世界的なPCメーカー、デル株式会社 広域営業統括本部プレゼンツの同社上席執行役員の清水博さんによるブログが連載中です。第8弾は、箱根駅伝で輝かしい成績を出し続ける東洋大学の陸上競技部駅伝監督である酒井俊幸監督との対談です。駅伝、ビジネスに共通するマネジメントやチームパフォーマンスの高め方とは?
陸上部経験者のパフォーマンスはなぜ高いのか
箱根駅伝といえばスポーツイベントの中でも高い人気を博し、毎年箱根駅伝を見て新年をスタートするという方も多い国民的な行事といえます。関東地方の大学の競技なのですが、全国のお客様を訪問しても、熱心なファンが多いことには驚かされます。そんな箱根駅伝において、過去10年間、圧倒的な成績を残している監督が、東洋大学陸上競技部の酒井俊幸(としゆき)監督です。
お話を直接聞いてみたいと思い、Dell中堅企業のお客様をご招待したDellエグゼクティブセミナーに酒井監督をお呼びしました。
なぜ、陸上の監督を最初のエグゼクティブセミナーの講師にお呼びしたかには理由があります。
私の部門では社員のそれまでのスポーツ経験や趣味など様々な情報を共有して、社員のキャリア育成に役立てています。その中で彼らをスポーツ経験別に分類してみると、最も高いパフォーマンスを出しているのが陸上部出身者でした。私は、陸上は個人競技だと思い込んでいたので、個人主義とも言える営業現場では有効なのか?と感じていたのですが、陸上部出身者は、「陸上は個人の記録はもちろんですが、最終的には学校を代表したリレー選手になる目標を持つものです」と説明してくれました。彼らによると、個人の力を伸ばしてチームで最大の力を発揮する、どちらかというと団体競技に感覚が近い、ということらしいのです。
陸上競技も競技の種類の幅が広く、私達の組織にいるのは陸上競技の一部の意見かもしれませんが、マネジメントを行う私としても、「個人と組織のパフォーマンス」ということには大変興味があり、組織の安定的成長と意思決定の速さが求められる中堅企業のお客様エグゼクティブにとっても関心あるテーマだと感じました。だからこそ、「個人と組織のパフォーマンスの究極な姿」としての体現者である酒井監督にお願いするに至ったのです。
講演で酒井監督は,目標を達成するためにはしっかりと計画を立て,分析を重ねることの重要さを強調していました。また,トレーニングのみならず食事のありかたも含めた体調管理の重要性や、競技力はもちろんのこと「人間力」を高めることも大切だと話してくださいました。
お集まりいただいたエグゼクティブは、微動だにせず聞き入っており、参加者からは講演に対して最大級の賛辞を戴きました。監督の話を聞いて、自分がスポーツに打ち込んでいた頃や、希望に満たされて社会人になった時のことを思い起こすなど、一種のマインドフルネス体験のような感覚も覚えました。
酒井監督の話には、企業のマネジメントに有効なキーワードが多く含まれています。そこでさらに対談で、もう一歩踏み込んで、マネジメントやリーダーの観点でそのインサイトを探ることに挑戦しました。
セオリー無視。勝利へのシビアな判断
酒井監督は、監督での10年間で優勝4回、準優勝5回、3位1回と安定した結果を出しています。監督ご自身は優勝以外満足されていないと思いますが、企業経営ではビジネスの安定感はまず求められるものです。
清水 「監督のお話をお伺いすると、一般的な学生スポーツのイメージと少し異なり、大きなリスクを取るような選手起用の抜擢や、賭けに近い勝負に出ているように見えます。最初からそのような変革志向だったのですか?」
酒井 「最初に監督になった時には、前任の監督が築いた選手や文化の資産があるので2年程は徐々に変化できればと考えていました。やはり、急な大きな改革は反発される可能性もありました」
清水 「監督でも変革を拙速に行わず慎重に進めていたのですね。経営学の世界でもコンフリクトに関して、対立する構造から徹底的に避けるという考えがあります。しかし、現在のように変革志向になったのは、どのタイミングですか?」
酒井 「やはり第87回大会で21秒差の惜敗をしたことが全てのターニングポイントです。同じ練習方法では勝てないどころか、自分自身の駅伝に対する発想そのものを変えないと勝利は掴めないと確信しました。そして、3年目から大きく変革させていきました。過ぎてみればただ一度の敗戦かもしれませんが、その状況をきちんと正視することによって、大きく組織を変革するチャンスと考えました」
