人生は「コンプレックス克服ゲーム」
振り返ってみると、コンプレックスだらけの人生を送ってきました。
小学生の頃の私は、丸々と太っていて、足は遅くて、勉強もできない。いつも誰かの影に隠れているようなタイプでした。
あまり覚えていないのだけど、当時のことを母に聞くと、私は家でいつも「〇〇ちゃんはこれができてすごいんだよー」と、友だちを褒めてばかりだったんだそうです。「あなたは?」と聞かれても、ニコニコしているだけ。痩せたいな、足が速くなりたいな、とは思っているけど、努力もしないのんびりとした子供だったんです。
しかし小学校から中学校にあがるタイミングで、多くの「コンプレックス」が少しずつ克服の兆しを見せます。
大きかったのは、小6の国語の授業での一幕。
大学卒業してまもない男の先生が私をさして、みんなの前で教科書の一節を朗読させたんです。その時に「長野さんは読むのが上手だね!」と褒められて。それが今でも忘れられないくらいとても嬉しかった。ああ、私でも褒めてもらえることがあるんだ、と。
運動も勉強も「何ひとつできない私」が、自分の中にある小さな可能性に目を向けた瞬間でした。
今思えば、あれは「目覚め」のような体験だったのかも。
その後、バドミントン部に入って身体を動かし始めたら体重が減り、成績の良い友人が通う塾にも仲間入りさせてもらって勉強を始めました。
少しずつ結果が出てくると嬉しくて、ますます頑張れるようになりました。
中学3年生の時、学校の先生との面談から帰ってきた母親の一言を今でも覚えています。
「あなた、国立(大学)狙えるって。先生に言われたの」。母の喜びと驚きが混ざり合った顔を見て、私は胸いっぱいになりました。
そう、私にとってコンプレックスとは、克服して次々とパワーアップしていくための原動力でもあったのです。
ある時までは…。
「母親になれない私」をどう受け入れるのか
“コンプレックス克服ゲーム”をクリアしてきたロールプレイングな人生、、、
だったらよかったのですが、やはり神様はそんな人生を与えてくれません。
30代後半から40代にかけて、私は、クリアできない辛いコンプレックスを通ることになります。
さて、改めてコンプレックスというものについて考えてみると、コンプレックスには「克服可能なもの」と「克服不可能なもの」と2種類あるような気がするんです。
人によって状況は様々だと思いますので、一概には言えないけれど、私にとっては太っていることや勉強ができないことは「克服可能な」コンプレックスでした。
一方で、どうしても「克服不可能」になってしまったコンプレックスもあります。それは「子どもができない」ということ。
40代の頃の私は、ほぼイコール「母親になりたくてもがいた私」と言い換えても過言ではないでしょう。
39歳で始めた不妊治療。結局、47歳まで続けました。
人工授精、体外受精と何度も挑戦を繰り返して、最後、もうダメなんだ、と諦めた時には、仕事を終えて家に帰ると泣いて泣いて。いや、最中から随分たくさん泣いていたか…。
それまで、いろいろなコンプレックスを克服してきて強くなってきたつもりだったけれど、努力しても乗り越えられないものってあるんだな、と初めて思いました。
随分長く引きずってしまったけれど、50代半ばにしてようやく、「母親になれないコンプレックス」を受け入れて生きられるようになりました。当時は「人間失格だ」くらいに感じていたのに、歳をとるって悪くないなと。これも私の一部、と思えるようになりました
もちろん、自分に言い訳の余地もないくらい努力したし、もうこれ以上無理っていうくらい泣いたし、ある種、「やれることはやった」という納得感があるからこそ得られる心境かもしれませんが、時が解決してくれることもあるなと実感しています。
頑張ったけど、結局克服できなかったコンプレックス。
この苦しみは本人にしかわからないし、当時の自分のことを振り返れば、今苦しい思いをしている人にどんな声をかけても無意味かなぁと躊躇したりする。
それでも、50年以上生きてきた人間として、自分より若い人たちに何か声をかけられるとしたら、「年齢を重ねれば、少しずつ自分を受け入れられるようになるよ」ということ。
歳をとると、若い頃に比べて、感情の断捨離をうまくできるようになるのかもしれませんね。大丈夫、人間って意外とうまくできている。今はこう思えています。
子育てと仕事。それは「イーブンではないか?」
