会合のため、環太平洋地域11カ国(オーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、マレーシア、メキシコ、ニュージランド、ペルー、シンガポール、米国、ベトナム)の代表者が、現在、マレーシアに集まっている。日本は今回、このマレーシアで初の交渉参加を果たす予定だ。
TPP交渉は非公開で進められるため、一般社会の目に触れる機会はないが、「漏洩した文書」によると米国は、知的財産関連の規制を厳格化する条項案を推している。これは、国際法に明記された公衆衛生のセーフガードを退化させ、製薬企業による広範囲な独占保護を正当化させるもので、これにより薬価は高止まりし、低価格のジェネリック薬(後発医薬品)の健全な競争が阻まれることになる。
国境なき医師団(MSF)は、数々の医療援助活動の経験から、ジェネリック薬の市場競争によって多くの人命が救われることを知っている。MSFが抗レトロウイルス薬(ARV)を用いた治療を開始した2000年、年間の治療費は患者1人あたり1万米ドル(約100万円)を超えていた。現在MSFは、21カ国でHIV/エイズ・プログラムを展開し、合計28万5000人を治療中だが、もっぱらアジア製のジェネリック薬を用いている。ジェネリック薬の健全な市場競争により治療費は約99%低下し、現在は1人あたり年間140米ドル(約1万4000円)以下となっているのだ。
薬の確保という点において、ジェネリック薬が担いうる重要な役割を認識しているのはMSFだけではない。途上国の保健省をはじめとする治療提供者、そして、日本の人びとから貴重な資金援助を受けている「世界エイズ・結核・マラリア対策基金(世界基金)」などの国際組織は、可能な限り大勢の人に救命治療を提供するため、安価なジェネリック薬を日常的に活用している。
米国が推す中で最も大きな懸念を抱かせる条項案は、「エバーグリーニング」の実践を促すものだ。エバーグリーニングとは、製薬企業が既存薬について複数の二次的特許を取得するなどして、医薬品の独占保護を本来の特許有効期間20年以上に延長することをいう。そのため当該の薬のジェネリック版製造は場合によっては半永久的に先延ばしにされる。HIV/エイズその他のさまざまな病気の患者と治療提供者は、適正価格の救命薬の登場を今よりも長く待たなければならなくなるだろう。
米国政府はまた、TPPが、米国と途上国、そして先進国との間で今後締結される国際協定のひな型となることを望んでいる。そうなれば、米国の掲げる有害な知的財産関連条項が薬の流通に及ぼす影響は、現交渉参加国12ヵ国にとどまらないだろう。
だからこそ、日本をはじめとする交渉参加国が今すぐ行動を起こし、薬の普及・流通を損なう米国の提案を退けることが必要なのだ。環太平洋地域およびその他の地域の無力な患者たちが必要な治療を適切に受けられるようにするためには、日本の支援が欠かせない。
※MSF日本では先ごろ、総理大臣、厚生労働大臣、そしてTPP交渉の主席交渉官宛てに書状を送り、薬の流通を著しく阻害する条項の削除を求めた。
薬の普及を妨げかねないTPP協定条項の問題については、必須医薬品キャンペーンの特集ページへ。http://www.msf.or.jp/news/2013/07/6133.php
国境なき医師団(MSF)は、紛争や災害、貧困などによって命の危機に直面している人びとに医療を届ける国際的な民間の医療・人道援助団体。「独立・中立・公平」を原則とし、人種や政治、宗教にかかわらず援助を提供する。医師や看護師をはじめとする海外派遣スタッフと現地スタッフの合計約3万6000人が、世界の約70カ国・地域で活動している。1999年、ノーベル平和賞受賞。
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