清水 「チェンジリーダーとして風土改革を担われたということですね」
酒井 「箱根駅伝に1年生を3人出場させることは、一般的な陸上の世界ではセオリー無視と言われてもおかしくありません。しかし、その判断の裏には細心の注意や選手へのケアがありました。勝負の世界なので、リスクを取ることもあります。選手の目だけを見て決めることもあります。その結果、負けることもあると思いますが、選手のその後の人生に、プラスになる負け方を熟慮した上で、チャレンジすることにしています」
清水 「ビジネスの世界でもリスクテーキングは重要なキーワードです。「リスク」の語源は、イタリア語の「リジカーレ」で、『勇気を持った選択』という意味だと聞きますが、そのことがよくわかりました。しかし、こちらから見ていても駅伝当日に選手交代させる部分は、気持ちがとてもキリキリしました。選手の家族や恩師、地元の友人が来て横断幕まで持ってきている中の決断は、勝負の世界そのものですね」
酒井 「選手を選考する際は、愛情はあっても同情はしないようにしています。また不安要素が少しでもある選手は使わないようにいます。本当に必要なことは、体調や走力ももちろん見なくてはいけないですが、何より一人ひとりの選手の心が大事だと思っています」
誕生、そして進化するスローガン。「その1秒をけずりだせ」
第87回大会は、駅伝ファンの中では語り草とされています。東洋大学は、大会新記録を出しながら2位、しかも1位との差が箱根駅伝史上最僅差というこれ以上無い惜敗でした。わずか21秒差のことです。しかしこのことが、酒井監督や東洋大学を次のステージに引き上げました。個人の練習メニュー、チームの戦略、戦術を練り直し、綿密な年間スケジュールを引き直し、チームを完全に復活させました。ビジネスにも不調がありますが、状況をリカバリーすることはそれほど簡単なことでありません。選手の気持ちが一つになったその原動力の背景には、スローガンがあります。
清水 「"その1秒をけずりだせ"は、スポーツ界のみならずマーケティングコミュニケーションの観点でも、超一流のコピーライティングだと思います。我々もビジネスのあらゆるシーンでメタファーとしてよく使わせてもらっています」
酒井 「監督就任後、いくつかのスローガンを決めましたが、浸透せず定着しませんでした。「闘争心を解き放て」とか「次の山に昇れ」などでした。"その1秒をけずりだせ"を決めた年は震災の起きた年で、皆、もやもやしていて、何かを探している感じでした」
清水 「どのような雰囲気で決まったのでしょうか?」
酒井 「その年は、震災の影響もあり、私や選手達が「僕たちは生かされている」「人の為に何かをしたい」と考えている時に、自然と自分の中から生まれてきた言葉です。夏合宿期間中のミーティングで発表したところ、メンバーはどよめき、その言葉が心に入っていくにつれ、選手の顔が明るく引き締まりました」
清水 「組織の目指すビジョンやゴールをわかりやすい言葉で表すことは理想だと思います。しかしそれは意図して作られたものではなく、紆余曲折した結果、内面から出てきたものなのですね。まるでデカルトの方法序説のようなストーリー(※)です。組織のマネジメントでも、そのようなミッションステートメントが内面から出るように、ギリギリまで追い込むことを再認識しました」
※フランスの哲学者、ルネ・デカルトの代表的著書。世界の真理を探究する過程と、その方法論を記した著書。「我思うゆえに我あり」という有名な言葉はこの著書で初めて記された。
酒井 「"その一秒をけずりだせ"はチームスローガンそのままであり、それを体現する精神は変わりません。さらに今季の駅伝シーズンスローガンには「鉄紺の真価でくつがえせ」を掲げ、東洋の黄金期の再構築を目指しております。」
清水 「これだけのスローガンに新たにシーズンスローガンを加えるのは、勇気が要ることかと思います。東洋大学のスクールカラーである鉄紺(てつこん)を全面に出すことで、東洋大学らしさを再認識するバックトゥベーシックに立ち戻ろうとした采配も参考になります。先月の、出雲駅伝のアンカーの追い上げは、まさに新しいスローガンを見たようでした」
76世代は「イノベーティブ」?