そうはいっても、苦しみの渦中にいる人からしたら、「そんな気休めいらない」と思うことでしょう。私自身がそうでしたから、よくわかります。周囲の人たちからの慰めやフォローはありがたかったけど、救いにはなりませんでした。それどころか、子どものいる人たちがうらやましくて、遠ざけるようになったりもしました。
悩みの中に閉じこもって、この気持ちをわかってもらうのは無理だね、と思っていた私を大いに救ってくれた言葉もあります。私の言葉よりも、私が励まされた言葉の方が、もしかしたら説得力があるかもしれないので、紹介させてください。
それは中東のパレスチナに住む友人のネタにかけられた言葉でした。
ネタは、イスラエル人でありながら、このまま闘いを続けていてはいけないと言ってパレスチナ側に立ち、活動を続ける勇敢な女性でした。何度も中東を取材する中で顔見知りになり、友人と呼ぶべき存在になった彼女と久しぶりに再会したのが、私が不妊治療の真っ只中——4回目の体外受精が失敗した直後——でした。
久しぶりに会ったネタは、なんとパレスチナ人と結婚して4人の子どもを育てていました。子育てってすごく楽しいし素敵なことよ、と話す彼女に、私は「もしかしたら、私はできないかもしれない」と弱音を吐いたんです。
その時、彼女がこう言いました。
「私はいま、子どもを育てないといけないから、かつてのように、イスラエルとパレスチナの間で声をあげることもできない。もちろん幸せだし、今はこれが私の使命だと思っている。でも私が今救えるのは4人の子供だけだけど、智子はこうやって取材をして日本に伝えてくれることで、たくさんの子供を救うことになるのよ。それって素晴らしいことじゃない」
「子育てをしている私と、仕事をしているあなた。これって、イーブンなんだよ」
この言葉を聞いた私は大号泣。そっか、イーブンか。イーブンなのか。
当時の自分は子どもをつくることの方が、仕事をすることよりずっと重要で価値が高いことに思えていたんです。女として生まれたからには、子どもをうみ、育てることができなければ、自分の人生には価値がない、死んでも死にきれないと…! と強迫観念に駆られていました。
コンプレックスが行き過ぎるあまり、価値観が歪んだまま固まってしまっていたんだと思います。
そこでかけられた「イーブンだよ」の言葉。
いま、冷静になって振り返ってみると、紛争地に何度も足を運んだり、危険な取材をしたりと、子どもがいたら難しかったかもしれない仕事に打ちこむことができたんですよね。そうした「頑張り」までも、自分で否定しちゃっていたと気づきました。
もちろんこの一言で全てが帳消しになったわけではありません。この後も私は悩み苦しむわけですが、やっぱり私にとって大いなる救いになりました。あとになってからどんどん効いてくる感じもする、不思議な言葉です。
コンプレックスは、人生の軌跡
長々と書き連ねてしまいましたが、少なくとも私は、「克服可能なコンプレックス」も「克服不可能なコンプレックス」も、受けとめ方次第で自分にモチベーションを与えてくれるものだと信じています。
私は結局、母親にはなれなかった。
けれど時が経ち、このコンプレックスを自分の一部として受け入れることができました。母親として過ごしていたかもしれない時間に、仕事を一生懸命やってきたその積み重ねは、間違いなく今の自分を支えてくれているし、ニュースキャスターとしての視点を広げてくれました。
子どもはいないけど、好きな仕事がある。仲間がいる。それでも、いいじゃないか。
それにしても、いくつになってもコンプレックスから完全解放されることはないですよね。歯並びが悪い、胸が小さい、プロとしてしゃべるのが下手くそ…。「なんで私ってこうなんだー!」とため息をつく瞬間もしょっちゅうです。
コンプレックスって、相対的な部分もあるんですよね。「あの人に比べて、なんで私はこうなんだ」とか。でもコンプレックスがあるからこそ努力もするし、結果的にそれが自分だけの個性になるのかなと思います。悩んで、泣いて、もがいて、でも懸命に向き合って、いつの日かそのコンプレックスを受け入れることができたら、それはむしろその人の素晴らしい個性となって輝くのだと。
そう思えること自体、歳をとるのは悪くないってことかもしれません(笑)。
(文:長野智子 @nagano_ / 編集・構成:南 麻理江 @scmariesc )