駅伝の競合校の監督は、青山学院の原監督1967年生まれ、日体大渡辺監督1962年、東海大学の両角監督1966年など60年代出身者が多く、大企業の役員と同じ年齢です。しかし、酒井監督は、76年生まれのいわゆる「76世代」です。しかも10年前の32歳の時に就任されています。IT分野でも、若くして起業した笠原健治(以下敬省略、mixi)、近藤淳也(はてな)、西村博之(2ちゃんねる開設者)、田中良和(グリー)、猪子寿之(チームラボ)、家入一真(paperboy&co.)といった方々などが有名です。駅伝の世界での世代観について尋ねてみました。
清水 「IT業界では世代間でビジネスの仕方や考え方が変化していることがあります。コンピュータの発展過程で異なりますが、インターネットの普及やブロードバンドの発達は大きな変化でした。その中で多感な時期を過ごした76世代は、イノベーティブな部分を感じます。監督も陸上競技の世代間の中で76世代特有の何かを感じますでしょうか?」
酒井 「私が監督になった時は、私の父親と同じくらいの年齢の監督も少なくありませんでした。若いからこそ、兄貴分のような感覚で接することができ、選手の微妙な変化にも気づくことができました。また、自身も実業団のトップチームの感覚がまだ残っていたので、考え方や練習方法などもどんどん取り入れました」
清水 「一般的な、学生スポーツの監督と選手の考え方など、さまざまな固定概念に縛られていない感じがしますね」
酒井 「背景には、箱根駅伝が高速化してきて実業団と遜色無いレベルに上がってきたこともあります。実業団でオリンピックを目指そうという感覚を、学生と共有できるようなったということはとてもエキサイティングでした」
清水 「76世代に共通している感覚ですか?」
酒井 「陸上競技でも76世代は、オリンピックでの入賞経験者や、日本記録保持者など強い選手が多いです。みんな指導者になってきています。強い選手達なので、指導方法も変化してくるでしょう。今でもライバル関係ではありますが、情報共有もしています。最近は、その下の世代も台頭していますし、箱根駅伝の監督も若返ってきています。闘いのルールも変わるでしょう。でも、これはとてもいいことだと感じています。自分の考えをより柔軟にすることができますから」
清水 「ご本人は76世代と特に意識はせず、あらゆる変化に前向きで、先入観も無く対応している姿が見えます。ビジネスの面から見ても、とても学ぶことが多いです」
箱根の山の先はグローバルにつながる
2016年リオデジャネイロ・オリンピック男子マラソンの金メダリストのエリウド・キプチョゲは、本年9月16日に行われたベルリン・マラソンで2時間1分39秒という、従来の世界記録を1分以上も更新する驚異的な世界新記録をマークしました。グローバルな競争も更に激化しています。
しかし、日本人選手も負けていません。その1カ月後に、箱根駅伝で活躍した大迫傑(おおさこ・すぐる)選手も日本記録を出しました。大迫選手の発言にはストイックなまでの自分へのプレッシャー、崇高なモチベーションで自分自身に最大限にフォーカスしています。そのメンタルは日本人離れしているように見えます。日本選手には珍しくグローバルなプロジェクトに参加し米国を拠点にするなど、世界標準の中にいるようにも見えます。
そして酒井監督の執務室にも世界で活躍した選手のシューズが飾られています。
清水 「監督の著書を読んでいると「世界」という言葉が、35回も出てきます。監督の「世界」の考えとはどういうものですか?」
酒井 「箱根駅伝は伝統的な大会で、国民の注目を浴びる学生スポーツの中でも圧倒的なコンテンツだと思っています。その舞台に立てることは大変光栄なことです。しかし箱根駅伝を目指すのと同じくらい、世界を目指すことが大切だと思っています。箱根で終わりとすると燃え尽きてしまう可能性があるからです」
清水 「箱根駅伝が、お正月に若者たちが箱根の山に向かって走る神事と表現されるのは有名な話ですが、お正月の冷たい空気の中の、選手の厳粛な走りを見ると、まさにそうだと感じます。しかし、監督の話を聞いていると、ゴールの大手町の先はグローバルにつながっているのではと感じます」
酒井 「世界でどのような練習をしているのか知らなくても、それはそれで済んでしまいますが、知っている方が練習の幅が広がります。一般的には日本人の体格ではアフリカ勢に勝つことはとても難しいことです。しかし、アメリカは、科学的トレーニングを用い、「打倒アフリカ」で研究を重ねて実績を上げてきています」
清水 「現在、中堅企業でも世界にすぐ出られなくても、世界を見据えて体質を強靭化し、世界標準のものをITで取り入れるなどの動きも出てきていますね」
酒井 「最初から無理だと思えば、それ以上には向上しませんが、アグレッシブに挑戦していけば、大迫選手の活躍のように、日本人でもやれることが実証されています。そうしないと凄い勢いで追いかけてきている中国や他の国に抜かかれてしまうでしょう。日本の誇りとして、絶対に負けられないという気持ちは重要です。日本を代表する箱根駅伝を走るからこそ、世界に向けたメッセージを出すべきと思っています」
もう一つの21秒差。やられたら、やり返せ
酒井 「大迫選手(早稲田大学OB)と設楽悠太(東洋大学OBで駅伝活躍)は、今年、マラソン日本男子記録を共に更新しているのですが、大迫選手が2時間5分50秒、設楽悠太が2時間6分11秒と、また21秒差なのです」
清水 「箱根駅伝第87回大会の早稲田大学と東洋大学の激闘と同じ構図なのですね!」
酒井 「やられたら、やり返せです。設楽もやる気が入っています。気持ちを持って高め合って、お互いもっと高みを狙って欲しいです」
清水 「駅伝の21秒差から大きな歴史が始まったことを考えますと、この因縁の21秒差もまだ見ぬ大きなドラマの開幕かも知れませんね」
酒井監督は、駅伝チームを率いるマネジメント哲学を丁寧に繊細にお話くださいました。現代のマネジメントにも通用する内容が豊富に含まれており、崇高でイノベーションを続ける知将の雰囲気がありました。
デル株式会社広域営業統括本部も個人を尊重し、高度なリーダーシップのある組織です。是非、興味ある方は私たちの職場を見に来てください。
デル株式会社 上席執行役員 広域営業統括本部長 清水 博
横河ヒューレット・パッカード入社後、日本ヒューレット・パッカードに約20年間在籍し、国内と海外(シンガポール、タイ、フランス、本社出向)においてセールス&マーケティング業務に携わり、アジア太平洋本部のダイレクターを歴任する。2015年、デルに入社。パートナーの立ち上げに関わるマーケティングを手がけた後、日本法人として全社のマーケティングを統括。現在、従業員100名以上1000名未満までの大企業、中堅企業をターゲットにしたビジネス活動を統括している。自部門がグローバルナンバーワン部門として表彰され、アジア太平洋地区管理職でトップ1%のエクセレンスリーダーに選出される。産学連携活動とし、近畿大学と共同のCIO養成講座を主宰する。著書に「ひとり情シス」(東洋経済新報社)。AmazonのIT・情報社会のカテゴリーでベストセラー。早稲田大学、オクラホマ市大学でMBA(経営学修士)修了。